テーマ
薬物依存
問題意識
日本における薬物乱用の現状は、30歳未満の大麻事犯が5年連続で増加し過去最高となっており、大麻事犯の検挙人員全体の過半数を占めている。また覚醒剤事犯の再犯者率は12年連続で増加し過去最高となっている。これを受け、⻘少年に焦点を当てた広報・啓発や、薬物乱用者に対する適切な治療と効果的な社会復帰支援の強化が課題となっている(厚生労働省2019)。また入寮型の薬物依存回復施設「ダルク」を利用した後に一般就労しても、自立した生活を送りながら回復を長期的に続けられている例は少ない。一方、薬物依存の経験者であるダルクスタッフは、回復モデルとして大きな存在感を示している(南2015, 26, 28)。
薬物依存の回復は、まず薬を使うことを辞める「断薬」から始まる。そして考え方や姿勢を積極的に変えていくという「スピリチュアルな成長」を生涯続けていくことが必要となる(Narcotics Anonymous, 2006, 86,134)。先行研究において、ダルクスタッフが以前ダルクに入寮していた頃や、退寮して一般就労していた頃の考え方や姿勢について反省し、改めたことを示す語りが見られるが、これはスピリチュアルな成長に当てはまるという解釈もできるかもしれない。
このように考えると、薬物依存経験者が社会復帰に際して突き当たる壁や困難に対処することと、スピリチュアルな成長という観念とは、何らかの関連があるのではないだろうか。薬物依存経験者たちは、この観念を実際にどのようにとらえているのだろうか。実際にその観念を言葉にして用いるのだろうか。あるいは、もっと異なる語り方を好むのだろうか。
今回の実習では、断薬をしてから回復と共に送る社会生活の困難性と、スピリチュアルな成長との関連が、薬物依存経験者たちにどのように捉えられているのかを見ていきたい。
基礎概念
薬物依存症
薬物の効果が切れてきたときに、薬物が欲しいという強い欲求をコントロールできずに、薬物を使ってしまう状態をいう(みんなのメンタルヘルス総合サイト)
薬物依存に対する介入/支援
薬物依存に対して行われている代表的な介入/支援には、まず刑務所での更生プログラムのような「司法モデル」があり、これは薬物問題を「犯罪」として扱っている。次に認知行動療法のような「医学モデル」は、薬物問題を「病気」として捉えたものだ。いずれも専門家主導であり、薬物依存症者を「更生」させたり「治療」したりすることで、社会への再適応を目指すことが基本となる。これらのアプローチとは異なり、薬物依存症者自身が主導し、日本で独自に展開した介入/支援がダルクである。(中村英代, 2015)
ダルク(DARC = Drug Addiction Rehabilitation Center)
1985年に薬物依存当事者である近藤恒夫が東京で創設した。そこでの元入寮者を中心に各地に開設され、2016年には全国で60か所(87施設)ある。薬物依存からの回復を目指す入寮型の施設(通所利用もできる)で、薬物依存症の当事者が、共同生活を通して生活リズムを取り戻していく場所である。1日3回のミーティングを中心とした、NAの12ステップに基づく回復プログラムによって、薬物を使わない新しい生き方を身につける。ダルクでステップ1から3までに取り組みながらNAミーティングに通う習慣をつける。そして退寮後もNAミーティングに通うと同時に、NAでスポンサーとなる人を見つけ、ステップ4以降に取り組む。(南・中村・相良2018)
「薬物・アルコール依存症者に共同生活の場を提供し、薬物・アルコールを使わない生き方のプログラムを実践することによって、薬物・アルコールの依存症からの回復を支援する」「12ステップに基づいたプログラムによって新しい生き方の方向付けをし、各地の自助グループにつなげていく」ことを事業目的としている(日本ダルク)。
NA(Narcotics Anonymous)
薬物依存からの回復を目指す人々のための自助グループであり、全国各地で12ステップに基づくミーティングを行っている。(南・中村・相良2018)
12ステップ
ダルクやNAで回復のための指針とされている12の段階のこと。AA(アルコール依存からの回復を目指す人々のための自助グループ)の創始者たち自身の回復経験をもとに作成されており、NAだけでなく、さまざまな種類の自助グループで採用されている。
ステップ1では自分の依存問題やそれに対する無力を認め、ステップ2では、自分の力を超えた解決法を信じる。ステップ3では、自分の意思に基づく生き方を手放し、自分を超えた力に委ねることを決心する。これはステップ4以降を実行していくための決心である。(南・中村・相良2018)
ミーティング
ダルクの中心プログラムとして毎日3回行われる、当事者によるグループミーティング。大抵は各回ごとにテーマが決められ、それに沿って参加者は自由に語る。語られる内容は原則「言いっぱなし、聞きっぱなし」で、批判もコメントもされず、ミーティング会場以外に持ち出されることもない。参加しつづけることが回復にとって極めて重要とされ、ミーティングへの参加がほぼ唯一のルールとなっているダルクも多い。(南・中村・相良2018)
主な研究者
近藤恒夫
日本ダルク代表、NPO法人アパリ理事長。30歳のときに覚せい剤を覚えて以来、薬物乱用者となり、37歳で精神病院に入院。それでも覚せい剤をやめられず39歳で逮捕。半年の拘置所生活を経て執行猶予付き判決で出所。釈放後、アルコール依存症者の回復施設の職員を経て、1985年日本初の民間による薬物依存者回復施設「ダルク」(現東京ダルク)を開設。以降薬物依存者の回復支援に尽力。2000年にはアジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組む研究機関「NPO法人 アパリ」を設立。国家行政機関、法律家、医療者、研究者などと連携し、国内外の薬物問題に取り組んでいる他、学校や刑務所などでの講演も精力的に行っている。主要著書:『薬物依存を超えて』(海拓舎, 2001)( http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/089/ )
南保輔
認知科学及び社会学博士、社会学修士。成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科教授。日本社会学会、日本犯罪社会学会、日本認知科学会などに所属。薬物依存に関する研究テーマは2013年から「薬物依存者の「社会復帰」に関するミクロ社会学的研究」、2017年からは 「薬物依存者の「回復」コミュニティのミクロ社会学的研究」。『当事者が支援する薬物依存からの回復』(
春風社, 2018)『ダルクの日々:薬物依存者たちの生活と人生』(知玄舎, 2013)を編著。( https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901061304970550 )
平井秀幸
教育学博士。四天王寺大学人文社会学部社会学科准教授。日本社会学会、日本犯罪社会学会、日本社会病理学会に所属。2007年4月~2015年3月に特定非営利活動法人(NPO法人)東京DARC理事を務めた。2013~2015年の研究テーマに「薬物依存者の「社会復帰」に関するミクロ社会学的研究」、以降も犯罪・非行からの社会復帰やその支援に焦点を当てている。主要著書:『刑務所処遇の社会学』(世織書房, 2015)( https://jglobal.jst.go.jp/detail/?JGLOBAL_ID=201401032260110362&t=1 )
量的データ
1.平成30(2018)年の薬物情勢
薬物事犯全体の検挙人員は14,322人(前年比+303人/+2.2%)と若干増加した。
覚醒剤事犯の検挙人員は10,030人(-254人/-2.5%)と若干減少したが、依然として1万人を超えた。
大麻事犯の検挙人員は3,762人(+544人/+16.9%)、コカイン事犯の検挙人員は217人(+32人/+17.3%)といずれも5年連続で増加し、過去最多となった。
30歳未満の大麻事犯が5年連続で増加して過去最高となっており、2007人(+488人/+32.1%)で大麻事犯の検挙人員全体の53%を占めている。
覚醒剤事犯の再犯者率は65.9%(+0.4P)と12年連続増加し、過去最高となった。
( https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf )
2.平成21年度 青少年の薬物に対する認識や意識
薬物問題に対する関心がある人は、10代、20代で7割弱、30代以上で8割弱に達した。内閣府が平成18年に行った「薬物乱用に関する世論調査」では、10代、20代の関心がある人は6割未満だったため、それと比べると割合が高くなっている。
年代が上がるほど、「深刻な問題である」と感じている人の割合が高くなっている。
年齢が低いほど、大麻やMDMAが恐ろしいという認識があった。
30代以上に比べて、10代、20代の「どのような薬物であろうと、どのような理由であろうと絶対にいけない」「誘った相手が誰であろうと、どのような薬物であろうと断る」という回答の割合は低かった。一方、「誘った相手によっては、断りきれないかもしれない」「悩み事があったり、疲れていたりしたら断らないかもしれない」という回答は、年齢が低いほど割合が高くなる傾向がみられた。
「家庭」は薬物乱用防止教育を効果的に行う場や方法として第2位、青少年を薬物から守る対策でも第4位となり、教育や啓発の主体として期待されているが、実際に「家庭での教育・啓発があった」という回答は約1割に過ぎなかった。また薬物乱用防止教育を効果的に行う場や方法として「家庭教育が有効である」という意見は、30 代以上では過半数を超えているが、10 代、20 代では 4 割程度にとどまっている。
薬物乱用をした青少年の立ち直りに必要な支援は、10代、20代、30代以上ともに第1位が「家族」第2位が「友人」であった。
規範意識の高い層は規範意識の低い層より、自尊心尺度が有意に高い。今までに薬物を使ってみたいと思ったことが「ない」層は「ある」層よりも自尊心尺度が有意に高い。学校及び学校以外での薬物乱用防止教育により現在の認識や意識に影響を「受けている」層は「受けていない」層よりも自尊心尺度が有意に高い。
( https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/drug/pdf_index.html )
3.4つの回復観
ダルクメンバーのうち、①「ありのままの自分の受容」②「仲間の中で生きていくことの大切さの理解」が「回復」であると理解する者は 80%を超えており、また、ダルク歴が長い人ほど「回復」であると理解する傾向にあった。一方で、③「経済的な自立」④「薬物への欲求の消失」が「回復」であると理解する者の割合は①、②より低く、また、ダルク歴が長くなるほど減少する傾向にあった。③、④は、性別、学歴、主な依存薬物、刑務所・少年院への入所経験、入寮/通所の別、15 歳時の階層、不安感・不眠などの精神症状などとの関連は有意ではなく、ダルクに在籍した期間、生活保護受給の有無とは有意な負の関連がみられた。( https://jss-sociology.org/research/86/92.pdf )
質的データ
1.4つの回復観(平井, 伊藤2013):薬物への欲求の消失、経済的な自立、ありのままの自分の受容、仲間の中で生きていくことの大切さの理解
【薬物への欲求の消失】
・永井A:自分自身が薬に対してどう行動するかわからない(またはじめるかもしれない)と実感。自分に対して懐疑的になった。(自分はできる!というプラス思考でもなく、できるわけないというマイナス思考でもなく、できるのか?とプラスマイナス中間のような懐疑的な思考)←スタッフになる前の語り?
・永井A:「欲求がなくなるわけがないって自分の中で思ってて、例えば欲求がぁあのう、もうないって言い切ったら自分は終わりだって思っているんですよね」(p31)
・永井A:「もう薬は大丈夫ですとかそういう仲間の話とか聞くとぉそれはなんかちがうでしょって思ったり、病気なんで、全くなくてもあるんじゃないのってずっと考えているような状態です」p31
・松崎C:欲求とは付き合っていくものである
・松崎al:お酒がやめられたんだからもう完璧だくらいの感覚でいた自分は危うかった。
・松崎al:苦しみは一生続く
・古瀬A:「もう俺は健常者なんだ」と考え、「生き方に対してはけっこうガツガツやってた」が、久しぶりにミーティングに参加して久しぶりに笑ったら顔がつってしまい、それまでの仕事中は引きつって笑っていたのだと気づいた。「相当無茶してたんだろうな」「本当は無理なのにやってたんじゃないのかな」「結局最近わかったんですけど僕クスリに対しては無力認めたんですが、他に対してはあんまり認めてなかった(=ステップ1ができていなかった)んだろうなってすごく、それもうつになってからわかったんですよね」
・古瀬A:「(クリーン期間が)10年経とうが使いてえもんは使いてえんだ」「昨日も泣いてました」というように、「格好つけ」ずに話すことで、「すごく楽」になった。
→自分の回復状況について満足することが回復にとって良くないという考え方が見られる。欲求を消退させるのではなく、クリーンを続けていても欲求がなくなっていないことを認めることが回復に繋がっていると感じている。
【経済的な自立】
・松崎C:スタッフとして勤務し経済的に自立し環境面での安定も見られたがまだ回復していないとしている
・永井A:入寮してすぐ「早く出て仕事したい」(p13,15)、10ヶ月後「早く出たいと思わない」「仕事する気ない」(p17)、約3年後「仕事自分にできるかわからないが、仕事している人がすこしうらやましい」(p33)
・古瀬A:一般就労を始めて、ダルクにも夜のNAにも行かなくなり、「もう金稼ぐことしか頭になく」なっていた。「今まで働かなかったぶん取り返さなきゃ」「家を新しく住み替えるんだ」「嫁さんにもっと楽さしてやるんだ」「もう俺は健常者なんだ」と考え、「生き方に対してはけっこうガツガツやってた」が、久しぶりにミーティングに参加して久しぶりに笑ったら顔がつってしまい、それまでの仕事中は引きつって笑っていたのだと気づいた。「相当無茶してたんだろうな」「本当は無理なのにやってたんじゃないのかな」「結局最近わかったんですけど僕クスリに対しては無力認めたんですが、他に対してはあんまり認めてなかったんだろうなってすごく、それもうつになってからわかったんですよね」
・古瀬A:最初は「自分みたいな人を相手にするのは、とてもじゃないけど嫌だった」「スタッフほどしんどい仕事はない」「こんな仕事やるくらいだったら社会に出た方がいい」と思っていたため、ダルクの外の仕事に就いていた。しかし、うつになって再度ダルクを利用すると、ダルクスタッフが「楽そうに生きている姿を目の当たりに」し、「この人たちみたいになりたい」と思うようになった。
→回復初期は経済的自立、社会復帰に対する意欲が強い。しかしクリーンが続くと、経済的な自立の重要度が低くなっている。
【ありのままの自分の受容】
・古瀬D:「まあ悪い部分、悪いっていうか自分が受け入れがたいものばっかりですけど、そんな自分がほんとの自分なんだっていうことを知る?知るっていうか知らされちゃうんですけど、知ること。それとどう付き合っていくかっていうか、・・・・・・それが変えられるもんは変えていく、勇気で変えられるものは変えたいし、変えられないもんだったら受け入れるしかないしみたいな、なんかその程度ですよね。僕にとっての回復は。」
→ありのままの自分(自分の悪いところ)の受容を回復とする考え方が見られる。
・永井H:「クリーンがなくなったことによって、やっぱあいつダメだったんだとか。それ、思われるの、最初辛かったからここ逃げようと思ったんですけど、もうそれを全部話そうと思って。で、自分はしっかりしたくないし、人に甘えたいって言うのも伝えて。だからもう甘えたいし、苦しいし辛いし助けて欲しいって言うことをミーティングで結構言い続けて、1週間くらい。それでもう楽になっていったっていうか。もう演じなくて良いんだって言う、しっかりした(自分を)」
・古瀬A:「スタッフになったから少し回復してるんだぐらいの気持ちがやっぱ芽生えてるのに自分で気づいたんです。だから弱い部分をミーティングでは吐きながらも、もっと弱い部分、ホントの部分っていうのを話せなくなってきている自分に気がついたんですね。『あまりそこまで言っちゃうと、示しがつかないぞ』ぐらいの思い込みがあったんで。」「かっこつけてれば自分がおかしくなる」と思い、「疲れてる」「頭に来てる」などと正直に「言っていいんじゃないかな」と思い直し、「ちょっと楽になった」。(スタッフ歴2年未満)「(クリーン期間が)10年経とうが使いてえもんは使いてえんだ」「昨日も泣いてました」というように、ミーティングで「格好つけ」ずに話すことで、「すごく楽」になった。(スタッフ歴3年半以上)
・古瀬A:怒りの中に怖がっている自分がいることに気づいた→傷ついてもミーティングで下ろすようにした
→自分の弱い部分を認め、ミーティングでさらけ出すことで「楽」になったということは、ありのままの自分の受容が回復に繋がったと認識していると解釈できる。回復=「楽」になることという認識があると思われる。
・古瀬D:スタッフの重要な仕事の一つである学校講演を、最初の頃は「勢いでやってた」。しかし回を重ねるごとに、「しゃべってるうちに声が震えてきたり、汗が出てきたり、もうしゃべっててもパニクって何言っていいかわかんなくなっちゃったり」という「緊張」「うつの症状」が出てきて、講演にはほとんど行かなくなった。「クリーンが長くなるにつれてそういう生きづらさばっかりが表面化する」ようになった。「入寮中にそういう病気を出してってどんどん自分のそういうものを知るべきだったのが、なんか職員になった途端に始まったっていうか、入寮中にそういうことしてなかったっていうか」
・古瀬D:仕事に対して「行き当たりばったりでこなせる範囲内」「とりあえずこなすぐらい」で済ませてしまっている。そしてそのように積極性を失っている自分に「会う」のが「初めての経験」であり、頭では「一歩踏み出す」べきだとは思っているが、その勇気がなく「苦痛」を感じている。2度目に入寮したダルクでは、他の入寮者に対して知識や経験の面での「自分の優位性」を感じられたが、スタッフになると先輩スタッフに対して優位性は感じられず、むしろ自分との間に「雲泥の差」があることを「コンプレックス」と感じている。「その生活、非常に自分のなかで嫌ですね。変われるもんだったら変わりたいと思ってんですけど、それにどっぷりつかってる自分がいるんですよ」
【仲間の中で生きていくことの大切さの理解】
・松崎C:家族のおかげで回復できている
・松崎al:試練に出会っても積み重ねてきたものや周囲の支えが自分を助けてくれる
・永井A:完全に殻に閉じこもってた(p38)→他人の意見を聞くように、心開くようになった
・永井H:「スリップ」をすることで「スリップをしたものから距離を置く」ことをやめた。ダルク入所時のHさんは「オーラ」をまとって拒み、多くのダルク在所者とは違う存在であるように振る舞うこともあったという。「スリップ」により、改めてダルクメンバーとの仲間としての関係性が形成された。
・古瀬A:利用者の姿を通して、自分が利用者だった頃のスタッフに対する感謝の気持ちが芽生えると、「恩返しをしたい」という気持ちで仕事をするようになった。「もらったものは返していく」ことが、「自分の回復」にも必要だったと感じている。
→他者の存在が回復に繋がったと感謝している。また他者を意識して行動することが回復に繋がると考えられている。
2.その他共通して見られた語り
・松崎C:もらったものを返す支援に限界を感じ、福祉を学べば役に立つのではないかと考えて大学に進学した。
・古瀬A:「恩返しをしたい」という気持ちで仕事をするようになった。「もらったものは返していく」ことが、「自分の回復」にも必要だったと感じている。
・永井A:スタッフの業務をして、自分の働きが何か足しになればいいと考えている。p33
→仕事を通して他者の役に立ちたいという意志が見られる。
・永井A:スタッフになり仲間の目が気になって正直にミーティングで話せない。スタッフとして利用者に「背中見せ」ることが期待されているという意識から。
・古瀬A:「スタッフになったから少し回復してるんだぐらいの気持ちがやっぱ芽生えてるのに自分で気づいたんです。だから弱い部分をミーティングでは吐きながらも、もっと弱い部分、ホントの部分っていうのを話せなくなってきている自分に気がついたんですね。『あまりそこまで言っちゃうと、示しがつかないぞ』ぐらいの思い込みがあったんで。」「かっこつけてれば自分がおかしくなる」と思い、「疲れてる」「頭に来てる」などと正直に「言っていいんじゃないかな」と思い直し、「ちょっと楽になった」。(スタッフ歴2年未満)「(クリーン期間が)10年経とうが使いてえもんは使いてえんだ」「昨日も泣いてました」というように、ミーティングで「格好つけ」ずに話すことで、「すごく楽」になった。(スタッフ歴3年半以上)
・古瀬D:最初にNAに繋がった頃、ミーティングにはそれが生き甲斐であるかのように積極的に参加していた。それは、自分だけが高価な車に乗っていたり、「咳止め薬に依存している自分は覚醒剤に依存しているよりはまし」と感じていたりと、周りの薬物依存者たちに対する優越感から来る積極性だった。しかしクリーンの生活を続け、ダルクスタッフとして働くなかで「裸」の自分と向き合うようになったDさんは、ミーティングが「一番嫌な時間」だと感じるようになった。「自分のなかでよき回復者とは到底自分のこと思ってないから……まぁ自分が基本的にネガティブな思いでしか過ごしてないから正直な話をすればするほどネガティブな話になっていくし、そんな話スタッフとして職員として、司会者としてしたくないっていう思いもあるけど、正直でいることの方が優先順位だと思ってしゃべるのは、まぁそれも嫌ですよね」
→スタッフになったことで利用者からの目を気にするようになり、ミーティングで正直に話せなくなった。
・松崎al:「自分の回復なんだ」と言っているうちはまだ自分中心の考えが残っている。客観的なものの見方ができるかどうかというのは回復の1つの尺度かもしれない。
・永井A:「あいてのこと考えて生きることもあんまりしなかったです。ほんとに自分自己中心、てゆうのは、ホントに自分で強く感じていますねいま」P22
・古瀬A:「究極の自己満足というか、自己中心的な考えが、僕をうつのほうへもってったんだろうな」「相手に対して期待しすぎたとか、あとは怒られて当然だけど怒り方が僕にとっては気持ち悪かったとか結局ぜんぶの自己中心的な考えを、相手に押し付けて、自分が相手をコントロールしようとしていたのかな」このことに気づいたきっかけは、筆者の説明からの推察になるが、スタッフとして接した利用者に対して怒りを覚えたことだと思われる。
→自己中心的な考え方が回復にとってよくないものとして捉えられている。
年表
調査計画
2020.11.11 13時~ 富山ダルク第1回インタビュー
文献リスト
WEBページ
薬物乱用対策-厚生労働省( https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iyakuhin/yakubutsuranyou_taisaku/index.html )(2020.5.11最終閲覧)
・第五次薬物乱用防止五か年戦略(平成30年8月3日決定)概要-厚生労働省
( https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000339983.pdf )(2020.5.11最終閲覧)
・第五次薬物乱用防止五か年戦略フォローアップ(令和元年9月6日取りまとめ)概要-厚生労働省
( https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544238.pdf )(2020.5.11最終閲覧)
・平成30年統計グラフ-厚生労働省
( https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf )(2020.5.11最終閲覧)
・平成21年度インターネットによる「青少年の薬物乱用に関する調査」報告書-内閣府
( https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/drug/pdf_index.html )(2020.5.19最終閲覧)
薬物乱用対策に関する世論調査(平成18年)-内閣府( https://survey.gov-online.go.jp/h17/h17-yakubutsu/index.html )(2020.5.19最終閲覧)
平井秀幸, 伊藤秀樹, 2013, 「ダルクにおける『回復』の社会学的検討Ⅱ(2)―手に入れる/手放される『回復』観―」( https://jss-sociology.org/research/86/92.pdf )(2020.11.9最終閲覧)
第24回 日本ダルク代表・NPO法人アパリ理事長 近藤恒夫-その1-薬物依存者が回復支援者になるまで( http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/089/ )(2020.5.19最終閲覧)
南保輔-J-GLOBAL( https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901061304970550 )(2020.5.19最終閲覧)
平井秀幸-J-GLOBAL( https://jglobal.jst.go.jp/detail/?JGLOBAL_ID=201401032260110362&t=1 )(2020.5.19最終閲覧)
書籍
近藤恒夫, 2000, 『薬物依存を越えて 回復と再生へのプログラム』海拓舎
東京ダルク支援センター, 2005, 『ダルク 日本とアジアの薬物依存症事情』東京ダルク
「自己中心的だった、バカにされないように生きていた、自分勝手だった、甘えていた、何かのせいにしていた」という後悔。「なんとかなる」という過信。P87~「生き方を変える」「生きにくさとは」「スタッフとしての成長は自分自身の成長」P94~ダルクでのプログラムを通して気づいたこと、成長したこと、気持ちの変化。スタッフになり他人(他の依存症者など)のことを考えるようになった。回復過程「自分と向き合う→他人と向き合う。P150「自分を客観的に見られるようになった」=見えていなかった自分の内面に気づいた。
南保輔, 中村英代, 相良翔, 2018, 『当事者が支援する薬物依存からの回復 ダルクの日々パート2』春風社
依存症の回復は生き方について考え直すことと繋がっている。「スピリチュアルな成長」とは?若手は新たな気付きについて語っていてポジティブな印象で、クリーン活動を通して感じた周囲の人に対する感謝の気持ちを語っている人が多い。中堅は再び生き方の問題に直面しているようなネガティブな印象で、諦めているような発言が見られる。ベテランスタッフは自分のことだけでなくダルクやミーティングなどに関する語りが印象的だった。
CiNii論文
検索ワード「薬物 背景 社会」96件「薬物 依存 背景」72件「薬物依存 要因」34件「薬物依存症 当事者」22件「薬物 要因 社会学」9件「薬物依存症 対人関係」2件
「スピリチュアルな成長」4件「ダルク 成長」3件「ダルク 社会復帰」10件「ダルク スタッフ 回復」4件「ダルク 回復」66件「ダルク スタッフ」7件
南保輔, 2014, 「断薬とスピリチュアルな成長 : 薬物依存からの『回復』調査における日記法の可能性」成城文芸 (227), 62-42(https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3663&file_id=22&file_no=1)
南保輔, 2015, 「ダルクスタッフとしての回復 : 薬物依存者の『社会復帰』のひとつの形」成城文芸 (232), 74-47(https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3681&file_id=22&file_no=1)
木村香織,2011,「ダルクがもたらす施設としての有効性」(http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/socio/lab/sotsuron/11/kimura/index.htm)
勝田聡, 牧山夕子, 田中健太郎, 2014, 「覚せい剤事犯者の薬物問題のアセスメントについて -薬物乱用質問紙の開発とライフヒストリーの聴取-」, 『千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』270巻37-50( http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900118091/ )
中村英代, 2015, 「『ひとつの変数の最大化』を抑制する共同体としてのダルク:薬物依存からの回復支援施設の社会学的考察」社会学評論 66(4), 498-515( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/66/4/66_498/_pdf/-char/ja )
閲覧不可
喜多村 真紀 , 小畠 秀吾, 2018,「薬物依存症回復支援施設タルクのピアスタップ役割における一考察 : 役割継続における当事者性と援助者性の変遷」日本アルコール・薬物医学会雑誌 53(3), 123-135(閲覧不可)
引土絵未, 2009,「アルコール及び薬物依存症からの回復支援にみる『医療化』と『社会化』の視座--『当事者』『援助者』の関係性の検討」同志社社会福祉学 (23), 62-72(閲覧不可)
平井秀幸, 2013, 「『承認』と『保障』の共同体をめざして : 草創期ダルクにおける『回復』と『支援』」四天王寺大学紀要 (56), 95-120(閲覧不可)
森田展彰, 嶋根卓也, 末次幸子, 岡坂昌子, 2006, 「日本において薬物依存症者の自助施設はどのように機能しているか? : 全国ダルク調査から」日本アルコール・薬物医学会雑誌41(4), 343-357(閲覧不可)
近藤あゆみ, 和田清, 2007, 「中間回復施設における薬物依存症者の回復過程に関する研究」精神保健研究 (20), 65-76(閲覧不可)
近藤千春, 幸田実, 柴田興彦, 和田清, 2004, 「薬物依存症者の回復におけるダルク利用の有効性」日本アルコール・薬物医学会雑誌39(2), 118-135(閲覧不可)