◎古流とは
全日本剣道連盟居合を現代居合とすれば・・・古流は文字どおり古くから伝わる居合です。
「居合の流派」のページに記しましたように、林崎甚助重信が編み出した居合は幾つかの流派に分かれました。江戸時代には大森六郎左衛門 が正座からの居合として大森流を、これを林崎の正統七代目となる長谷川主税英信が初伝に組み込んだ英信流など、現在につながる居合の系譜が徐々に出来上がっていきました。
しかし、明治に入ると廃刀令で刀を携帯することがほぼ無くなり、居合術も剣術も廃れていきました。ここに光を当てたのが現代居合道の始祖「中山博道先生」です。
中山博道は土佐の英信流を学んで工夫を加え、剣道人が学ぶべき居合として後に夢想神伝流と呼ばれる居合道を構成し創り上げた人物と言われています。そのため、無双直伝英信流(関西に多い)と夢想神伝流(関東に多い)の居合人口は他の流派より格段に多くなっています。
武士にとっては居合も剣道も刀法の一つで、表に見える「剣術」と裏で見せない「居合」という考え方もあったと聞きます。「手の内を明かさない」という諺も、刀を抜く時の「手」の細かな所作を見せないということで、居合は見せないことが基本です。手の内や所作が筒抜けでは敵に勝てない・・・敵を倒す秘技として居合はあったようです。
古流夢想神殿流を説明するには、上の拙い文章では不十分なので、ウィキペディアを引用し少し概要をまとめてみました。
【夢想神伝流:ウィキペディアから抜粋引用】
夢想神伝流は大正時代に夢想神傳重信流を高知で学んだ中山博道が、業の工夫を加えて伝えた流派である。中山博道は「この業は夢想神傳重信流だ」と門弟に話している。無双直伝英信流と並び現代居合道の母体となった。
明治時代末、高知に夢想神傳重信流(英信流)という門外不出の居合が伝わっていると聞いた中山博道はその掟に阻まれたが、旧土佐藩藩士の政治家で無双直伝英信流の第15代宗家・谷村亀之丞自雄の親族であった板垣退助の仲介により、森本兎久身から無双直伝英信流(英信流谷村派)を、細川義昌から無双神伝英信流(英信流下村派)を学び、大正11年(1922年)、細川義昌から夢想神傳重信流(無双神伝英信流)の免許を授かった。
中山が夢想神伝流を最初に名乗ったのは、昭和8年(1933年)の武徳祭大演武会であるが、「長谷川英信流」「無想神伝流」「大森流」とも名乗っており統一されていなかった。夢想神伝流という流名は中山の没後、弟子たちが呼称を統一したものである。古い伝書には「神傳流極秘」(文政十年)、「長谷川居合傳書」(文政十二年)、「長谷川流傳書」(天保七年)、「夢想神傳流哥之巻」(天保十二年)などの記述があり、江戸時代から様々な呼称・表記が並存していたことがうかがえる。
中山は高弟や地位の高い人物に限って居合を教えたため全伝を授かった門人は少ない。第二次大戦後、夢想神伝流は全日本剣道連盟居合の成立に強い影響を与え、無双直伝英信流と並び現代居合道の母体となった。現在は居合道界で最多の門人を擁している。主に関東地方で盛んである。ただ、奥居合に無双直伝英信流の形を伝えている系統もあるため、業の並びや本数に違いが生じ、一部には道統(師伝の道筋)が混在してしまっているものも見受けられる。
また中山博道は門下の木村栄寿(山口県)に対し、自分が出来なかった高知細川家に残されている伝書の書き写しと解読を命じており、木村栄寿は中山博道が死去した後に細川家に出向き、親族会議を経て伝書を写真に撮り、自分で伝書をそのまま書き写す作業と解読に晩年を捧げるも道半ばで病のために死去した。その後、木村栄寿の元に通い夢想神傳重信流を一から学んだ当時の範士九段(夢想神伝流)であった橋本正武と額田長がその編纂を引き継ぎ、その後「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流」を書籍として刊行した。 引用:ウィキペディア
◎古流を習う
古流の演武を見ていると、同じ技でも先生で所作が微妙に違うことがあります。刀の振り下ろした角度、止めの位置、方向・・・正しいのは?・・・となりそうですがどれも正しいです(もちろん、習っている先生から正しく伝わっている場合に限ります)
古流を解釈して体捌きや刀の位置や方向、角度を変えている先生もいらっしゃいます。それで構わないようですが、基本形を正しくマスターした上での個人的な理合いが入っていることが条件です。勝手に解釈するのではありません。私も大分県内の始祖となる先生が伝えた正統の古流と、諸先生の理合いを含めた古流を使い分けることがあります。
※大分の夢想神伝流は、中山博道先生の有心館道場で学んだ福岡県久留米市の末次先生の元に別府市の環量先生が通い、河村・藤原・遠田先生が引き継ぎました。ただ、時代とともに環量先生から直接指導を受けた先生は徐々に減り、1~2名を残して多くの高段の先生方は上記の3名の先生から指導を受けたと聞いています。
古流を学ぶのは居合を始めてどのくらい経ってから?・・・ハッキリと断言できませんが、全剣連(制定)居合をある程度抜ける二段、その頃かと思います。体さばきや足腰の安定性が全剣連(制定)居合の稽古でできるようになれば、古流を学んでも良いかと思います。この逆に、古流を優先して稽古し、その途中で全剣連(制定)居合を学ぶケースもあると聞きます。これも道場の先生が考えて方針を決めていますので、どちらが良いとは判断ができません。でも絶対に気を付けないといけないのは「古流と全剣連(制定)居合を混ぜてはダメ」だということでしょう。ここが重要な点だと思います。難しいのですが、そこが大事なようです。
古流には昔から伝わる刀法で、間合い、敵との駆け引き、切り込んだ時に前傾して抑え込んでいるような力強さ・・・実戦に近い技や理合に興味が高まります。古流と全剣連(制定)居合を併せて稽古していくと、居合が奥深く、もっと好きになると思います。