玄察日記原本
玄察日記原本
2018年のブログ(玄察日記 最近の話題)で, 渡邊玄察の子孫の方が「渡邉玄察日記」をはじめとする原本を熊本県立図書館に寄贈されたことを紹介した. 現在, 渡邊泉旧所蔵資料で検索すると, 郷土資料の中で以下の8件がヒットする(2024年1月時点).
注意 2024年3月30日現在, 閲覧不能(古史料のIIIF画像対応化のため?).
IIIF: International Image Interoperability Framework:トリプルアイエフ. デジタルアーカイブなどに収録された画像を相互運用するための国際的な枠組み
郷土資料 (8件中 1 - 8件目)
玄察日記 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
玄察記 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
拾集物語 三 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
拾集物語 五 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
拾集昔語 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
拾集昔語 三 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
拾集記 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
白髯龍王様祭祀由来記 - 2係 - 2018/03/26 12:38:16
Chromeでは閲覧可能. PDFファイルとしてダウンロードした場合, 複写禁止の文字が表示され利用不能.
玄察日記の表紙(熊本県立図書館)
・早川故事一巻 / 573 (0290.jp2)
肥後文献叢書の表紙(国会図書館)
貴重な火山噴火情報源
明治後期に編纂された肥後文献叢書に収載されている渡邉玄察日記には, 寛文三年の普賢岳噴火について, 次のように記載されている. 高来温泉山は肥前国の高来郡の温泉山すなわち雲仙の山と解釈している.
此年之十一月廿三日之夜寅卯の刻に高來温泉山動揺して翌朝煙見ゆる
一方, 国土交通省九州地方整備局が編集, 公開した「日本の歴史上最大の火山災害 島原大変 寛政四年(1792年)の普賢岳噴火と眉山山体崩壊」の中で, 寛文三年の噴火についても記載があるが, 異なる解釈がなされている.
寛文三みづのとうしのとし、此年の十一月二十三日之夜、とら卯の刻に音來り、温泉山動搖して翌朝けぶり見ゆる、
国交省の資料では, 「高来」ではなく「音来たり」と解釈している. 東京大学地震研究所図書室所蔵の地震史料集テキストデータベース も同じように書かれている.
噴火時の轟音が有明海を越えて御船町まで到達したことになる. 雲仙岳と御船町の間には音を遮る山がないので,噴火時の音が聞こえたのかも知れない(文末参考地図参照). ちなみに, 噴火の規模は異なるが, 1707年(宝永4年)の富士山噴火では,噴火音は江戸まで聞こえたとのことである.
寄贈原本での記載
どちらが正しいのか, 唯一の手がかりである熊本県立図書館の原本(8−9行)を参考にして, 問題の文字を「くずし字データベース」で調べてみたが, 「高」と読むべきではないかという結論になった,.
なお, 熊本県立図書館のデータはPDFとしてダウンロードできないので, パソコンに表示された画像のスクリーンショット(左)とその画像のバックグラウンドを脱色したものを以下に示した.
渡邊泉旧所蔵資料 玄察日記 22/59左頁
十一月廿三日夜寅卯刻ゟ(より)高来温泉嶽動揺して翌朝?雲?烟見ゆる
肥後文献叢書と原本とでは, 微妙に異なる. 原本では「此の年」は無く, 寅卯の刻の後に「ゟ」があり, 温泉山ではなく温泉嶽である. 翌朝の後にも一文字存在する.
くずし字解読ソフト「みを」を利用した結果を以下に示した. 「みを」アプリの実行画面(Fireタブレット)である.
翌朝と烟の間の一文字は「雲」かと思ったが, 「みを」は「云」の可能性を示した. 「云」が正解とすれば, 伝聞ということになる.
「みを」による解析結果は以下のとおり.
(問題の部分は茶色で示した)
三人花スやすいほう
石畢春ゟ夏迄卑諸方雨乞有塩ニ穂川水二合
切文丹数人平後ゟ長濃へ通由年
太守様御前様御拵入リ
八月大風今年七は十年米の不作にりも
秋疫病流寄村へ掛る用水積所お夜
雨乞酢戊乳の狂吉踊操に諸所ニ有
上(十一)月廿三日夜虫(寅)卯刻ゟ高来温泉鵝(嶽動) 👈 括弧内は修正文字
揺して空(翌)州(朝)云相(烟)見ゆる 👈 括弧内は修正文字
四甲辰 三月太守様大津山ニ御鹿持か仰たび
春当山盛野柱現社ぼ有薬師豺子奇進
肥後文献叢書(活字本)との比較
寛文三年の後半(原本22コマ左頁)だけを肥後文献叢書(活字本)の内容と比較してみたが, 原本には存在しない項目が認められる. 項目によっては別紙に記載した複数の書類をひとつに纏めたものが肥後文献叢書に掲載されているものと考えられる.
肥後文献叢書に記されている寛文 (1663年)の日記 (青文字部分は原本相当個所)
一、同三みずのと(癸)の卯の年
此年之正月四日之夜大雷 此年之二月坪井火事五百餘家焼る 此年之二月十九日に上野在々之内もちばたと云所の者共飯田山に參候て歸りに野火にあひ四人死す 此の年太守様松平讃岐樣之聟御に被遊御成候 此年釈迦院本堂修建願主禪瑞彼禪瑞は奥州之僧にて候道者にて候 此年三月八日より同十日迄長崎火事二千九百一軒焼る三千餘人焼死
此年三月廿日より四月廿六日迄大日照當所のぬま田ひはれめ一尺餘碧(緑)川三合ほどにひる苗悉く枯れ候 此年四月十一日より同廿一日迄 大猷院樣御十三回廻之御法事妙解寺にて妙法經千部天臺宗之僧達御執行僧衆不足分は大慈寺之僧衆被遊御加候 大慈寺は法室和尚住職之時にて候當所藥王寺住持休蔵司大慈寺之迚僧にて御候而御銀二枚御拜領
此年疱瘡流行當村は去十月よりはほうそういたしはじめ候今正二月迄に仕廻候四十餘人相勤候兒之内三人死やすひ疱瘡にて候
此年之春より夏末迄大日照甲佐谷勿論方々雨乞踊有之候甲佐川常之流にくらぶれば二合餘と人々申候
此年切支丹數十人豊後より長崎へ通る
此年太守様之御前様御輿入
此年の八月大雨
此年田畑不作七八十年に無之と老人共申候
此年五こく高直
此年太守様麻生原村下之河原に御河狩被成御座候
此年夏秋大疫病流行
此年岩下村にかゝる田の水せき所建立いで小河嶋の向ふにできる
此年雨乞立願成就之狂言踊村々に有之候
此年之十一月廿三日之夜寅卯の刻に高來温泉山動揺して翌朝煙見ゆる
「古文書カメラ」による解読
「翌朝」の次の問題の文字は「甚」と解釈した. 「嶽動」は文字が接近しすぎて対応できていない.
結論
地震史料集テキストデータベース (東京大学地震研究所図書室所蔵)には 「音来たり」と書かれているが, 寅卯の刻といえば, 夜明け前の暗い時間帯でもあり, 「音」でないと噴火を知ることはできない状況を勘案した解釈かもしれえない. 本資料の出典は拾集物語肥後上益城郡岩下町渡邊光牧藏本と書かれている. 一方, 熊本県立図書館に寄贈された渡邉泉氏は「祖父渡邊正義が写しを作っております」と記載されていることから, 複数の写本が存在するものと思われる.
結論として, 問題の点は解釈の違いによるものか, あるいは写本の過程で表現が変わったものかはっきりしない.
早川厳島神社と普賢岳の位置関係(Google mapを利用)
関連ブログ
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参考資料
地震史料集テキストデータベース (東京大学地震研究所図書室所蔵). 「音来たり」と書かれている. 出典は拾集物語肥後上益城郡岩下町渡邊光牧藏本.
肥後文献叢書の活字は「高来雲仙岳」である. それで意味が通じるのは, 雲仙は旧藩時代は南高来郡域に位置していたからである.