米国ペンシルバニア州ピッツバーグ在住の日本人が1990年ごろから20年弱に渡り蓄えてきた生活ノウハウ集です。メーリングリスト pgh-j へ投稿されたお勧めのお店情報、感想など「生の声」をもとに、30名ほどの有志のボランティアよって編集されています。2014年07月29日現在、467ページが存在します。編集に加わりたい方は、便利帳の編集ガイドラインをご覧ください。
歴史
1990年ごろ
増井俊之氏、三田村照子氏らCMUのCenter for Machine Translation (現Language Technologies Institute)の関係者を中心に、LaTeX版の便利帳が作成される。当時の配布は印刷した紙で行われた。
1996年夏
LaTeX版から自動生成されたHTML/PSをWebに公開しました。当時問題となったのは、情報が2年以上古い、紙のコピーではコピー機が詰まる、手渡しでの配布は遠方の方や渡航前の人は入手困難でした。そこで、新入学シーズンに合わせ、CMUとPittでチームが編成され、Ver.3が発行されました。CMU The Robotics Instituteの有志がLaTeX入力作業およびHTML/PS化を担当し、CMUおよびPittのご家族を含む多くの方々から生活支援情報の提供を受けました。なお、当初、Komachiとは連携されておらず、CMUの千葉直樹氏のホームページ下に置かれ、同氏が帰国する1997年夏まではcmu-jメイリングリスト(現pgh-j)を中心とする情報提供に基づき、継続して更新されました。同氏が帰国後もWebページだけが残り、次の管理者に引き継がれるまで、内容が更新されない期間がありました。当時の便利帳が千葉氏のサイトにてご覧いただけます。また、当時の小町トップサイトはこちら。
便利帳誕生当初は、Webも今のようにポピュラーではなかったため、便利帳自体がピッツバーグ情報のディレクトリという意味合いも持っていました。しかし多くのピッツバーグ情報のディレクトリサイトが現れ始め、その意義は薄れてきました。また便利帳の肥大化→編集の負担の増大という問題もあります。
そこで、便利帳のこれからの存在意義を「ピッツバーグにおける」「日本人が実際に使ってみてお勧めである」情報に的を絞ることにしました。
この時点まで、便利帳の編集には次のステップが必要でした。
情報がpgh-jに投稿される
管理人会議でどの件を便利帳に載せるか話合う
Linuxアカウントの発行、必要なソフトのインストール、Telnetのポートフォワーディングを設定など
CVSから便利帳のLaTeXソースをチェックアウト
LaTeXを編集
LaTeXコンパイルして、正しく表示されるか確認
CVSにチェックイン→便利帳リリースのスクリプトを走らせる
今までの方法は掲載内容について十分議論ができる一方、
UNIXやLaTeXにある程度慣れている必要があったので手軽とはいえない体制でした。
ソフトウェアの設定だけで管理会が終わった事も・・・。
2008年になってWikiに移行したので、すばやい情報の反映が可能になりました。
これにより、リリースサイクルは、
情報がpgh-jに投稿される
ボランティア編集者ブラウザ上でWiki編集
と手軽に短くなりました。便利帳全体をPDFでダウンロードするということはできなくなりました。
小町故障を契機に、長年使っていた komachi.sp.cs.cmu.edu ドメインを離れ、Google Sites上に移行しました。
コンテンツをグーグルキャッシュから移行する作業はpgh-jで募った10人の編集者が同時進行で行い、
300ページあったものが1日かからずに移動完了しました。
pgh-j (Pittsburgh-J) メーリングリストはペンシルバニア州ピッツバーグにすむ日本人のためのメーリングリストです。
渡米前の心得から運転免許試験のコツ、生活情報など様々な情報がやり取りされ、
また有用な情報はピッツバーグ便利帳に反映されています。
ピッツバーグ周辺に在住の方はどなたでもお気軽に日常の疑問、
イベント情報、レストラン情報、ムービングセール情報を流していただけます。
pgh-jは、1994年10月「cmu-j」という名前で、日本人学生、研究員、OB、及び
ピッツバーグに興味を待つ方々を主な対象とする情報交換の場としてスタートし、
2002年11月、名称を「pgh-j」と改称しました。2011年5月にはメーリングリスト配信システムを
小町サーバからGoogle グループに変更いたしました。
それまで、小町サーバでは13,600通がやり取りされてきました。
小町 (komachi.sp.cs.cmu.edu) はペンシルバニア州ピッツバーグにあるサーバー、およびそこで運営されるサービスの総称です。
ピッツバーグ周辺在住者に有用な情報を提供するため、ピッツバーグ便利帳、pgh-jメーリングリストなどのサービスを運用していました。
保守/管理は数人のカーネギーメロン大学の大学院生ボランティアが担当していました。
所在 Carnegie Mellon University, School of Computer Science, Language technologies Institute
機種 寄付された部品を集めた組み立てPC
Spec Tyan S1830, Pentium III 700MHz, 196MB RAM, 20GB+3.5GB HDDs (May 2003~)
OS Vine Linux 2.6
特徴 ちょっと騒がしいですが、がんばっています。
1990
2000
2001
2003
大きく分けて、オムロン時代 (1990~1997)と小町時代(1998~)に分けられます。
omron3.sp.cs.cmu.edu (オムロン製 LUNA-88k) は 1990年から1997年の間、
CMU の日本語コンピュータ環境を提供するべくボランティア達によって運用されてきた計算機です。
1997年5月をもって komachi.sp.cs.cmu.edu (Intel Pentium 120Mhz FreeBSD) に役目を引き継ぎ引退しました。
1990年、オムロンは技術交流の為、当時商品化されたワークステーション
Luna-88k をモトローラと共同でカーネギーメロン大学コンピュータ科学部 (CMU-SCS) に大量に寄贈しました。
その際にオムロンから派遣されて来たのが当時開発チーム所属だった
藤田昭人さん (当時 SCS Visiting Engineer from オムロン: 現在 NTT アドバンストテクノロジ社員)。
omron3 は寄贈マシンと共に持ち込まれた三台の藤田さんの
作業用マシンの中の一台でした (当時は omron1, omron2 というマシンも存在しました)。
そして藤田さんが日本の開発チームと連絡を取る為 omron3 に
日本語メール環境を整えたのが omron3 の始まりです。
当時 CMU のコンピュータ環境下では一般ユーザーが root になりソフトをインストールすることはとても難かしく、
そういった意味から藤田さんの作業用マシンとして CMU や SCS に干渉されず自由に扱える omron3 は貴重な存在でした。
一般公開は藤田さんが湯原雅信さん (SCS 客員研究員 from 富士通) を通じて知り合った進藤資訓さん
(当時 SCS-CSD Masters Student from 東京電力: 現在アセンド コミュニケーションズ ジャパン)
にアカウントを作ったのが始まりです。
この後、進藤さんの交友関係からも omron3 の名が広まっていきました。
そして、アドミンとなった進藤さんによる Mt. Holyoke からの fj ニュースの正式フィードや、
進藤さんを通じてアドミンに加わった関野篤志さん (当時 INI Masters Student from ジャパンエナジー)との数々の
フリーウェアのインストール等の地道な努力により、現在の omron3 の基礎が出来上がりました。
同時に利用者も口コミで増えていきました。
1993年、ユーザー数、搭載ソフトウェアともに成長を続ける omron3 でしたが内蔵のディスクスペースではどうしても不足してしまい、
お金を出しあって外付けのディスクドライブを買おうという話になりました。
が、結局 Dr. Doug Tygar (SCS Associate Professor) が資金を提供してくれることになり、1G ドライブの増設に成功。
この後も、Dr. Tygar とアドミンとの密接な 関係は続いていくことになります。
1993年、オムロンのワークステーション業務撤退に伴い藤田さんと作業マシン達に突然の引き上げ命令が下りました。
この時点で omron3 はそれなりに学内ユーザーを抱えていたので代替マシン調達が問題となりましたが、
藤田さんの努力により故障して転がっていた数台の Luna-88k からパーツをかき集め、
所有者不明のマシンを一台作り上げて omron3 を CMU に残して頂けることになり、omron3 は CMU-SCS の所有として現在に至っています。
その後 omron3 は進藤さんのオフィスの机の下に引越し、以前と変わらず稼働。
この頃、 CMU の bboard での一般ユーザーへのプロモーションが為されました。1994年、関野さんのスタンフォード大学行き&
帰国と入れ替わるようにして射場総司 (当時 CIT-ECE 3rd-yr Undergrad Student: 現在 SCS-RI Ph.D Student) がアドミン入り。
1994年5月、再び Dr. Tygar に協力して頂き 2G SCSI-HD ドライブを購入。
ところがこの頃になると omron3 のマシントラブルが更に目立つようになり、
特に SCSI 系のトラブルが多発。ディスクを読みにいって失敗後ハングアップという
黄金パターンが頻繁に起こり、そのあまりの頻度に omron3 の今後を 危ぶむ声が上がり始めました。
そんな中 1994年6月から七月にかけて、omron3 の OS をバージョンアップ。
それと同時に、悪さをしていた内蔵の SCSI-HDD も予備と交換して、
omron3 のクラッシュ頻度は減り、並の小康状態へと持ち直しました。
この頃、xxxx@cs 等の省略アドレスが使えなかった仕様を sendmail.cf との格闘の末修正、
また wu-ftpd や国際版 Mosaic のコンパイル等、進藤さんの 活躍で omron3 のサービスもさらに向上。
関野さん/進藤さんが長い間取り 掛かっていた初心者向けユーザーガイドも 1994年九月にプレリリース。
こうして新機種調達を常に願いつつも、omron3 は日本語環境サーバとしての 役割を担い続けてきました。
1994年11月には乗松聡さん (当時 SCS-MSE/GSIA Masters Student from 野村総合研究所) がアドミン入り。
現在ピッツバーグ の日本人連絡板として活躍中の cmu-j メーリングリストは、
この時期に乗松 さんと進藤さんによって立ちあげられたものです。
そして 1995年度を進藤/乗松/射場の三人体制でスタート。
この頃、幾度と無くアドミン内で話題になったのが「CMU 外へのサービス拡張」。
結局 CMU-SCS の資源と Dr. Tygar の資金提供を受けているということで omron3 のアカウントの配布や
日本語ネットニュース購読等は CMU 関係者に 限られる事になりました。この点に関しては komachi にも踏襲されています。
もう一つアドミン内で良く話題になっていたのが新機種購入の為の資金集め。
老朽化した omron3 の代わりにPC を買って Free UNIX を入れようという話はずいぶん前からあったのですが、
結局問題となったのが資金。寄付を集める、スポンサーを探す、ユーザーから使用料を貰って購入費に充てる等、
当時色々な案が出ました。
LUNA-88k の使い勝手も安定性も限界に来ており、この頃随分必死でしたが、
結局、新マシン komachi の到着 (1997年1月) まで更に二年を要する事となりました。
1995年6月、来るべきものが来たという感じですが、ついに HDD が大クラッシュ。
SCSI ケーブル (LUNA-88k 特注) の不良からくるトラブルには本当に悩まされました。
ピンチといえば他にも天井から水が漏ってきた「omron3 水浸し事件」という事件もあり、
この時は omron3 のモニターが水を被って使用不能になりました。
「CPU も潰れれば facility に代わりのマシンを買って貰えたかも知れないのに‥」などと冗談混じりに話していたものです。
そして 1995年6月、進藤さんが帰国。
omron3 は WEH 四階の乗松さんのオフィスに移動。
1995年7月、乗松さんの紹介で馬場俊光さん (SCS-MSE Masters Student from 新日本製鐵) がアドミン入り。
この頃、とあるスポンサーから新機種の資金調達が可能との判断に達し (結果的にはポシャったのですが)、
名前を cmu-j 上で公募しました。
集まった名前 (56 通り) の中から在ピットと在日アドミンでポイント制の投票を行ない、上位;
小町 komachi 14 票
桜 sakura 12 票
河童 kappa 7 票
トキ toki 7 票
ダグ doug 5 票
大和 yamato 3 票
の結果「小町」に決定しました。皮肉なことに、実際に新機種が到着する一年も前から名前だけは決まっていたわけです。
1995年から1996年にかけて omron3 に目だった動きは無く、
人事面では 1996 年1月に樫山友一さん (SCS-RI Visiting Scientist from 横河電機) の アドミン入り、
1996年6月の乗松さんの帰国 (同時に omron3 は WEH 四階の 馬場さんのオフィスに移動) があり、
相変わらずの三人体制で運営してきました。
移行準備に伴うディスクスペース縮退 (2G->1G) によりサービスレベルの後退はあったものの、
1996年以降は安定して稼働。日本語ネットニュースもU. of Hawaii, MIT, 横河電機の三箇所から
フィードを受け(9/30/98 現在は U. of Hawaii, MIT, 東京大学と他の日本サイトを加えた計四箇所)
fj.* 以外にも japan.*, tnn.* を安定供給できる体制が整いました。
1996年7月には馬場さんによる omron3 (komachi) FAQ の編纂があり、
ドキュメント面でかなり向上しました。omron3 の利用に関してだけではなく、
CMU での日本語環境構築に関するノウハウの詰まった文章になっています。
そして 1996年12月、 SCS RT-Mach Lab の追川修一さん (SCS Post Doctoral Fellow)、
萩野達也さん (SCS Visiting Scientist from 慶応大学) 両氏の 資金提供により長年の夢だった
新マシン (Intel Pentium 120MHz) を購入。 マシンのケースと CRT を
Dr. Lee Weiss (SCS-RI Senior Research Scientist) に提供して頂き、
SCS へのネットワーク接続費も Dr. Tygar に引続き 提供して頂けることになりました。
初期は樫山さんのオフィスで fam3a.sd.ri.cmu.edu というゴーストネームで
数々の設定がなされ、1997年4月1日に komachi.sp.cs.cmu.edu としてデビュー。
そして omron3 は 1997年4月30日をもって全てを komachi に引き継ぎ、
ようやくその役目を終えました。こんなに長く活躍し続けた LUNA-88k は 稀でしょう。
そして日本語環境サーバーの役目を担うべく登場した小町、さすが
FreeBSD だけあって(スタート当時は確か FreeBSD 2.1.2。9/30/98 現在 FreeBSD 2.2.7)
必要なソフトのインストールも LUNA-88k の omron3 とは段違いの手軽さで、
管理もだいぶ楽になったと言えます。omron3 にはなかった日本語情報提供の
web server としての機能も加わり、cmu-j メーリングリストも登録 200人の大台を達成しました。
この頃、1997年9月にアドミン入りされた友清たかしさん
(当時 SCS-LTI staff: 現在 SCS-LTI Ph.D Student) による cmu-j 並びに
「ピッツバーグ便 利帳」のサーチエンジンのインストール、
田丸慎吾さん(CIT-ECE Ph.D Student)による「IBM 日本語化 FAQ」の編纂、
寺倉建司さん(当時 MCS-Chem 4th-yr Undergrad Student:
現在日本IBM)による小町ホームページのお色直 しなど、ソフト面の向上も見られました。
特に「IBM 日本語化 FAQ」は進歩の激しい情報を絶え間無く更新する貴重な情報源として、アドミンの間でも重宝されています。
安定稼働しているかに見えた小町でしたが、
1997の暮れ、内蔵の Western Digital社製 2.0GB HDD が
ガシャガシャ音を立てて突然クラッシュ。幸いなことにバックアップからすんなり復旧できた物の、
PC-Unix でも油断は出来ない と思い知らされました。
ちなみに現在は Western Digital から無償で交換した同じ製品が元気に動いています。
寺倉さんが帰国(1998/5)して四人体制になって間もない六月頃から SCS の管理者
(属に 'gripe@cs' と呼ばれています) から「komachi からブラックサイトに妙なパケットが多数流れてる。要注意」
と知らせが来るようになりました。
対策として ssh (Secure SHell) をインストールして防御し始めたその矢先、
対応が遅れたことが仇となって8月末に一部のアカウントを通じて侵入を許してしまいました。
その後 Labor Day weekend 返上で小町の再インストール並びにセキュリティアップグレードを施し、
しかも小町の番人としてビーナス (FreeBSD 2.2.7) をパケットの検査マシンとして隣に配置しました。
このアップグレードを持っ てtelnet のサービスは無くし、
アカウントも ssh & APOP のみのシェルアカウントか POP3 のポップアカウントの二種類から選んでいただく事になりました。
2005年春までWean Hallに設置。
2005年春~2009年夏 Newell Simon Hall に設置
2009年夏~Gates-Hillman Complex に設置
2012年2月 ハッカーに侵入され、スパムメール送信の踏み台にされる。復旧の際、Debian OSを入れ替える。
2014年7月30日 ハードウェア障害により引退。
小町引退を機に、ハード・ソフトの保守やバックアップ作業のいらないクラウド(Google Sites)へと完全移行しました。
参考:便利帳引っ越しプロジェクトページ
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