農村振興策を都市再生策でもやってはどうか

農村振興策を都市再生策でやってはどうか

伊達美徳

2008年

松本市四賀のクラインガルテン

●滞在型市民農園

松本駅から北に25キロくらいのところに、2005年までは四賀村といっていたが、松本市に合併して四賀地区といっている農村集落がある。合併時の人口は5,809人、高齢化率は33.3パーセントであった。

まわりを松林の丘陵に囲まれて、なだらかな盆地に棚田が広がり、盆地の底を会田川が流れている。それは典型的な日本の農村風景である。

そこに知人が初夏から初秋にかけて暮らしていて、私は毎年のように訪れている。友人が居るのはそこの滞在型市民農園クラインガルテンである。クラインガルテンはドイツが発祥という都市住民の都市内緑地での週末日帰り菜園のことを、そのまま言葉まで取り入れたらしい。

ただし、ここはその日本版であって、都市から遠く離れた農村の農地であり、友人は週末型どころか3シーズン滞在型である。丸太作りのしゃれたロッジ(これもドイツ語でラウベと呼んでいる)に泊まり、近くの山や安曇野に出かけてスケッチして油絵に描き、菜園で多様な野菜作りを楽しんでいる。

そのクラインガルテンは、約6haの用地に農地が約3.3ha、ここに78区画の貸農地があり、貸し出す1つの区画面積は270~300㎡、畑面積は100㎡、それぞれにラウベが建っている。

ラウベの床面積は30㎡で、一階が居間と水周り、吹き抜けがあって中2階が一階の半分の広さの寝室である。農地内の簡易宿泊施設と位置づけられており、原則として道具や材料置き場であ るが、快適なロッジである。

丸太を生かしたしゃれた建物のラウベ群は、周りは松山の見晴らしのよい南下がりの斜面地に配置されていて、集落景観としても良くまとまっている。ちょっと分譲別荘地に見えるが、新たな農村集落の出現である。

四賀地区の中心部には、江戸時代に善光寺街道の宿場として栄えた会田宿があって、今も堂々たる漆喰塗り瓦葺大屋根の平入り民家が、街道沿いに立ち並ぶ。次第に建て換わりつつあるが、それでも街並みにかつての面影を見せている。

歴史が古い街には寺社もあちこちにあるし、石仏があったり石の道標が街道脇や野道にあり、もう使われなくなった木造の中学校校舎のたたずまいなど、それらが一連の歴史文化の里を表している。この歴史景観がこの地を単なる農村以上のものとしての魅力付けになっていることは確かである。

この会田宿の文化的風景を教えてくれたのはもちろんそのクライガルテンの友人だが、偶然にも全く別の若い知人が、この会田宿の旧家をルーツとしていることが分かった。今は東京に暮らしている父親が、そこで生まれ育ったという。

まさに故郷を出る人もいれば、友人や後述するその娘さん夫婦のように第2の故郷として入る人もいて、さまざまである。

●新農業住民

松本市の サイトでクラインガルテン利用者を公募しているが、1区画(畑約30坪+ラウベ)年間36、39万円で、1年契約で更新可能とある。

これが分譲別荘地と違うのは、松本市が経営する賃貸農地であることだ。いわば公共賃貸農園集落で、ラウベは農機具収納施設、休憩施設である。

既存の農村集落とも違うのは、耕作者が都会から通ってきていることである。もっとも、最近は農村集落でも、耕作者が近くの都市に住んでいて通勤農業の人もいるから、まったく違うとも言い切れないが、 耕作者が土地建物の所有や運営管理をしていないところが大きく異なる。

東京からやってくる私の友人のように、各地のリタイアー組の夫婦などが暮らしているが、住民票をここに移すことはできない。それはここがあくまで農園であり、農地だからである。

農地法は、農地を他に貸したり住まわせたりしてはならないと規定している。これの緩和策として出てきたのが「市民農園整備促進法」(1990年)であり、休耕地や耕作放棄地などの活用策である。

調べてみるとこのクラインガルテンは、この法に基づき、それに農水省の新山村振興等農林漁業特別対策事業による補助金をいれて整備したものである。 国庫と県費とで補助率は事業費の5割を超える。

その狙いは、休耕地等の活用策はもちろんだろうが、もうひとつは減少する一方の農村人口の呼び戻し策でもあるだろう。

定住民ではなくて、素人農民の季節遊民ではあっても、少なくともそれだけの人口がこの地にやってくれば、そして私のようにそこを訪ねる人もあれば、それなりに活性化する種にはなる。

ここに暮らしてみて気に入れば、どこかの空き農家を買って、本当にこの地に住み着く人が出てくるかもしれない。 そんな思惑が当然にあるだろうし、あって当然である。

その私の友人の若い娘さん夫婦が、この地で農地を確保して農産物生産から全国の契約者に直送販売の「はるばる農 園」を経営し、今は珍しくなった専業農家で生計を立てている。彼らも東京からやってきて住み着いたのだ。

その若者夫婦がこの地に入った動機とクラインガルテンとの関係は知らないが、友人夫婦は、その娘夫婦の子供つまり孫たちの面倒をここで見ているらしいから、このクライガルテン政策は新農民の定着に見事に役立っている例である。

農林省の公的な報告(2005年3月現在)を見ると、四賀地区人口6,056人に対して年間入込客数15.2万人とあるから、それなりの効果が見られるといってよい 。

友人に聞けば、なにか工芸品を作ったり楽器を演奏したりするプロ、半プロ、アマの人たちが結構いるようで、それらの横つながりもあるという。統計上の住民が増えるほどではないらしいが、クラインガルテン外で空き農家などを買って入ってきている人たちもあるそうだ。

全体に管理が行き届いているのは、公共による賃貸であることがその背景にあるだろう。ドイツのクラインガルテン管理は利用者団体だそうだが、不定期住民の利用者によるよりもむしろ公共団体の管理のほうが適切であろう。放棄されて荒れ果てた分譲別荘地を、林間や山中のところどころに見ることがあるが、そうなってはならない。

最近、国土形成計画でも、都市住民が農村部にもうひとつの暮らしの場をもつという「2地域居住」なる政策をうたっているが、これがまさにその一つであろう。分譲別荘よりははるかによさそうだ。

気になるのは、そのうちに規制緩和が進み、これを民間ベースの営利事業でやるところが出てきたらどうなるだろうかということだ。管理放棄分譲別荘地みたいにならないとも限らない。しっかりと公共 運営管理をするほうがよいので、安易に規制緩和はしてほしくない。

●都市に滞在型住園を

実は、わたしのこの話の本論は、ここからなのである。

わたしはこのクラインガルテンの仕組みを、都市の中心街でやってはどうかと思っているのである。いや、街のまんなかで野菜つくりをせよというのではなく、あちらが滞在型市民農園ならば、こちらは滞在型市民住園である。

東京や大阪などの巨大都市のほかの都市では、特に地方都市が著しいが、中心街が人口が減っているし、店舗やオフィスも減っていて、空き地や空き家が多い。農村で言えば休耕地や耕作放棄地である。これをクラインガルテン型に活用してはどうかというのである。

つまり公共団体や特定公的団体がそれらを借り上げて、クラインガルテンならぬクラインハウスを整備して、市民住宅として貸し出すのである。もちろんそれには農水省並みにしっかりと公的助成金を入れるのだ。

都市の中心街には、もともと文化施設もあれば商店も病院も役所もあって、暮らすのに便利である。それらの施設がなくなってしまった農村部や郊外部に暮らす人たちが、このクラインハウスを第2の家として暮らせば、高齢者の医者通いも買い物も都合が良いし、空洞化しつつある中心街も活気が出るに違いない。

今、農村部は存続が限界に近い状態になりつつある。存続のために農業政策としてクライガルテンがあるにしても、全国どこの農村でもクライガルテンをやれるわけはないのだ。望まなくても限界を超えて消えていく村が次々に出てきているのが、世の現実である。

これを地域活性化に失敗した負け組みとしてはならない。だって、負け組みのほうが勝ち組よりはるかに多いはずだ。そこから消えていく人々は、街に移っているのがほとんどだろう。それには、どれだけ政策の手が差し伸べられているのか、ほとんどないであろう。

多分、街にいる息子や娘が引き取るのであろう。まったくの自助努力である。もちろん少ない公営住宅に入る人もいるだろうが、この集落撤退のための 特別政策が、今の時代にないのがおかしいと思う。

この人々が幸せに街に移る政策こそが、今は必要なのである。それが滞在型住園である。老人夫婦が安全で便利に暮らせればよいから、一つの住戸は大きい必要はない。農園と違って 市街では管理からして共同住宅がむしろ良いだろう。公共団体が土地を借り上げて作り、安価に貸し出すのである。

中心街に空き地を抱えて税金だけ払っていた人は、これでその土地が生きることになる。

この住園の利用者は、ここで都市生活のステップを歩みだすための研修の場にしても良いし、しばらく暮らしてみてうまく行かなければ戻っても良いだろう し、別の街のクラインハウスに暮らしてみるのも良いだろう。

若いうちからここと農村や郊外の自宅を行き来していれば、第2のコミュニティもできているから、年を取ってから急に移った街なかでの生活に戸惑うこともな く、円滑に生活圏を移すこともできる。

農林省の政策でやっているのだから、同じ日本の政府なら都市でだってできないことはあるまい。政策をやる気があるかどうかだけである。

こうして都市の中心街は暮らしの場として復活する、、はずである。都市政策も農村政策に学んではどうか。(20080925)

関連ページ→

「現代の白河の関」アイデア コンペ入選提案(2010年5月)

地域の縮め方閉じ方を研究したい 2007

小布施、須坂、会田宿:信州は伝統街並みの宝庫

参照⇒

「中山間地論」(まちもり通信:伊達美徳)

「まちもり通信」(「伊達美徳)