軽装備再開発の必要性と実現の方向

軽装備再開発の必要性と実現の方向

2004

伊達美徳

1.再開発今昔

(1)生き残る長屋型共同建築店舗

大阪は中小企業の街である。1961年に社会人となった筆者の初めての仕事が、大阪都心部の鉄鋼問屋街で、耐火建築促進法による防火建築帯の現場監理だった。四軒の木造建築の店舗付き住宅を、敷地はそのままに構造体だけを連続する3階建て長屋型共同建築にしたのだった。

戦後再開発の初期の典型的な共同化方式で、全国各地で進められて後に防災建築街区造成事業、市街地再開発事業へと進展するのである。

翌年に転勤したのでその後見ていなかったのだが、一昨年、もしやまだあるかと訪ねたら、あった。あれから40年、一軒は商売換えし1軒はアルミのカーテンウォールに取り替えているが、いまも商売をしているのだった。

おりしも心斎橋そごうデパートは取り壊しで閉店したので、中小企業は生き残る、長屋型個別外向き店舗は生き残ると、ある種の感慨を覚えたのであった。

群馬県太田市は北関東の有数の工業都市である。その中心街にある東武線太田駅南口商店街は、防災建築街区造成法による長屋型共同建築で1970年にできた。

北関東各都市の中心商店街はどこも衰退が著しく夜は特に寂しいが、ここは逆に、特に夜になると賑わいに満ちる。地域随一の風俗系歓楽街になっているからだ。オープンしたときは立派な街並みの中心商店街だったが、今は夜の街に変身して生き残りを賭けている。

当時の設計担当者として思い出せば、商店は中身が変転するからと、構造体はしっかりつくったが外壁と間仕切りは容易に改変可能にしておいたのであった。それがそれなりに生き残りに貢献したのかと、ここも30年ぶりの訪問でほろ苦く思ったのであった。

全国各地の中心街を訪れると、50年代から70年台にかけて建った長屋型共同店舗が今も街並みとして生き残る姿を見ると、郊外店舗攻勢の中でのけなげさに心を打たれるのである。

(2)破綻する巨艦一体型再開発

また一昨年のこと、北九州市の小倉を訪ね、駅前再開発ビルのキイテナントそごうの経営破綻による撤退後のビルの無残な姿におどろいた。そして昨年、その隣の黒崎駅前駅の再開発ビル会社が、竣工開店1年もたたないのに破産宣告という事件があった。

「そごう」に代表される一連の大規模流通業の破綻は、かなりの数をそれに頼ってきた再開発業界に大ショックを与えた。いっときの再開発業界と「そごう」の蜜月は大変なもので、巨艦でなければ出店しない方針で再開発事業に積極的に参画したので、事業者側も好機としてとらえてそれに乗ったのである。

そしてまさかの事件が起きて、各地に駅前巨大空店舗ビルが出現した。

だが、あまりに巨艦過ぎて、その後釜となる大型店が簡単には見つからないばかりか、再開発特有の区分所有ビルの複雑な権利と管理運営システムが、後釜テナントの出店を躊躇させる。

実はオイルショック時にも似た事件がたくさんあったが、バブル景気がやってきて後釜登場で生き残ったので、つい忘れていたのだ。だが今度は後釜もつぶれて、もう生き残れない状況になっている。それは保留床処分方式による事業の頓挫という、進行中の事業をストップさせたばかりでなく、巨艦複合一体型で建築してしまった再開発ビルのハードウェアとソフトウェアにも潜在していた問題が露呈したのであった。

建築防火帯や防災建築街区時代の隣組同士の長屋型共同建築が、それなりに地道に生き残る姿を各地に見ると、市街地再開発事業時代の大規模運命共同体型共同建築のドラスティックな生死については、考えこまざるを得ないのである。

2.新たな再開発を求めて-軽装備再開発とは-

(1)連携型再開発へ

ここでの論考は、都市再開発法による市街地再開発事業を中心とするが、広い意味での市街地の再開発についても諸課題と今後の方向を考えてみたい。

考え方の中心は、これまでの再開発のもつ大規模化、巨艦化志向への反省である。再開発事業の破綻が起きているのは、不況化の経済現象であることも確かだが、筆者はその前に、再開発への取り組み精神の変化や基本的なシステム構築に問題があったと考えるのである。

70年代に終わる防災建築街区時代までの共同建築においては、その建築主たちは自主事業をしていたのであった。自主的に共同し、自主的に財源を確保し、それに補助金を載せて自分が事業をしていた。

ところが、80年代からの市街地再開発事業は、地価の高騰がおきて土地さえあればなんとかなる不動産事業となってきて、自主事業を放棄してキイテナントやデベロッパーに頼り、保留床処分金に頼るから勢い大規模主義となった。

巨艦を支えるには、もとももとの権利者たちの施設群がある上に、保留床で大型店舗をはじめ多様な施設を数多く取り込むことになり、多元的複合とならざるをえない。

それを効率よく動かすには一体システムにしてしまうのがよいので、いきおい単体巨艦となる。再開発を促進する諸制度もその方向で支援する。共同建築的に共同化すればするほど補助金が多くなるのはその典型である。

だが、機能、権利、時間、空間の巨大複合システムの中で、最も大きな要素であるキイテナント機能が停止してしまった。一体的システムにしているから、他の機能もすべてが停止する。

商業コンサルタントは、店舗は個別よりもキイテナントと一体的経営が良いから、権利者店舗も内向きにせよと指導してきたが、そのキイテナントに頼るシステムが破壊した。

それでも生き残っているは、巨大システムに背を向けた独立独歩経営の外向き店舗であることに気がつくのである。

つまりここでは巨大一体化システムではなく、複数の小さなシステムの連携によって成り立っているために、一部のシステム破綻が起きても他に影響が小さくて済むのである。これを「連携型再開発」と呼ぶことにして、この方向への再転換を考えるときが来ている。

(2)自主型再開発へ

再開発事業は、その事業採算性を問われるのも当然である。商店街を蝕み景観を破壊する巨大再開発反対と叫んでも、それだけで方向を変えることはできない。その事業性への対応も重要な課題としてとらえておかなければならない。

市街地再開発事業の基本システムとして、短期局地採算型「不動産屋再開発」の保留床処分型に固執する限りは、巨艦型にするのが最も適しているのである。高度成長からバブルにかけての地価高騰で、そこに権利者総不動産屋となってきた経緯がある。

もしも巨艦型でなくて事業採算が成立しているとすれば、公共投資が潤沢になされているケースである。道路特別会計の額が大きいとか、公共公益施設を高額保留床としたなど、つまり不動産事業ではなく公共事業的色彩が強い場合であった。その公共のてこ入れも、財政的にかなわない時代となった。そうなると再開発は絵空事だろうか。

しかし思い起こせば、耐火建築促進法や防災建築街区造成法時代の長屋型共同建築は、保留床処分はなく、建築主たちは住宅金融公庫借り入れなど自主財源で、自らが事業を行っていた。筆者もその支援で、建て主と一緒に公庫に通ったものである。

いわば、権利者自らが自らの力の範囲で、まさに身の丈にあった再開発でまちづくりに貢献していたのである。これを「自主型再開発」と呼ぼう。

今はその当時よりもはるかに豊かな時代であり、金融事情も緩やかである。自主型再開発に立ち戻ればよいのである。政策も自主型再開発を厚く支援するように、方向転換する必要がある。

(3)軽装備再開発へ

別の視点からの新たな再開発の方向は、これまでの巨艦であればあるほどに、あれもこれもと重装備にならざるを得なかった再開発を、中小規模建築物あるいは小さく完結性のあるいくつかのシステムが相互に連携して、全体としては計画性を持つ軽装備な再開発とすることである。

そこで「軽装備再開発」とは、「身の丈再開発」「小回り再開発」及び「使い回し再開発」という三つのテーマをもって考えることができる。

これは全体としての大規模再開発を否定するものではなく、大きなポテンシャルのある地域では大規模な再開発もあるし、そうでないところはそれなりに、というものである。大規模でも、いくつかに独立するシステムに分節しながら連携しあって、そのひとつひとつは身の丈にあわせ、小回りをきかせ、使い回しをしてはどうかということである。

(社)全国市街地再開発協会では、2001年から02年にかけて「軽装備再開発に関する検討調査」を行っている。そこで軽装備再開発の概念として、軽装備の必要性を、計画・設計上の概念からの必要性と、事業成立性からの観点からの必要性の二点から目配りをしつつ、外向き店舗、低容積率、既存建築物活用の三つのケースに着目して検討をしている。本論考は、筆者も研究メンバーとして参加した上記検討調査によるところが大きい。

①身の丈再開発

これまでの市街地再開発事業には、人口増加・高度成長時代のコンセプトが脈々として流れていた。

だからこそ地方都市でも巨大都市でも高度利用であり巨艦主義であったのだが、高度利用・巨艦主義は一部巨大都市のみのことであり、地方都市にはすでにあてはまらない。これから人口減少・安定成長時代となれば、当然変わらざるを得ない。

その地域ごとのポテンシャルに見合った再開発コンセプトが必要である。それを「身の丈再開発」(suitable redevelopment)と呼ぼう。

上記の検討調査における「低容積率再開発」はこの身の丈再開発のひとつであり、小規模な再開発事業や修復事業を連鎖的に進めていくのも身の丈再開発である。密集市街地の再開発はこのような方式となるだろう。

そのためのインセンティブ政策も必要である。たとえば高容積高層化を押さえる必要のある地域環境の場合は、倉敷市の美観地区背景条例による高層建築抑制策のように、自主型再開発地区の空中権を公有化する施策はいかがであろうか。

②小回り再開発

上に述べた巨艦型一体システム型再開発ビルの多くは、実はキイテナントに依存しているので、その経営破綻でシステムが立ち往生してしまったのである。キイが破綻するとそれに依存していた内向き共同店舗全部が、同時に閉鎖に追い込まれるというソフトゥエアの破綻が露呈した。

そのような時でも意外なことに、一階外向き店舗は命脈を保つのであった。それは巨大システムの外にあるからである。巨大複合システムは、地震のような災害ではハードウェアとしても弱いのである。

こうしてみると、長屋型店舗や分棟建築のように機能ごとに独立性を持ち、施設も権利関係も複雑な複合をさけて、変化に対応しやすく小回りの利く方式をとることが必要と判るのである。これを「小回り再開発」(adaptable redevelopment)と呼ぼう。上記検討調査の「外向き店舗再開発」は、この「小回り再開発」のひとつである。

③使い回し再開発

さらに21世紀型とも言うべき再開発のコンセプトには、地球環境あるいは地域環境といってもよいが、巨大開発が及ぼす環境問題を考え直さざるを得ない時代となっていることがある。

再開発地区内の既存の建造物をすべて取り壊して、新たに異なる環境として建造し直してしまう市街地再開発事業のこれまで主流は、廃棄物の排出、エネルギー浪費などの環境問題に対処するために流れを変えていかざるをえないことになる。地域のそれまでの環境を、どう維持し育てるかの視点が必要となる。

たとえば、まだ使える既存建築物を修復して使うこと、取り壊した建造物を建設材料として再利用すること、既存の樹林や水脈などの都市自然環境を維持すること、地域景観を保全することなど、今あるもので使えるものはできるだけ使うのである。

そしてできあがる建築物等も、機能の経済的寿命に対応すること、機能の固定化を避けて転用性を持つこと、所有者の異動を円滑にすること、機能転換にできるだけ耐えるようにしておくこと等が必要である。

これは「使い回し再開発」(preservable redevelopment)と呼ぼう。上記検討調査の「既存建築活用再開発」は、この「使い回し再開発」のひとつである。

できあがる施設も分譲型よりも賃貸型のほうが使い回しがしやすい。特に、これまでないがしろにされてきた都心型公共賃貸住宅は、高齢社会における使い回し再開発のエースとして期待される。

3.既存建築物の活用のあり方について

ここでは上にあげた軽装備再開発の「使い回し再開発」のうち、再開発地区に存する既存建築物を、再開発事業で取り壊すのではなく、再開発後も積極的に保全活用する場合のあり方について、特に論考を加えることにする。

(1)飯田市橋南再開発に見る既存建築保全の工夫

①土蔵の保全活用

長野県飯田市の橋南第1地区市街地再開発事業(2001年完了)において、地区内にあった木造土塗り壁の蔵1棟を再開発事業の中で保全活用した。

飯田市は地域の経済中心の商都として栄え、とくに橋南地区には豪商たちが大きな店を構え、店の裏には火災に備えて倉庫としての土蔵をもっていた。

ところが1947年の大火でほとんどの立派な商家群の町並みも失われた。その中で土蔵はその役目どおりに猛火をかいくぐり、更に引き続く土地区画整理事業でも取り壊されなかったものがあり、いまの中心市街地に生き残った約30棟を見ることができる。

橋南再開発地区内にも2棟の土蔵建築があり、その権利者たちにとっては思い入れのある建物であった。飯田市の地域文化資産として公開したいと、事業の中で保全活用方策の検討が行われた。1棟は地区内に元の位置に、もう1棟は隣接地に曳家し、それぞれ修復して保全されコミュニティ活動の場として生き返っている。

建築基準法上は、本棟2,3階に設けた公共施設の付属屋として別棟あつかいとした。権利変換計画では、地区内の土蔵の権利は転出として、事業の中で施行者が修復し、飯田市の権利床として権利変換した。

この事例は、木造の土蔵を地域の記念的な建築物として、地域の中で評価して保全活用したものであり、文化財保護法のような法的な保存施策の外にある建築物の保全であった。

このような法的保護下には置かれないが、地域としては記念的な文化資産を保全のためにどう評価するか、そこにこのような建築物がおかれている不安定な運命がある。

たとえ文化的記念物でなくとも、まだまだ使用に耐える価値ある建築物である場合は、さらにその保全の意義を認めることが難しいともいえる。そこで、わざわざゲリマンダー的に地区外とすることで保全するという、いわば奇策がとられた例もある。

②既存店舗の保全活用

もうひとつの既存建築物保全活用は、再開発事業地区に隣接する宝石店の既存店舗である鉄骨構造3階建ての建築物を保全して、再開発に施設建築物と一体的に建築したことである。

飯田市一番の繁華街の銀座通りに面する宝石店の店舗は、表半分は既に3階建ての鉄骨造であり、裏半分は木造であった。この権利者は、銀座通り面する鉄骨造部分は利用継続したいので再開発には不参加、裏の本町通り側の木造部分は参加し、不参加部分の店を拡張する形で再開発ビルに権利床を取得した。

宝石店は店の拡張ができて本町通り側にも店の顔を出し、再開発ビルと一体となってブロック全体として比較的整合が取れている。

建築基準法上は、地区外既存鉄骨造店舗の増築として市街地再開発事業の施設建築物を建設した。建築基準法上の建築敷地と再開発の施設建築物敷地とは異なる。

この事例は、まだまだ使用に耐える既存建築物が、再開発となれば取り壊しとなる運命を、再開発地区外にして再開発ビルと連携させたことで保全活用したのである。

奇策ともいえようが、このような事例は、名古屋の丸の内地区再開発においても行われた。再開発地区に隣接する木造神社建築の余剰容積率を、再開発地区に移転利用して、実態的には一体再開発、制度上は別にした。木造神社の保全と再開発地区の耐火用件との競合から、当初の予定を変えて地区外としたのであった。市街地再開発事業の要件を満たすように、いわば特殊な工夫をしているのである。

そもそも、既存建築物の保全活用が、そのような特殊な方策でないと実現しないのでよいのであろうか。

飯田市橋南再開発で保全活用した土蔵も店舗も、その保全に十分に意義があるが、そのための助成策があるわけではない。

名古屋丸の内では再開発の制度側からは邪魔者あつかいを奇策で乗り切ったが、それとても周りはすべて耐火建築のなかにある小さな木造建築になんの問題があるだろうか。

(2)建築保全活用のための社会的、制度的課題

建築物のライフサイクルは、近年になって加速度的に短いものとなりつつある。その原因は、ひとつにはバブル期の再開発のように土地さえあればという風潮の都市開発の進行であり、もうひとつは建築設備系の陳腐化と地震対策がその短命化を推し進めている。

解体新築開発のコストとインカムの差が、修復保全活用のそれよりも上回る状況がある限りは、この傾向は続くであろう。しかし、地球上の資源やエネルギーの無駄使いを少なくするという観点からの環境問題が大きくうたわれ、その法整備が進む状況下では、いずれ既存建築の解体処分コストが保全コストを上回るときが来ると見られる。

もう一方で、建築物に対する文化的な価値を認める傾向がほとんどない今の日本社会では、特に保全は市街地再開発事業にかぎらず難しいことである。再開発が不動産事業である限りは、文化と相容れない面が強い。歴史的な記念すべき建築物でも、修復すれば更に寿命が延びて使用可能なビルでも、ほとんど同じように取り扱われる。

歴史的町並み保存地区が観光資源としてインカムをもたらすとき、初めて建築が“儲かる文化”として認識されるのが現状であり、市街地再開発事業のように高度利用による不動産インカムを図ることが前面に押し出されるとき、よほど特別の保全インセンティブの仕掛けがない限り既存建築の保全・再利用は難しいのが現実である。

歴史的な価値を認定された文化財的な木造建築物は、特殊解としてのみ保存を可能としているのであるが、その特殊解になりにくい建築物ならば、それがいかに美しくても、地域にとって記念的であっても、あるいは個人の特別な思いが込められていても、まだまだ使用に耐えるものでも、事業による消滅をまぬがれない。

基本には古い建築を保全すること、あるいは風景を保つことについて、思想的な課題がありそうである。

都市防災は、単体としての建築物をひとつひとつ不燃化することを基本として、実現してきている。それはそれでもっともであるとしても、一方では立派な建築でも木造であるがために、防災の名のもとに取り壊されてきているのはなんとかならないものか。

名古屋丸の内地区に見るように、小規模木造建築の周囲はすべて耐火高層建築となっているような状況下では、総合的な判断で木造保全も可能と思われる。

たとえば、市街地再開発事業は都市計画として事業を行うのだから、木造建築物がその一部にあったとしても、都市計画で街区として防災措置を講じることで保全を可とする集団的な制度を整備するべきであろう。

高度利用地区における小規模建築の扱いに関しても、現今の消極的対応ではなく、地区全体としての積極的対応も必要である。

既存の社会資産としての建築物を活かして再利用しつつ、より環境の良い安全な市街地を作ることが経済的にもなりたちうるならば、無理に建て替え更新する必要はない。

権利変換計画における既存建築の評価方法、既存建築物の権利変換方法、保全修復費用の補助制度の充実、建築物地域資産としての資産価値づけと助成策など、制度的に見直すべきことは多い。

(3)最近話題の再開発事例に見る文化財的保全

横浜北仲通り再開発が最近完了して、超高層ビルとその足元に旧第一銀行の洋風クラシック建築が再現した。

そこはアートプロデュースのNPO団体が運営するイベント会場で、新たな息を吹き込まれた市民施設となったのである。近くにある同様の石造りの元銀行建築が市民活動団体の拠点となっているが、これと連携する場となっていることも、まちづくりの戦略があることを高く評価したい。飯田市の土蔵もNPOが運営している。

歴史的建築物の保全活用による容積率割り増しの適用をしているが、とくに保全のための財源助成はない。再開発事業において積極的に既存建築の保全に取り組んだ事例としては初めてといってよいであろう。

元の銀行建築の一部を解体して再建したのだが、実はかなりの部分は新材料で造っているようだから既存建築の保全というには若干の疑問もあり、かなり巨額投資もされているので、軽装備再開発とは言い難い事例である。バブル期の企画、道路特別会計の投入、横浜市の文化芸術創造都市政策などが後押しをした幸運な例であろう。

古都金沢の武蔵が辻第4地区再開発において、村野藤吾設計の銀行建築の保全活用が検討されているそうである。近代モダンデザイン建築の保全事例として期待している。

もうひとつの話題は、東京駅丸の内赤レンガ駅舎である。市街地再開発事業ではないが、東京都心の大手町から丸の内、有楽町にかけての広い地区を大規模な容積移転制度を使って再開発する計画の中にあり、建て直された丸ビルもそのひとつである。

東京駅赤レンガ駅舎は、1914年新築、45年戦災炎上、47年改装修復して現在に至っている。全体改築計画が何度も取りざたされたが、1988年国土庁等の調査で「現在地において形態保全」する方針が定まった。昨年、重要文化財指定でその保全は確定したので、都心の記念的建造物は安泰となったことを喜びたい。

しかし、問題はその保全方法である。その余剰容積率を周辺地区に移転(販売)して、経済的価値の回収と保全修復費用の調達を行うとのことである。せっかくの赤レンガ駅舎は、周りでそれぞれ勝手に競い合って林立する超高層ビルに踏みつけられて谷間にあえぐ景観となるであろう。

さらに問題は、戦災前の姿に復原するとされたことである。文化財は復原するのが本来だとの論理だろうが、それはおかしい。戦争直後の極端な物資不足時代に、あれほどの姿に修復した当時の努力を無にしてはならないし、その今の姿は十分に美しい。下半身は戦前の、上半身は戦後の姿を持っており、東京における唯一ともいえる戦争記念碑として広島原爆ドームに匹敵する意義を持つ記念碑であることを忘れてはならない。

今の姿を東京駅として眼と脳裡に刻んできた歴史を、今に生きる私たちは持っている。それを文化財復原の美名?のもとに消滅させて、わが心の風景を破壊してほしくない。

風景を保つことは、文化を保つことであり、風景や文化は物体に宿るととしても、実はそれを認識する人間の心のほうに宿っているのである。

再開発における既存建築の保全活用には、その意義と論理をしっかりと構築することも必要な時代となっている。

(だて よしのり 都市計画家 伊達計画文化研究所)

注:本論考は、「市街地再開発」(2004.4月号 (社)全国市街地再開発協会発行)に掲載した。