東京駅復興(その3)東京駅赤レンガ駅舎の復原の意味するもの

東京駅復興(その3):未完

東京駅赤レンガ駅舎の復原の意味するもの

伊達 美徳

●東京駅赤レンガ駅舎はなぜ重要文化財指定になったのだろうか

2003年4月、東京駅赤レンガ駅舎を文化庁は国の重要文化財に指定した。その指定に関する文化審議会答申の報道発表資料のうち、当該部分を紹介する(文化庁サイトより引用)。

『重要文化財指定(建造物)文化審議会答申 平成15年4月 文化庁

・ 文化審議会(会長 高階秀爾(たかしなしゅうじ))は,4月18日(金)に開催される同審議会文化財分科会の審議・議決を経て,新たに,8件の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申する予定である。

この結果,近日中に行われる官報告示を経て,重要文化財(建造物)は 2,238件、3,806棟(国宝を含む)となる予定である。(中略)

・今回の指定の意義・特筆すべき事項

今回新たに指定される建造物(予定)のうち,東京駅丸ノ内本屋(ほんや)は,首都東京の中心に位置し,「赤レンガの駅舎」として国民に広く親しまれてきた歴史的建造物である。煉瓦造による建築としては最大級の規模を有し,わが国の明治・大正期を代表する建造物のひとつである。

今回の指定は,都市再生が進みつつある中心市街地における歴史的建造物の保存活用のあり方に,新たな方向を示す画期となるものといえる。(中略)

・名称:東京駅丸ノ内本屋 棟数:1棟 種別:近代/その他

・所有者:東京都千代田区 東日本旅客鉄道株式会社

・特筆すべき事項:煉瓦造で最大規模,首都東京を象徴する建築

東京駅丸ノ内本屋は,皇居から東へ一直線に延びる通称行幸通りの正面に位置している。

明治41年3月25日着工,大正3年12月14日に竣工した。設計は辰野金吾で,辰野葛西事務所によって実施案がまとめられた。

南北折曲り延長約335mに及ぶ長大な建築で,中央棟の南北に両翼を長く延ばし,建設当初は,地上3階建であった。建築様式は,いわゆる辰野式フリー・クラシックの様式になる。

東京駅丸ノ内本屋は,わが国鉄道網の起点となる停車場の中心施設であるとともに,明治の市区改正計画に基づき建設された首都東京を象徴する貴重な建築である。

煉瓦を主体とする建造物のうち最大規模の建築で,当時,日本建築界を主導した辰野金吾の集大成となる作品として,価値が高い。

・指定基準=意匠的に優秀なもの,歴史的価値の高いもの。(以下略)』

この指定名称は鉄道事業者流の「東京駅丸ノ内本屋」としているが、ここでは通称の「東京駅赤レンガ駅舎」の言い方で通すことにする。

このような建築物の重要文化財は、文化財保護法にもとづいて文化庁に設置している文化審議会が答申することで国が指定する。

指定の基準は、建築物、土木建造物及びその他の工作物のうち、次の各号の一に該当し、かつ、各時代又は類型の典型となるもので、(1)意匠的に優秀なもの、(2)技術的に優秀なもの、(3)歴史的価値の高いもの、(4)学術的価値の高いもの、(5)流派的又は地方的特色において顕著なもの、となっている。

東京駅赤レンガ駅舎は、このうちの(1)意匠的と(3)歴史的の基準を満たしており、かつその時代又は類型の典型となる建築物として、重要文化財指定にしたというのである。

この東京駅赤レンガ駅舎の歴史的価値とは、どのような点なのか興味深いし、その他の(2)技術的や(4)学術的あるいは(5)流派的又は地方的特色に当てはまらないとしているところが、なぜそうなのかも興味深い。

そこで文化審議会がこれを答申するときの文化財分科会でどのような審議されたのか、審議会議事録をみたいので、文化庁ウェブサイトの中を探したが、議事要旨として議題に毛の生えた程度のものしかない。

文化庁担当官に直接に電話で聞いたところ、文化審議会は秘密会となっているので正式議事録は公開できないとのことで、情報公開請求にも応じられないとの回答であった。

文化審議会とは、そういうものなのであるかと、なにか不思議である。そうなれば勝手に類推するしかない。

指定答申に解説的に書いてる文を読むと、『「赤レンガの駅舎」として国民に広く親しまれてきた歴史的建造物』とまず歴史的な評価をしていることに注目する。

広く親しんだ国民とは、主として今生きている国民のことだろうとおもうが、その親しんだ赤レンガ駅舎とは、もちろん現在の形態を言っているに違いないだろう。

『今回の指定は,都市再生が進みつつある中心市街地における歴史的建造物の保存活用のあり方に,新たな方向を示す画期となるもの』とする一文にも、現代都市の中で保存活用の新たな方向を示すとしているのだから、これまでのような復原保存一点張りではないぞ、と、読んでも良いだろうか。

しかし後段になると、市区改正、辰野金吾等と建設当初のことばかり書きつらねて歴史的価値を述べるのである。

戦後の改造のことは、『建設当初は,地上3階建であった』とこれはまた実にあっさりしたもので、何の歴史的評価も与えていないのである。あれほどの大事件の成果に一顧だに与えないのも不思議といえば不思議である。

実際の審議会ではこの戦後改修についてどう考えるのか意見がでたのであろうか。

2003年の初め頃には、多分、復原方向がほぼ決まっていたと前後の諸事情から推定できるので、復原を前提にして重要文化財指定することにしたのだだろうと、これも推定するのである。

このあたりがよく理解できないのだが、もしも復原前提での重要文化財指定もあるとすれば、復元する三菱一号館についても重要文化財指定をするのだろうか。

とすれば京都三条の元勧業銀行ビル(もとの様式建築と外観をそっくり建て直した)もそうすることができるのだろうか。

なるほど考えようによっては、昔あった建物のコピーでも、歴史的景観を保全しあるいは創造するので意匠的価値も同じだから重要文化財なのだろう、と、ムリヤリ思うのも何かがおかしい。

栃木県に時代村という娯楽施設があるがあれも文化財の端くれになるか、東京ディズニーランドも大阪のUSJもそうなるかもしれない。それはそれで面白いが、さすがにこれは可笑しい。

東京駅赤レンガ駅舎だって、3階から上はコピー建築になるのである。重要文化財としては現在の形態で指定したのであるから、3階を復元するには重要文化財の改変となる。

それには文化審議会のOKが必要だが、いつそれを通したのだろうか。そのときの審議会の議事内容も知りたいが、知りようがない。

1947年修復の東京駅赤レンガ駅舎よりも新しい建築が重要文化財になる時代だから、今の形態のままで重要文化財であることに何の不思議もないはずだが、そこのところは審議会委員はどうお考えだったのだろうか、聞いてみたい。(071212)

●復原にあたって戦災からよみがえった現赤レンガ駅舎をどう評価したのか

東京・丸の内にある東京駅の、赤レンガ駅舎復原工事が始まろうとしている。正式には2007年5月30日に着工したそうだが、まだ現物の調査と地下工事をしているとかで、外には囲いもしてないから目には見えない。

もうすぐすっかり覆われるのかもしれないから、2つの大戦記念碑としての貴重な現在の形は、そろそろ見納めになる。ああ、日本の悲劇の重大な記念碑が消える、もったいないことだ。今のうちに見ておきたい。

2007年7月10日に、『丸の内駅舎の復原と東京駅周辺整備計画』と題して田中正典さん(ジェイアール東日本コンサルタンツ㈱)の講演があり、聴きに行った。

東京駅の歴史から順に説き起こして、復原工事にいたる過程を丁寧に、淡々と説明していただいた。興味ある話の中で特に印象として残ったことは2つあった。

ひとつは、柱型のキャピタルやエンタシスの説明で、

「3階のキャピタルを2階に付け替え、エンタシスを作り直すなど、仮建築とは思えないほどに実に丁寧に作り直しているのです」

と評価されたことである。田中さんの本音か思わずであろうか、わたしが言っているように、これは仮設と口ではいいながら実は本格的な設計であったことを漏らされたのであった。

もうひとつは、

「現在の形態が戦後の永きにわたって親しまれてきてきたので、その形で保存せよという意見が出るかと思っていたが、それはほとんどなかった」

ということだった。

この「意見が出る」とは、一般市民からの意見(わたしの意見だが)も含むのか分からなかったが、少なくとも伊藤滋委員会は復原ありきだったことが分かった。

へえ~、そういうものなのか、と、ある種の不思議な気分になっている。現況保全の意見を唱えるわたしは、よほどの変わり者なのだろうか?

この講演会で、北大の越沢明さんが会場から、設計者の辰野金吾ばかり持ち上げているようだが、この東京駅の実際の事業者である当時の鉄道院総裁・後藤新平にはどう評価を与えているのか、と指摘があった。

わたしとしては、戦災復興当時の実際の設計者である鉄道省建築課長・伊藤滋(同姓同名の都市計画家・伊藤滋氏と間違えないように)を、どう評価しているのだろうか、と言いたい。JR東日本や関係委員たちは、建築学会会長も勤めたこの国鉄の大先輩建築家に一顧だに与えないで、ただただ辰野金吾さまさまなのか。どうも解せない。

現駅舎とその設計者を評価する気配がどうもないようだから、わたしがこれから書いておくことにする。(2070712)

注:この稿はつづきを更に書く予定の未定稿である。特に、保全か開発かで議論して、保全するという大きな方針を決めた1985年の八十島委員会の議事録までさかのぼって論考しようと思っているが、7年経ったいまだに手がつかない。そろそろ書かないと、ボケが進んで書けなくなりそうだ(2014年7月16日)