古河:良いところを隠している歴史の街

古河:良いところを隠している歴史の街

(9906:日本都市計画家協会古河キャラバンプレイベントレポート)

伊達美徳

わたしは、時々実験します。初めての街を訪ねるとき、そのまちの予備知識をわざと仕入れないで行き、まずその街の中心であると思われる駅前の降り立ちます。観光案内所を探して、そこで街歩きの地図をもらいます。貸自転車があれば、それで街を回ります。

ところが、たいていの街で大不満なことは、地図がまるでなっとらんことです。

スケールも方位もでたらめ、手書き原稿の印刷で汚い読みにくい、うっかり信用して歩いていると遭難しかねないものもあります。

おかしいのは、日本全国どこの街でも同じようなでたらめ地図なのです。不思議でしかたありません。

まだ、前置きを書いているみたいですが、じつは古河もその例に漏れないということで、もう本文に入っています。

どこの役所にも国土基本図として、2500分の1の詳しい市街図を備えているのに、観光地図に生かしているのに出くわしたことがありません。

古河でこの次に地図を作るときは、ぜひともそれをベースにして、上手に見易く歩きやすく作ってください。

そのとき、街を知っている地元の人がいけません。知らない人がつくってこそ、街歩き地図になります。

では、その頼りにならない地図を頼りに、これから街巡りに出かけましょうか。

駅前にはなんと、大型店下駄ばきの超高層マンションが建っています。駅前再開発の典型的な姿が見えています。歴史の街になんで超高層、なんてやぼは言いっこなし、これがあるから、いつも街中から駅の位置、つまり自分の今日の帰る方向が分かって、誠に都合がよろしい。これがランドマークです。

実際のところ、商店街のつきあたりに、寺院の鐘楼の向こうに、神社の桜の花ごしに、土蔵の屋根越しにと、この超高層を眺めたものですが、時代の重層性を視覚として楽しませてくれました。

ここも駐車場あそこも空き地、あっちににお寺こっちに神社と見ていくうちに、突然に道路がぶっつり途切れている所に出ました。都市計画道路の建設中でした。うーむ、こうやって古河は中心部のまちづくりをがんばっているのだな。

地図を頼りにしないで北よりに道をとれば、横町なるコミュニティモールにでました。うむ、やっとるやっとるてなもんです。それなりに頑張りがみえてよろしい。

更に北西にふらふらと進めば、ここいらはなんだか高級住宅地のよう。道のスケールと町並みの落ち着き方、時には武家屋敷のなれの果てらしき塀が続いたりして、ここはなかなかによろしい。狭い道ながら交差点にイメージハンプらしきデザインをほどこしてあります。

で、 ここはどこだろうと観光地図を眺めても、お薦めも案内もありません。町並みの雰囲気を楽しみながら更に西に行けば、突きあたりは神社らしいが、これまた桜の花盛り。

雀神社とは珍しい名前で、まさか麻雀の神様ではありますまい。花の下の宴会の一団がうらやましい。花のトンネルも素晴らしい。でも地図にはない。

美しい町並みと、花盛りの神社、このとりあわせが古河の素晴らしさだと、一人合点しながら南に曲がると突然出現、何やらバブル時代らしきデコンストラクション建築。これまで取りそろえてくれるのか、古河はー。

気をとり直してまた、あちこちの神社仏閣にひっかかりながら、町の中心に向かう。

煉瓦と大谷石の蔵が並んでいるのを発見。まん前の駐車場でパチパチ撮影していると、勝手にひとの土地にはいって写真撮るなあ、怒られてしまいました。

あやしいもんじゃありません、都市計画をやっている者ですが、あまり美しいのでつい、、といいわけしたら、古河市の役人かと更に怒られそうになる。いやいやただの観光客です、スミマセーンと逃げました。

どうも、都市計画やっているといったのが、市の役人ということになったらしいと、後で気がつきました。そうだろうなあ、都市計画家なんて、一般の人に分かってもらうには、まだ道遠いよなあ。

それにしても、あれはまだ若い人なのに、どうして妙に市に対立的な姿勢だったんでしょうか。あの美しい蔵の保存について、なにかモメごとでもあったんでしょうかと、余計な専門的かんぐり。

わがチャリンコは突然、てんこく美術館の前にでました。行きあたりばったりでも、それなりに見るべき所にでるのは、長年のまちあるき修業の賜物です。方向感覚だけは、動物的に自信があります。

河鍋暁斎はコンドルの絵の師匠として知っている程度ですが、実はなかなかの腕の工芸デザイナーでもあったのですね。電信柱図が一幅の掛け軸になっているのには笑ってしまいました。

中学生のてんこく展覧会には感心、こうして後継者は育つんでしょうか。私もてんこくやりたい。どこかで観光客向けに、即席に彫らせていただけませんかねえ。それを押したはがきを古河から出して、ほほう高尚な趣味をおもちですな、なんて言われたい。

てんこくは、そんなにお手軽なもんじゃありませんと、お叱りもあろうかと思いますが、そうおっしゃらずに、1、2時間ほど入門させてくださいませ。

ちかごろ産業観光(観光産業じゃありません)の研究をしていますが、てんこくという産業というか工芸が、古河の産業観光資源としての位置を持ちうるにはどうすればよいか、これは研究する価値がありそうです。

そのほかに古河の産業はなにがあるのでしょうか。古河特有の伝統産業、地場産業に限らず、なにか古河にしかない産業があれば、それを都市観光にとりいれたいものです。

たしかハリオというガラス会社の工場があるように記憶していますが、いかがでしょうか。あそこではガラス工芸もやっていますから、街中の蔵でそれを生かすことができればいいですね。

そろそろ昼も過ぎた、総合公園に行って飯だと、その方向へとまたあてずっぽうに細い道を選んで自転車をこげば、あちこちで土蔵、煉瓦蔵、造り酒屋、桜の大木などのぶつかって道草ばかり。こんな良いものをほとんど地図には載っていません。うーむ、古河では良いところは隠して見せないんだな。

おや、格好いい建物があると、見れば市役所。え、中心市街地活性化に精出している都市と聞いていたけど、市役所がこんな街はずれとはどうしたのもんでしょう。古河市で市役所は大集客産業だと思いますが、それが郊外SCみたいな立地でよいのでしょうか。

さて総合公園にたどりつくには、それなりに努力がいりましたね。地図見て考えたよりも遠かったのは、スケールにいんちきがあるせいですぞ。

この公園は中村良夫先生の総合プロデュースで、たしか造景という雑誌に詳しく載っていたのは知っていますが、わざと読まないできました。結論から言うと、総じてなかなか好ましいデザインでした。

最近どうも土木屋さんがデザインをしたがるのですが、その結果はこれ見ろ見ろとやりすぎて目のやり場に困っているのが多いのに、これはよろしい。

特に、どこから公園で、どこから民間宅地やら畑やら分からないのが、一番感心したところです。管理管理とうるさい行政なのに、よくやれたもんですね、拍手。

でも、ちょっと文句も言えば、橋が「やりすぎ」感あり、便所が「いかにも」感あり、というところでしょう。

さて公園はできたけど、これから植生の遷移に対してどのように対応されるのでしょうか。自然遷移させて風景の移行を楽しむのか、人工的に遷移ストップして現風景を保つのか、これからの風景の変化に誠に興味があるところです。

それにしても、今日は桃のお祭りなれば、昼日中からお酒も入れば、桃むすめも出るしと、まことに結構な公園でした。もっと街なかに近いといいのになあ。

わたしは古河の街は、これが初めての訪問でした。わが鎌倉から公方が逃げてきたところ、里見八犬伝に出てくるところ、そんな程度ですが、それがゆえに気になっていた街です。

今、本棚から八犬傳(馬琴ならぬ山田風太郎版ですが)をとりだして見れば、犬塚信乃と犬飼現八が芳流閣なる古河公方屋敷の屋根の上で闘う場面がありました。

それは観光案内図のどこなのでしょうか。それとも馬琴の創作でしょうか。

中世史の世界から、いきなり近代史へと頭がきりかわったのは、ゴルフリンクスから谷中遊水池を眺めたときです。

そうか、ここには田中正造の踏み跡もあるのでしたか。なんという奥の深い街でしょうか。