伊豆下田:街中を歩いて面白かった
伊豆下田:街中を歩いて面白かった
伊達美徳
1.山あての街
伊豆半島の南端部の港町、下田の旧市街地を歩いてきた。
下田の中心街は、周囲のほとんどを高い丘陵に囲まれている盆地地形である。南東部の港のあたりが丘陵が切れているが、全体から見るとほんの一部である。
街なかのとある四つ角から、ひとつの通りを見通すと、向うに鳥居が見えてアイストップになっている。その背景には山がこんもりと見える(写真1)。
同じ四つ角から今度は左に直角に目を転じて見ると、通りの向うに寺院の山門らしい大きな屋根が見て、その背景にもこんもりと山が見える(写真2)。
なかなかよろしい風景だが、できることならごちゃごちゃした人工物が、もうちょっとすっきりしているとよいのになあ、。
街の通りの眺めが、いわゆる「山あて」風景になっていて、方向感覚がはっきりする。わたしは盆地の育ちなので、このような山あての街を好きなのだ。
下田の街の周囲には特徴ある姿の丘陵がいくつかあり、山あて景観を作るには絶好の地形である。これらの丘陵は、多分、船から見る海の山あてにもなっていたのであろう。
2.暮らしのあるなまこ壁の家
下田は幕末の開港の町として有名であり、これに関する旧跡もあるが、わたしはそれにはあまり関心がない。
旧市街の中をぶらぶら歩けば、街並みに伊豆石となまこ壁を使った町屋や土蔵が、かなり多いのに気がつく。中には商店やレストランとしてきれいに修復して使っているものもある。
だが、なんといっても惹かれるのは、普通の生活の場として使っている町屋や土蔵が、街なかのあちこちに生きていることだ。生活がにじみ出ているのが、よそ者のぶらぶら歩きの目には実に楽しい(写真3)。
わたしがこれまで見てきたあちこちのなまこ壁は、たいていは建物の下半身に施してあって、上半身は白壁であった。
ところがここ下田では、下半身は伊豆石を積上げてあり、その上半身に頭のてっぺんまで、つまり屋根瓦の際までなまこの漆喰で平瓦を壁に貼り、中には屋根瓦さえも漆喰で固めている。 満身海鼠ハウスである。
この写真の家も、右の下屋に伊豆石が見えているから、本屋のモルタルを塗っている下半身も、実は中味は伊豆石であろうか。
3.面白いもの見つけた
今風の街並みの中のあちこちにちりばめられた宝石のような伝統町屋を見つけつつ、ぶらぶらと行けばところどころ四辻で、クランク状の筋違い道になっている。
突きあたりに、アイストップの建物が見えて、その左に見えそうで見えない行く手の道があり、その先をなんとなく期待したくなる(写真4)。
城下町にはよくあることだが、自動車交通には危険だとかいって、見通しよく直してしまっているところが多いのが惜しい。でも下田では、筋違いの道が健在で楽しい。正面が飲み屋なら、ついつい入ってしまいそうだ。
ふと電柱をみたら、町名表示板が奇妙なことに気がついた。
「下田市二丁目12」とある(写真5)。「下田市〇〇二丁目」と書くところを間違えて書き落としたのかと思った。
ところが別の電柱を見ると今度は「下田市一町目」とある。そのうちに三丁目にも出くわした。
どうも、下田には町名がないらしいのである。広い下田市全部をこの調子でやっていると「下田市百丁目」とかもあるのか、、まさか、、でも面白い。
小さな真っ赤な鳥居が、あちこちの通りの片隅やら家と家の隙間などに見える(写真6)。お稲荷さんらしい。屋敷神だったり、町の守り神だったりしているのだろう。ここにも生活の場としての伝統が生きている。
酒屋さんに入ると、昔のホーロー製の広告看板を展示している(写真7)。おお、見たことがあるような、懐かしいような。
下田公園の途中まで登って街を見下ろした。その坂の途中で見つけた、昔の手すりの柱である(写真8)。
左は下田妓芸組合、右は鳥吉楼と遊郭の名が彫ってある。多分、この坂の上にある下岡蓮杖の碑やこの階段などの整備費を寄附したのだろう。いつのことか知らないが、その 遊興の世界が繁盛していた時代のことにちがいない。
4.街歩き案内地図をなんとかしたらどうですか
今回はイベント参加だった。地元の方たちのご案内で歩いたので、街歩き地図(写真9)をいただいたが、必要なかった。
では、もしも案内者がいなくて、その地図をみながら知らぬままに歩いたとしたら、どうであっただろうか。これがもう全くの落第級の代物の地図である。
あの魅力的な街並み、まわりの特徴ある山並み丘陵、その下田の街の魅力がどこにも見えもしないし感じられもしないノッペらポー。これではご自慢のペリーロードはどこだ、どこが街なのだ、 今いるところは何通りなのだ、どこがあの特徴ある山なんだ、これをもってどうやったら楽しく歩けるというのか。
見たら街を歩きたくなるような魅力的な地図はできないのか。
だからといって、漫画だらけのイラスト地図がよいといっているのではないから、誤解しないように。方位縮尺は正確に、 大きさにより100~500mメッシュを入れること、土地の起伏や利用状況が想像できるように、そして生活感があふれるようにしてほしいのだ。
実は下田だけでなく、日本全国まともな地図に出合ったことがない。どこでも観光協会や市役所観光課に文句をつけているのだが、ちっとも聞き入れてくれなくて改善されない。
会津若松では地図を信用して街を歩いていたら、危うく遭難しそうになったこともある。わたしが仕事をしていた 福井県鯖江市では、地元に地図好きのコンサルタントがいて、わたしが気に入る地図を作ってもらった。
あ、そうだ、地図を作るのは地元の人でないほうがいいですよ、地元の人はよく知っていることは書きこまないからね。地図はその地を知らない人が、地元の人と一緒につくらなければならない。 そしてそれを持って、全くはじめての人に歩いてもらう実験をすること。
秘訣を言うと、役所にある2500分の1の地図を、ベースにうすく墨印刷して、その上にカラーで情報を載せていくのだ。
ああ、せっかく素敵な街なのにこんないい加減な地図とは、、、あ、そうか、わかったぞ、下田の人たちはこの街を大好きなのだ、外から変な人たちがやって騒いでほしくないから、わざとつまらない街として、分かりにく く表現しているにちがいない。これは高等作戦なのだ、、ウン、、。
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今回の下田訪問は、(NPO)日本都市計画家協会静岡支部主催の「街道まちなみ研究会・開港都市下田編」のイベント参加であった(2010年1月23日)。
地元のまちづくり活動に関わる市民や行政の方たちに、ずいぶんお世話になった。興味深い意見交換もしたし、楽しい宴会もあったし、2次会の大騒ぎもした。地元の方たちと、参加した仲間たちに、あらためて心からお礼を申し上げる。
ここには観光名所やなまこ壁の美しい家などは、わざと載せなかった。それらの紹介はいろいろと既存資料にあるし、地域の方々もよくご承知のことであるからだ。今回は都合で宿泊できなかったので、マイペースによるふらふら街歩きをする時間がなかった。この次はふらりと訪ねて、新市街地も含めてふらふら歩いて、自分自身の目による下田発見をしたい。
(初稿2010/01/24、補綴2010/01/25)