ファッションタウン児島の実験ートライアスロンが地域を築く

ファッションタウン児島の実験

トライアスロンが地域を築く

伊達美徳

●ジーンズの街

倉敷市の児島地区は、本州と四国を結んで瀬戸内海にかかる3本の橋のひとつ、瀬戸大橋の岡山県側の街である。倉敷市内の南に位置しており、風光明媚という古典的な瀬戸内海の多島風景を望むことができる。

この街の名産は、いまやカジュアルウェアの代表格であるジーンズである。アメリカ西部開拓で、がらがらへびよけのために藍染めにした労働着が変じたのだそうだ。藍染めには、へびやら毒虫やらが嫌う臭いがあるらしい。

この街にはもうひとつの名産は、日本産インテリアの畳の縁である。全国シェアの8割を占める。あの日本畳の2方を縫っている細い幅の布を、デザインし、織っているのである。

昔の庶民の家の畳縁は、だいたい紺色ときまっていたものだが、今は金糸銀糸の織りこみとか商標やら漫画の模様とか、奇妙に凝ったデザインもある。

つまり、児島は繊維産業の街である。

かつては繊維産業は、日本の近代化を支えてきた重要な地位にあったが、いまや中国や東南アジアにキャッチアップされて、タオルのようにセイフガード騒ぎになっているありさまだ。

児島の繊維産業は、綿花栽培から綿布織物がはじまり、一時は「児島三白」という名産があったそうだ。

ひとつは白い「綿布」、ふたつめは瀬戸内海の海水から作った白い「塩」、もうひとつは海の幸である白い魚「いかなご」。かつてほどではないが、今もそれらを引き継いで布、塩、魚は児島の名産である。

白い布づくりは発展して、ひとつは細幅の織物であり、かつては土産物の紐物、そして今は畳縁の産地となった。もうひとつは戦前から戦後にかけて学生服であり、今は青い布のジーンズが中心となった。

子供のころ、明治の軍人の代表格である乃木希典将軍や東郷平八郎元帥のポートレイトを、そのまま商標にした学生服があったことが記憶にある。児島の有名ブランドであったのだろうか、あれは肖像権はどうなっていたのだろうか。

●商店街を走るトライアスロン

かつて繊維産業が盛んだったころの児島には、多くの従業員たち、とくに女工と呼ばれた若い女性の織機従業員たちがあふれるほどにいて、街の中心街である味野商店街は、買い物と娯楽の場としておおいに栄えた。映画館もいくつもあったそうだし、銀行もあった。

だが今は、大工場は閉鎖し、中小企業の繊維産業ががんばっているが、従業員は激減している。味野商店街も客は減ると共に、郊外沿道型の安売り店舗の乱立に押されて、アーケードのシャッター通りといわれて、昼も暗い。いずこの街ともおなじ現象である。

そのさびしい味野商店街が、この2001年8月19日の日曜日の午前中の数時間、それはもう沸きに沸いた。この町並みのなかを、汗にまみれた500人あまりの鉄人アスリートたちが、次から次へと走りぬたのだ。

この日、「第3回ファッションタウン児島国際トライアスロン大会2001」となづけた競技が、児島の街で行われた。トライアスロンは、水泳からはじまり自転車そしてマラソンという、実に過酷な3種競技であるが、そのマラソンコースの一部に、この狭い商店街を組み込んだのである。

各商店の前に陣取ったお店の一家や応援の市民たち、競技エイドの市民ボランティアたちが、走りぬける男女の鉄人たちに、2時間あまりの間を水や飲み物を供給し、応援の声をかけつづけたのである。

この道を往復するようにコース設定してあるから、狭い密度の高い空間の中で、選手どうしも応援する人たちとも、親密な雰囲気が生まれる。平素は静かな商店街が、一瞬だが、かつての賑わいをとりもどしたのだった。

水泳は海のほとりの競艇場のコース、自転車はスカイラインの観光道路だから、それなりに広々としているのだが、マラソンとなると旧市街地のなかを、狭いアーケード商店街もとり込んでぐるぐると回らせる。

そのようなコース設定には、この街にトライアスロン競技を持ち込んだ仕掛け人たちの、児島の街の再生にかけた仕掛けと意気込みがあるようだ。

●「ものづくり」と「まちづくり」をつなぐ

そもそも、「ファッションタウン」と「トライアスロン」という、聞きなれない組み合わせに、どんな意味があるのか。

この前日のこと、このイベントに合わせて、もうひとつのイベント「MONOまちづくり全国交流大会」が、開催された。それがこの意味を物語る。

「ファッションタウン」とは、旧通産省の繊維産地振興策としてだされ、産業振興と地域都市づくりをドッキングしようとする政策である。旧国土庁は、これを繊維産地に限らない産地振興策として「MONOまちづくり」という政策とした。ここでMONOとはもちろん「もの=物」である。

児島の若手産業人たちが、次第に低下する地域産業、しだいに空洞化して空き地ばかりの中心街を、そのような児島を立て直すには都市政策と産業政策をセットにしてやらなければならないと気がついたのだった。

模索の末に、このファッションタウン政策に取り組んだのは1985年頃からで、本格的には1998年からであった。

だから繊維作業に限った産業振興活動ではない。まわりの各種の産業人も、町内会のボスも、行政マンもどんどん巻き込んで、誰もが参加するファッションタウン計画をつくりあげた。

コミュニティの基本となる町内会活動や、地域行政施策をもとり込んだので、地域の生活をよくする市民民活動となった。とうとう今年からの倉敷市振興計画の児島地区にうたわれて、ファッションタウンが正統的な政策となった。

ところで、ジーンズの街というが、この街でこの街の産物であるジーンズウェアを買いたいと思っても、その願いをかなえるはなかなか難しい。ものまちづくり全国交流会にやってきた、福井県鯖江市の辻市長は、この日の舞台登場のためには、地元産品のジーンズを身につけて敬意を表したいと思って買いにでかけたが、危うくシンポジウムに遅れそうになるほどに、大変な作業だったようだ。

実は、辻さんの街は眼鏡の産地だが、この産地の眼鏡を買うのけっこう難しい。よその産地で同じような体験をされたことになる。

●市民運動としてのファッションタウン

倉敷とは言いながら、もともとは児島市だったのが合併したのであるが、住民や産業人たちは今も独立精神が強くて、商工会議所は倉敷とは別にかつての児島市時代の児島商工会議所のままである。

ファッションタウンは運動である。中心メンバーに、商工会議所会頭の高田さんと副会頭の角南さんの二人がいるが、どちらも青年会議所のメンバーだったころからの運動であリ、二人ともまだ50歳代である。

ふたりがファッションタウンを唱え始めたころは、ファッションタウンとはいったいなんだ、という声ばかりのなか、とにかく参加してみんなで産業と街とを考えれば分かるんだと、産業人と市民の手づくりの計画をつくりあげてきた。

その内容もさることながら、作ることに産業人も市民も行政もみんな手弁当で参加したことが、計画の意味を大きく育てた。

そのファッションタウンのメンバーたちが、計画を考えるのもよいけど、なにかを地域で起こしたいと話しあっているうちに、何も知らないけど面白うそうだし、海のある児島ならできるだろうと、無鉄砲にもトライアスロンに取り組んだのは、取り組めば何かが開けるというチャレンジ魂だけであったらしい。

だから、トライアスロンにファッションタウンがくっついているのであるが、それをエージェントなどを頼まないで、なんとかなるさと自分たちで企画し実行して、国際大会にまでしてしまうのがすごい。

それが図らずして「ものづくり+まちづくり+ひとづくり+くらしづくり=ファッションタウン」という図式を、一時にやってしまうことになっているのが不思議といえば不思議である。

もちろん、トライアスロンにかかわるウェア類は、繊維産地のお得意であり、「ものづくり」につながる。街に中をアスリートたちが走りぬけるならば、選手達のためだけじゃなく、応援にやって来る人たちのためにも、わが街を安全に使ってもらうように点検して直す必要がある。自らのまちを見直す「まちづくり」である。

500人余もの鉄人たちを迎えて、高校生も含む少年から大人まで、3千5百人もの市民ボランティアが参加して自主運営するのである。長い長いコースにそって並び、水や飲み物を配り、安全を図る。大勢の来客へのホスピタリティも、市民みずから備えなければならない。それ自体が「ひとづくり」になっている。

そうやってトライアスロンという競技を通じて、コミュニティの再生が行われる「くらしづくり」へと展開する。

「ファッションタウン」と「ものまちづくり」の政策をあちこちで展開してきて、もう十年以上も経つだろうか。たくさんの産地都市をモデルにしてきたが、目に見える成功事例は、残念ながらまだない。

ファッションタウンは市民運動であると唱えてきているのだが、ごく一部の他は、市民からも行政からも産業振興策のひとつだろう、としかとられないのが一般的である。

そのような状況が続いているなかで、児島は始めて市民運動としてファッションタウンの展開をしてみせてくれた産地である。ファッションタウンはどうやら新たな展開を迎えそうである。

ところで、児島のお方にお願いがあるのです。児島駅前に、ジーンズウェアをその場で仕立てて売ってくれる店を作ってくださいな。安物のユニシロなんて店じゃなくて、高くても良いもの、私にピッタリウェアを。

それともうひとつ、駅前の広大な空き地駐車場に、せめて樹木を植えてください。樹木の下に駐車してもよいでしょうが。駅を降りたら目の前が「緑の森の街」なんて、ほんとうに格好よいと思うのですがねえ。 (2001.09.02)

(追記) ファッションタウン児島は2001年11月11日に、「しほ風ウォークラリー」と銘打ったイベントを行った。児島内外から参加者は、なんとこんどは850人余である。わたしも参加して(一番遠くからの参加者)、17キロメートルの瀬戸内海の眺めを6時間かけて楽しみ、名物蛸飯と海鮮なべに舌鼓を打ってきた。バックアップしてくださった大勢のボランティアに頭が下がった。

わたしの体力を気遣って、一緒に歩いてくださった方たちの親切に感謝し、ファッションタウンとはまちづくり運動なのだと、また実感してきた。ついでに、わが足もまだまだ大丈夫と自信をもったのである。(2001.11.12)