にわか身障者顛末記:大腿骨頭壊死症難病誤診事件

にわか身障者顛末記

大腿骨頭壊死症から萎縮症そして完全治癒の体験

もしも手術してたら

伊達美徳

ここには、わが身に2002年半ばから2004年3月にかけて起こった、重大なる重病事件が、ふたつ書いてある。

前半は、2番目の医者から不治の病を宣告された当時のこと、後半は、4番目の医者からそれが誤診で自然治癒する病であると言われたときである。

●その1:にわか身障者の記 2003年3月10日

杖突きは肢よりも気が疲れる

昨年(2002年)10月から杖をついている。大腿骨頭壊死なる左肢の故障が起きて、修繕を準備中である。損傷部分をチタン製偽骨に付け替えると普通に戻るのだそうで、それまでの期間限定ハンディキャッパーである

杖をつきながら普通に出歩き、仕事も遊びもしているのだが、昨今のバリアフリーとかユニバーサルデザインとか流行みたいな世界を、ちょっと違う側面から見ることになった。

そんな小難しい言葉つかうより前に人間同士の礼儀として、例えば電車でハンディある人に席を譲るということだけでも、譲られる資格(?)ができた側から社会を見ることになって面白い。

混んだ電車に乗ると、さて自分はどこに位置するか、まず悩むのである。ハンディキャップ優先席の前に立つのも、そこを譲れ、といってるようで気になる。一般のシートでも、同じであるが、そんなわけで気の弱い杖突マンは、遠慮して入り口あたりに立つのである。健常だったときよりも席に座れる確率は低いのである。

混雑状況でやむをえず席の前に立つとなると、できるだけあさってを向いて、座っている人と目を合わせないようにする。その人に気の毒だからである。

もっとも、その目のあった人が気にしているかどうか分からないが、こちらがそう思っているだろうなあ、と思ってしまうのである。

あるいは、もしかしたら譲りたいのに、こっち向かないから言い出しにくいと悩んでいるかもしれない、とも思う。気が疲れるのである。

電話仕込み杖をほしい

杖突き5ヶ月、平均して毎日1回以上は電車に乗るだろう。これまでに席を譲られた回数は数えてはいないが、10回以上ではない。意外に若い女性が譲ってくることが多いのは、譲りたくなる相手としてのイメージもあるだろうなあ、、いや、譲られた喜びの記憶が鮮明だからか、、

がら空き電車では、どちらに座るか。優先席に座るのがあたりまえの気もするが、まてよ、この後で混むかもしれない、そこに座りたい人が来たときのために、今はそこじゃないほうが良いと、一般席に座るのである。

杖は水戸黄門の印籠で、優先席に座っていても見せれば気が咎めないのがとりえである。しかし、優先席に座っていて、あとから明らかにハンディある人が乗ってきたときが問題である。目が会うと一瞬、ハンディの度合いを探りあう火花が散る。勝った、俺のほうが重症だ、と、喜ぶのもおかしい。

出先で時に、杖を置き忘れて来ることがある。それは肢の具合が良い証拠だと喜んでいたら、口の悪い奴が、それはちがう、アタマのボケの証拠だという。うーむ、ダブルハンディか、。

今、ねがっているのは、MOBILE COMPUTER STICK、つまり「IT仕込み杖」を開発してほしいことである。電話を仕込むのである。忘れたら電話かけて、その近くにいる人に持ってきてもらうのです。

バリアフリーからノーマライゼイションへ

この身になって分かることで、鉄道駅に機械昇降施設をつけるようになっているが、その位置に問題がある。本当ならば、どの駅でもホームの同じ位置にあれば、いつもその位置の車両に乗れば安心なのだが、構造上そうもいかないのだろうか、ホームで右往左往せざるを得ない。

このごろは駅に限らず道路でもどこでも工事中が多い。工事中だからバリアーフリーじゃなくてもよいだろうと、思っているふしがある。

工事中でも何でも、こちらは歩き出したら目的の場所に到達しなければならないのだから、何とか工夫してほしいものである。障害物競走コースのようなところを歩かされるのは、ハンディがなくてもやりきれない。

「バリアーフリー」とか「ユニバーサルデザイン」とか流行だが、段差解消とか、盲人誘導装置とか技術論に陥ってほしくない。「だれもが動ける街」とか言うときにの「だれも」とは身体障害者のことと、思っている人が多いのではないかしら。違うのである。

この「だれも」とは、人間全部のことであり、もしかしたら動物にも植物にも、ということなのだ。それが環境観としてノーマライゼイションといわれることになるだろう。 (030310)

●その2:誤診かッ、逆転大診断だあ~2003年9月19日

医療問題があれこれと世の話題になっていますが、わが身におきた半信半疑ながら朗報の「事件」を報告します。

昨年の夏から、左大腿骨の関節部が痛くて歩行が困難となり、杖を突きながらの日常で、医者通いをしており、今は4人目の医者にかかっています。

この2ヶ月ほど前から、痛みがなくなり、まだ違和感はありますが、杖がなくとも平気になっています。

昨夏に最初にかかった鎌倉での佐藤病院の医師は、よく分からないまま。

秋に横浜に引っ越して、近くの掖済会横浜病院の整形外科医は、精密検査(MRI、骨シンチグラム)をして、「大腿骨頭壊死症」なる不治の病と宣告

次第に骨の壊死が進行していき、いずれ大腿骨関節部を人工関節に取り替えなければならない。毎月1回、X線写真を撮って、そのときが来たら手術する、ということです。

この大腿骨頭壊死症は、国の難病指定になっているくらいすごいヤツで、原因がいまだに分からない。昔、美空ひばりがこれで倒れたことを思い出しました。

かかったものは仕方ない、しばらく毎月通っていました。元論普通に仕事をしており、出張も会い変わらすしょっちゅうしていました。

ただ、杖ついて痛い脚を引きずるのは、なにかで電車や新幹線で立ちんぼになると、困り果てたのでした。

最近、医療に関するセカンドオピニオンなるものがあると知り、どうも気になって、今年の6月、近くにある横浜市立大学市民総合医療センターに行ってみました。

こちらの若い整形外科医に、これこれこういうわけでと、以前の精密検査のフィルムも見てもらったのですが、やっぱり同じ診断。

ある日突然にガクッと骨が壊れるかもしれない。何時かわからないが、必ずそうなる。その時に手術して、人工関節にしてもよいが、今すぐにでも手術できる。

だが、医療技術は日進月歩だから、まだ歩けるのなら、もうちょっと様子を見てからにしようか、と、医者はおっしゃいます。

う~む、歳とってから手術は身体の回復能力が無くなるだろうなあ、特に歩けなくはないがいずれやるなら、今のうちにやってしまうか、どうしようかと悩む。

医者はいう、とにかく3カ月おきに診断しましょう、次は9月に、ということでした。

そして3か月さんざん悩んで、この9月9日、これまでの担当医が転勤とて、中年の医師に変わって、フィルムを見て曰く。

これは大腿骨頭壊死症ではない、大腿骨頭萎縮症である、この骨の萎縮症は、妊産婦と中高年男性がかかるが、しばらくすると自然に治る。最近分かった病で、珍しい症例である。しばらく普通に暮らしてみて、半年後にまたいらっしゃい

えっ、違うの? おお、壊死は治らないけど、萎縮は治る、こりゃ大違いです。

突然の逆転で、なんだかよく分からないけど、この1年の暗雲が晴れたみたい、よい方向なのだから信じよう、医者の気が変わらない内に、ちょっと緩む頬を押さえながら帰ってきました。杖を肩に担いで、。

どうもこの2ヶ月ほどは、杖をつかなくても、ちょっと違和感あるけど、まあ結構平気だなあ、と思っていたけど、これはつまり、治ってきているのでしょう。そう思いましょう。

まだ半信半疑だけど、まあここはとりあえずは楽天的にこの医者を信用して、治る方向に努力(どうすればよいか分からないけど)をいたします。

それじゃあ、これまでは誤診だったというべきか、その医師には未知のことなので当然というべきか。知らぬことに罪はないのか。

セカンドオピニオンをやっても変わらずでしたが、偶然にも4人の医師を遍歴したFOURTH OPINIONなので、このようなことが分かったのです。

考えてみれば怖い話です。

だって、遅かれ早かれ人工関節置換手術が必要になる、今でも手術できる、まあ当分待つか、と、いわれていたんですから、どうせやるなら体力あるうちにと、早とちりして手術してたら、治るはずの骨がなくなっていた、、、。

早すぎる手遅れ、か。

また逆転診断が出ないことを祈るばかりです。(20030919)

●その3:無罪放免 2004年3月9日

本日、こわごわと診察を受けに行きました。

医者曰く「もう、来なくてよろしい」

おお、無罪放免となりました。

かつてのわが杖突姿を知る悪友どもは、

「おまえ、あれは仮病だったんだろう」

というのです、なんてことを、、。

え~い、そうなんです、仮病だったんです、、。

すこしはお見舞金をくれるだろうと期待してたのに、口ばっかりの見舞いで誰もくれませんので、もうばかばかしくなって杖をやめたのだ、、!??。

●その4:100キロメートル歩けた 2004年11月19日

2004年10月22日から26日まで、奥能登で100キロメートル歩く旅をしてきました。

自分が治っているのかどうか、わが身で確かめる旅でしたが、全行程120キロはちょっとずつサボリながら、それでも見事に100キロメートル近くは歩きました。治ったことが証明されました。

まさか、再発はしないだろうな、、。(20041109)

●その5:発病後4年、あれはやっぱり誤診だったのだ 2006年9月5日

2006年秋の今、発病から4年、治癒から3年、どうやら再発はしていない。どんどん歩いている。もっとも、わが身の加齢による脚の弱りはあるらしいが、気にしない。

このページ掲載以来数名の方から、メイルをいただいた。いずれも骨頭壊死あるいは萎縮症と診断されて、お悩みを相談である。インタネット時代はすごいものである。

もっとも、相談されても、ここに書いてる以上に有益なことをお答えする自信はなにもないが、貴重な体験者としての何がしか返事メイルを書いて差し上げると、ちょっとは心が休まったみたいなご返事メイルをいただくこともあり、それなりに役立っているとうれしい感もある。

ここのページのサイドにあるわたし宛のメールアドレスに、どうぞお問い合わせください。(20060905)

関連ページ:思い出エッセイ「杖」