鳥取の鹿野町には、生きた歴史的美観がある(文・木田悟史)

Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏が主宰するウエブサイトです。

このページは「インターローカル」な発想から執筆していただいたゲスト執筆者の記事です。

鳥取の鹿野町には、生きた歴史的美観がある

カギは“つながり”の豊かさ

2017年9月5日

執筆者 木田悟史 (日本財団 鳥取事務所所長

【鳥取市鹿野町】“つながりの豊かさ”をキーコンセプトに日本財団は、鳥取県と共同して持続可能な地域づくりの姿を模索し、様々なプロジェクトに取り組んでいる。今回は、歴史的な街並み保存で知られる鹿野町の取り組みを紹介したい。

「街並みは、そこに住みついた人々が、その歴史のなかでつくりあげてきたものであり、そのつくられかたは風土と人間との関わりあいにおいて成立するものである。」(「街並みの美学」芦原義信著)

■静かで美しい町並みの裏には「活性化活動」がある

戦国時代の武将、亀井茲矩(かめい これのり)によって作られた城下町鹿野町、約3,700人が暮らす静かな町で、司馬遼太郎の「街道を行く」でも取り上げられたことがある。

旧家が並ぶこの町は「生きた町」ではあるが、ある種静謐な空気が町を覆っている。家の軒先には、屋号の入った瓦(屋号瓦)が置かれたり、藍染めのれんがかかる。こういったものが精神的な豊かさを伝え、町の佇まいを作っているのだろう。

軒先に置かれた屋号の入った瓦。こういったものが、静寂と豊かさを同時に醸し出す(撮影:筆者)

だがこの町並み、決して自然にできたものではない。町民の強い意思と意志があってこそのものだ。その原動力とでもいえるのが、2001年に設立されたNPO法人「いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の事務局長、小林清さん。同氏は協議会の創設者でもある。

設立以来、空き家の利活用事業や移住者とのマッチング事業、町並み保存事業など幅広く展開。たとえば、この町には登録有形文化財の候補が約20軒程あるが、一昨年から登録活動を進めている。今年度はその物件のうちの一つをゲストハウスとして活用していく予定だそうだ。

「町の活性化はあくまで地域住民の意識や文化的な素地があったからこそ」と語る小林清さん

(「いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の創設者で事務局長)(撮影:筆者)

■ドイツ発“手ぶら革命”を鹿野で

そんな小林さんは、新しい試みとして「手ぶら革命」なるイベントを今年の3月行った。「手ぶら革命」とは奇妙な名前だが、実はこれ、ドイツ東部の町、ライプツィヒから来たものである。

ライプツィヒに「日本の家」という名称の交流拠点がある。「日本」というテーマを掲げた空き家利用のひとつで、まちづくりの実践者や芸術家らが行き交う。彼らが立ち上げた活動が「手ぶら革命」だ。

手はモノや学歴など「所有」するためのものではなく、他者とつながる、共有する、交換するといった行為のためのものにすべき、というのが「手ぶら革命」の基本アイデア。

一種のアートプロジェクトで、食事会やワークショップといったことで構成されているが、これを通じて人とのつながりを大事にした場を形成していく。言い換えればこの地域に住む人が持つ情熱、情報、知恵、アイデア、ノウハウといった「地域資源」が浮かび上がってくるわけだ。

こうした活動が一つの契機となって、ライプツィヒと鹿野町との間でが芸術家の交流活動なども行われている。町内に住む住民と、町外からの人が出会う新しい場の一つとして、小林さんも今後に期待を寄せている。

■カギは住民側の文化・意思の尊重と小さな変化

同氏の活動はまだまだ広がっていきそうな勢いだが、町の継続的な活性化について示唆的な考えを示す。「町の活性化はね、あくまで地域住民の意識や文化的な素地があったからこそ。だから協議会の活動が生きているわけです」。

確かに全国各地の成功した町づくり情報に接していると、「何々という場所があったらから」「何々という人がいたから」という特殊性を成功要因として紹介されることが多い。しかし本質的に重要なのは、住民側の文化や意思を尊重した日々の地道な活動の実践なのだろう。

美しい町の近辺には美しい緑が広がる。(撮影:筆者)

また、小林さんは「小さな変化を、無理をせずマイペース起こし続けていくことが大事」とも続ける。

地域での取り組みは、大ブレークすることもあるが、継続のためにどこかで無理をしなければならない時がある。ここが難しいところだ。破綻を来さない程度に、でも少しづつ変化を起こしていく、そんなバランスを意識しながら地道な作業の繰り返しが地域づくりのカギなのだろう。

小林さんや協議会は、さしずめ地域のポテンシャルを顕在化させ、継続的に展開を手助けする役割といったところか。これで生きた町ができてくる。

■町が作り出す普遍的価値を考える催しも

最後にこの町の活性化に、日本財団もお手伝いしていることを紹介しておこう。

今年の7月、鹿野町内で「暮らしニッポンフォーラム」を開催。講演やクロストーク、交流会を通して同町が作り出す普遍的価値を考えようというものだ。町内にある「鳥の劇場」さんや、まちづくり協議会さんの協力もいただいた。

31年前から、住民の約半分くらいが参加する演劇祭を続けてこられたという鹿野町民の高い文化レベルに支えられ、非常に温度感の高いイベントとなった。

昨今、シェアリングエコノミーという言葉が世の中を賑わせる中、鹿野町はより人間的な意味で”つながりの豊かさ”を紡いでいる地域だと思う。(了)

住民の町に対する気持ちが花をかざらせる。(撮影:筆者)

<ひょっとして関連するかもしれない記事>

執筆者 木田悟史(きだ さとし)

日本財団 鳥取事務所所長。

ソーシャル・イノベーション本部国内事業開発チーム チームリーダー。慶応義塾大学 環境情報学部卒業後、日本財団入団。総務部や助成事業部門を経て、NPO向けのポータル・コミュニティサイト「通称『CANPAN』カンパン」の立上げに関わる。企業のCSR情報の調査や、東日本大震発災後、支援物資の調達や企業と連携した水産業の復興支援事業の立上げを担当。その後、情報システムや財団内の業務改善プロジェクトを経て今に至る。

短縮URL https://goo.gl/BxbXGo