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グローバル時代の母語と父語

継承語教育の条件を考える

2013年6月1日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

日本から当方を訪ねてくださった方が私の3人の子供たちの日本語の会話がうまいとほめてくださった。私の子供にとって日本語は『継承語』ということになるが、いただいた評価をもとに継承語教育の条件について考えてみた。

■意外な評価

当方を訪ねてくださった甘木さん(仮名)と私の家族と一緒に食事をした。次女は普段からおしゃべりで、はじめましての挨拶をして、甘木さんとの会話がはずむ。そんなことがあってか、後日『お子さんの日本語能力の高さに驚きました』と評価いただいた。参考までに子供の日本語能力に触れると、私がある程度日本語の読み書きを教えたが、能力的には三人三様。基本的にはドイツ語のほうが強い。

翻って、甘木さんの評価の根拠はご自身の仕事上の体験がベースになっている。

甘木さんは研究者なのだが、『ドイツ在住でどちらかの親が日本人』という子供さんと仕事で接していらっしゃる。そのお子さんたちに比べると、会話能力が比較的高いというのだ。その理由は、『父母(つまり私と妻)が日本語を話せるからではないか』、という仮説をちらりと開陳してくださった。妻の母語はドイツ語だが日本語が比較的堪能という事情に目をつけられたのだろう。

なるほど、そういう仮説も成り立つかもしれないが、私と妻の実感としては、もう少し文化的要素も影響しているような気がする。

■言葉につきまとう文化がカギ、のような気がする

言葉の学習に関して、『継承語』という概念がある。国外に移住した世代が受けつぐ言語のことだが、わかりやすくいえば、私の子供にとっての日本語がそうだ。子供にとって日本語は外国語ではないが、文科省の教科書に沿った学習をするというのはかなり難しい。教科書は、日常生活で、つまり日本文化圏で生活し、そこで日本語を使っていることを前提に作られているからだ。

他方、一般に言葉学習には言語集団の文化や生活様式などがつきまとう。英語を通じて、英米の文化を知ることがあるといえばわかりやすいだろう。逆に推測すれば英米の文化を積極的に学びながら、英語を勉強すると会話能力が向上しやすいのではないか。難しい理屈ではない。英米の文化を通して英語が精神的に近いものになっていき、理解力も高まるからだ。

■片方の国を見下してはいけない

継承語としての日本語を話す私の子供の会話能力に話をもどすと、甘木さんが言うように、ドイツ人の妻も日本語を話すという理由は大きいだろう。それに加えて、日独の文化を積極的に、かつ平等に扱ったことが、案外子供の会話能力に大きく影響しているように思えるのだ。

象徴的にいえば、イースターやひな祭りなど日独の年中行事を家庭内できっちりやってきたことが挙げられるが、日常的に『ドイツから見た日本』『日本から見たドイツ』についても話題にすることも多い。この時、私や妻による日独への批判や評価が交差するが、あくまでも両国を対等に見ている。

一方、国際結婚夫婦がどちらかの国を下に捉えると、親が見下した国の愚痴を四六時中こぼす。妻の知見によると、子供にとって『下の国』の文化や言葉はおのずと遠いものになってしまうらしい。子供は見下した国の言葉を学習する機会はおろか、動機も小さくなるからだ。なるほど、もし私や妻が『日本よりドイツのほうがよい』という前提で生活していると、たぶん子供たちは日本語や日本そのものを嫌いになるだろう。

そのように考えると、継承語は国際結婚のカップルなどにつきまとうものだが、言葉に関連する文化や国をどのように扱うかということは、継承語の学習にはけっこう重要な要素になってくるように思えるのだ。(了)

※テキストは初出時(2013年6月1日)の論旨を変えずに後日修整しました。

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※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。