Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏のウエブサイトです 前の記事記事一覧次の記事


Facebookが仕組んだ文化

誕生日カルチャーについて


2012年06月01日



執筆者 高松平藏ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)


欧米では日本に比べて誕生日の重要度が高いようだが、ドイツの体験を中心に誕生日カルチャーを見ながら、Facebookの仕組まれた文化について考えてみたい。これも文化のグローバリゼーションの一面かもしれない。

誕生日は必死
facebookの『友達』からきた誕生日のメッセージ。
関西弁の返事はあとから書き足したハメコミ画像です。あしからず。
妻と結婚したときに、お互い生活文化の違いが際立って、驚いたことがいろいろあるのだが、そのひとつが誕生日の重要度の違いだった。誕生日ともなると、友人からお祝いの電話がかかってきたり、カードが届く。なんらかで知り合った他人とも『友人』になるにつれ、お互いに誕生日を知らせておく。

子供たちも誕生パーティに招待したり、されたりしょっちゅうある。子供が小さいあいだは、結局のところ親があれこれ段取りしなければならないので大変だ。

特に10才、20才とキリのいい年は盛大に祝う。私の友人などを見ていると、40歳のパーティともなると『よう、やるわ』と言いたくなるぐらいエネルギーを注入する。日本でもかつて、子供同士の誕生パーティが頻繁だったという話も聞くが、どれだけドイツの人々が誕生日に執着(?)しているかの例は枚挙に暇がない。

直線、積み重ね型の時間感覚?
それにしてもなぜ、ドイツではこれほど誕生日が重要なのだろうか。
漠然と『死生観』の違いのようなものが影響しているような気がするのだが、ヒントになりそうなものが10年というキリのいい数字だ。

ドイツの社会を見ていると、組織やフェスティバルなどの催しに関して、だいたい5年、あるいは10年ごとに過去を見直すような志向性が強い。具体的にいえば、顕彰したり、年代記をよく作る。

ドイツ社会は西暦の時間で生きているが、それゆえ一直線に時間を積み上げていくような感覚があり、日本に比べて歴史を重視する感覚もこのへんに一因がありそうだ。企業のアニュアルレポート(年次報告)なども1年ごとの『歴史』を積み上げていくような発想が奥にあるように思えるし、いささか乱暴な考察も加えるとキリスト教の祭事の影響などもけっこうあるように感じる。

ひるがえって、そんな時間感覚が個人の誕生日にも反映されているのではないだろうか。現役を引退した町の名士の70歳、80歳という誕生日にも、市は祝い、ベタ記事だが地元の新聞にも載る。

余談だが、義父は昨年80歳になったが、当日、友人たちからの誕生日のカードにまじって市長とエアランゲン出身の国会議員からもカードが来ていた。 義父は市長たちとは、個人的な関係はない一般市民だが、高齢者の誕生日をめぐる市(市長)の対応であり、議員の政治活動といったところだろう。ちなみに市長のカードはサインも印刷。議員のカードは自筆サインで、国会議員のほうがよく働いていようだ。

誕生日カルチャーが変化
そんなドイツにいて、今年はちょっとした誕生日カルチャーの変遷を実感したのであった。ご存知の方も多いかもしれないが、facebookには自分と『友達』関係にある人の誕生日が告知される仕組みになっている。facebookはコミュニケーションツールとして個人的にも大きくなっているが、毎年、電話をくれたドイツの友人でさえ、facebook経由でメッセージをくれた。祝福ツールが変わったのだ。

それ以上に面白いのが日本の『友達』からも多数メッセージをいただいたことだ。facebookのせいで他人の誕生日を知り、『おめでとう』と祝福する機会が増えているように思う。『陰謀だ!』などと騒ぎたてる気はないが、さり気なく欧米の誕生日カルチャーを実行させられている。

日本社会ではある程度、歳を重ねると『この歳で誕生日を祝ってもらっても・・・』と思う人が少なくないがfacebookでの人間関係になじんだ人たちによって、じわじわと日本社会の誕生日カルチャーが変わるかもしれないとふと思った。大げさかもしれないが、ひいては社会の時間感覚にも影響するかもしれない。

するどいコメント
実は昨年、こういう考察をfacebookに少し投稿した。すると関西学院大学 総合政策学部 メディア情報学科教授などの肩書きを持つ畑祥雄さんから、『facebookがさり気なく仕込んだ文化』に気付いた。日本もさりげなく広げられる文化を大切にしたいが、伝えるツ-ルが創れていない悔しさがあり、かつ挑戦したいという趣旨のコメントを頂いた。

さすがに鋭いなと思った。
というのも、文化を大きく形式と価値観の2種に分けると、近年、マンガやアニメなどのサブカルチャーの形式はすでに模倣され、外国産の『MANGA』も増えている。しかし日本が生み出した、あるいは固有の文脈で高められた価値観がマンガやアニメなどでどれほど伝わっているだろうか。(これはこれで検証してみたい事項だけど)

一方、facebookは『いかにもアメリカ文化』という感じはないが、やすやすと日本のユーザーに、誕生日を祝福をさせることを仕組んでしまった。ちなみに、facebookには自分の『友達』のリストが表示されるが、その中に家族の欄もある。男きょうだいなら<兄/弟>といった具合に表示されるようだ。もし、facebookが国産なら『兄』『弟』と区分していたにちがいない。

私の中の感覚
私個人のことを言えば、ドイツ式に慣れてしまって、日本にいたころよりも誕生日の存在感が大きいし、その感覚でfacebookの友達にわりとマメに『おめでとう』の一言を送ってしまう。また、しょっちゅう会う機会のないドイツの友達から電話やメールをもらうのも嬉しい。

ただ、自分でも面白いのは、日本人の古い友達ほど『おめでとう』と言い合うのもちょっと気恥ずかしさが残ることだ。古い友達ほど、自分の中のドイツ式誕生日カルチャーに適応しにくいのだろう。私の中にある文化的な層ともいえるかもしれない。

今年はそうやって、たくさんの人から祝福のメッセージを頂いたけど、NPOレシップの仲間でもあり、『愛とユーモアの社会運動論: 末期資本主義を生きるために』(北大路書房)を最近出版された渡邊太さんからはfacebook上にある『Café Anti-Birthday』のページを勧めるメッセージをお祝いがわり(?)に頂いた。

私には、さり気なく仕組まれた欧米型の誕生日カルチャーへのアンチテーゼに見えたし、それがまたfacebook上にあるのも面白いなと思った。(了)

<ひょっとして関連するかもしれない記事>