ドイツ・日本の地方紙掲載から考える┃高松平藏/在独ジャーナリスト
■2016年12月26日付 エアランガー・ナッハリヒテン紙
拙著「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」は、私が住むエアランゲン市のことを大きくとりあげている。以前から同市長や市の取り組みを大きく扱った「掲載誌」は市長や広報課へ進呈してきたが、今回もその要領で著書を市長のフロリアン・ヤニック博士に一冊進呈。だが日本語なので、当然読めない。短時間ではあるが、拙著で取り上げたエアランゲンの事例群、そこから導きだした「クオリティ・ループ」という都市発展のモデル。そして日本での反応とその背景を説明した。
だが、どのぐらい伝わったのかといえば疑問も残る。
普段、私は日本社会に向けて執筆しているが、私の記事をドイツ語に直訳しても、真意は伝わりにくいだろう。なにしろ、時にはドイツで当たり前すぎることを、日本の議論に呼応しながら書いているからだ。これについて印象的な出来事がある。15年ぐらい前になるだろうか。この頃、環境問題の視察が多かった時期なのだが、「なぜ日本人はゴミ箱の写真ばかり撮っているのか?」とドイツで尋ねられたことがある。この理由を背景まで説明するには、少し手間がかかる。
ひるがえって市長にとって、自分の町が外国人ジャーナリストによって報じられることは嫌な気にはならないだろう。エアランゲンから日本に向けての「大使」のような本だ、というのが拙著に対する同氏の所感だった。最後に広報担当者のリクエストで拙著を手にしながら撮影。後日、地元紙「エアランガー・ナッハリヒテン紙」に「著名人の対談」という小さな囲み記事になった。
記事の内容は次のとおり:
エアランゲンは日本のためのモデル?
同市に住む日本人ジャーナリストで作家の高松平藏は「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」を出版、市長のフロリアン・ヤニックに進呈した。新作では、エアランゲン市を近代的な地方都市として描き、いくつかの戦略を説明した。これらは関心をもつと思われる日本の都市のためになる可能性がある。
■2016年10月1日付 京都新聞
京都新聞の夕刊のスポーツ欄で掲載された。日本のスポーツ文化は「体育会系」で部活など学校が中心。ドイツは地元のスポーツクラブ(NPOに相当)がメインで、その規模は大きく、歴史も長い。地方都市のなかで無視できないものだ。
拙著でも地方のスポーツクラブやスポーツ政策について取り上げており、そこをクローズアップし、記事にしていただいたかたちだ。こういう切り口で日本でもスポーツとコミュニティの議論を進めていくべきだという記者の意思を感じる書評。私もそのつもりで執筆した。だが、この記事をドイツ語に翻訳しても真意を伝えるには倍ぐらいの注釈がいるだろう。
一方、拙著で取り上げたものは、ドイツでも新しい「事例」は一部で取り上げてはいるが、スポーツクラブじたいは決して新しい話ではない。また当然のことながら、スポーツクラブもドイツ社会の変化に対峙しながら、新たな課題も発生しているだ。
■最後に
いずれの記事についても正解とか不正解というような話ではない。
外国のことを取材やリサーチを通して伝えることは、広い意味で翻訳作業になる。実際、単語を直訳しても社会的文脈や歴史、イメージがまるで異なるものも多く、それらを考慮しながら、できるだけ意味や状況、価値を伝えようと私は執筆や講演などを行っている。が、時には私自身も誤解しているケースもあるかもしれない。
そういう意味で報道を鵜呑みしてはいけないし、「報道の中立性」というのもそもそも成り立たないのである。(了)
<ひょっとして関連するかもしれない記事>
短縮URL https://goo.gl/dj0yZU
※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。