ドイツの地方の高い自律性、公務員の人事異動がないから?
■自治体内閣という意識
連邦制のドイツにあって、自治体の仕組みは州によって少しづつ異なるが、私が住むエアランゲン市を例にすると、各部局の責任者は長期にわたり就き、政治的立場をも持つ。たとえば文化局長なら「文化大臣」だ。そして市長をトップとした、一種の「内閣」と捉えているようだ。ドイツの自治体の自律性・独立性は、この内閣意識がひとつの要因かもしれない。
自律性・独立性を説明するのに、日本の自治体のように県や国から官僚が送り込まれることがないという点も重要だろう。同市の人事部の責任者によると「ドイツで同様のことをするには法律を変えないかぎり無理ではないか」というのが見解だ。
■博士号取得者が評価されている
大臣(局長)の下には、部長がいる。州によっては「タウンマネージャー」という名称になっていることもあるようだが、ともあれ彼らは官僚で、やはり長く同じ職に就いている。
人事評価を見ると、求められる人材像が浮かぶが、端的にいえば専門知識の深さ・広さ、そして職務に関連付いているかがポイント。また学際的な知識の有無も評価対象だ。エアランゲン市(人口10万人)の場合、「管理職」相当の10%程度が博士号を持っている。修士号まで入れるともっと増えるだろう。日本の研究者で、ドイツの市役所はシンクタンクのような雰囲気があると言った人がいた。なるほどと思う。
エアランゲン市(人口10万人)の市役所。
70年代に建てられたものだが、庁舎の前には広場が作られている。
■19世紀エリート層の系譜
この官僚像は、教養市民と呼ばれる19世紀のエリートの系譜を思わせる。
当時、彼らは大学で、あらゆる知識を体系だてて扱うことを獲得した。むしろ実用主義的なことを忌避する側面すらあったが、文化や芸術への造詣も含む大きな知的体系を持つからこそ、エリートとしての信頼も伴ったようだ。ドイツの劇場文化や文化政策の歴史もこういう層の存在とセットになっているのだろう。
現代は19世紀と様々な点で異なるが、それでも「教養市民」という言葉はあり、それに近い層は存在する。また1990年代と思われる、ある自治体の人事評価には著述・学問・芸術活動を問う項目もあった。実際エアランゲン市を見ても、前「文化大臣」は小説を書く作家でもあった。ドイツも評判の悪い官僚主義の強い国だが、官僚の資質そのものは、日本と様子が違うことがわかる。(昨今の議論でいえば「文系」の価値を問う話だ)
そんなことから、彼らは専門の分野から自治体を鳥瞰的・体系的に捉えようとしている印象があるが、これが都市の自律性につながっているのではないか。
地方官僚は都市の全体を体系的に捉えようする傾向が見出だせる。
(写真=ハイデルベルク市)
■所属は違うが専門家同士の付き合い
NPOに相当する組織が多いドイツだが、人口10万人のエアランゲン市でも740ある。環境や文化など自治体のクオリティを支える組織も多く、市との「協働」も多い。「ヒト」を見るとその分野の専門知識や技術を持っていることがままある。たまたま行政かNPOか、所属組織が違うだけで、その分野の専門家同士が一緒になって、町に対して取り組んでいるわけだ。
日本の公務員には優秀な人も多いが、3-5年ごとの異動のせいで毎年各部署に「新人」がいるかたちだ。「協働」パートナーのNPO代表などに、「今年度から担当になりました。この分野は初めてで、勉強させていただきます」と挨拶するわけだが、この時点でドイツと様子が違う。
もっとも日独の自治体制度や公務員制度は設計思想が異なる。また人材と教育に対する了解もかなり違う。だから、両国の簡単な比較は難しい。
他方、日本の人事異動をポジティブな見方をすると 、体験の移動でもある。他部署から新しく着任した人が面白いアイデアやノウハウを持ってくる可能性も否定できない。
それにしても、日本の地方行政を鑑みると、各部署のコアメンバーは、部署内で昇進こそすれ、最低10-15年は同じ分野の仕事をしてもらったほうが良いのではないか。新年度のたびに、そんなことを考えるのだ。(了)
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