「縮小日本」に見出だせる可能性┃高松平藏/在独ジャーナリスト
写真:ドイツ・エアランゲン市(人口10万人)の市役所のホールに展示された同市のモデル。
■空間を把握する作業が発生
日本の人口減少の問題は早くから指摘されていたが、自治体の維持そのものが難しくなっているところも増えてきているという。
こうした危機に対して、当然インフラを見直さざるを得なくなってくる。そうすると、まず出てくる手法は、点在した住宅を集めて、インフラの効率化を図るといった発想だ。
言うまでもなく、これは住んでいる人にとっては、大変なことである。
しかし、このプロセスで地域全体を鳥瞰的に把握しようという視座が必要になってくる。この発想は町の作り方を変えるかもしれない。
■語源にみる「まち」の考え方
ドイツの様子と比べると、日本では鳥瞰的に空間を見る発想が弱い。この発想の違いは語源からある程度、推理できる。
日本語の「町」という字は「あぜ道、あぜ」からきている。いわば道がもとになってできたところ、と読み取れるだろうか。(図1)
それに対して、ドイツ語の町を意味する単語は語源からいえば「場所」といったような意味から出発し、「市場」などの意味が付加されていく。そのせいか「場」全体の状態を把握しようという指向性が強く、「全体の秩序」を気にする空間感覚が見出される。 (図2)
ドイツの地域を見ると、いろいろ問題はある。しかし、空間を鳥瞰的に見て把握し、その上で課題を立てたり、問題を解決している傾向が強い。整然とした景観なども、そういった空間把握の感覚が影響しているのではないか。
図1.「道」の発想で作られたまちは個別の「小さな物語」が自己増殖する。(高松作成)
図2.「場」の発想で作られたまちは、まちそのものが「大きな物語」。
「物語」を維持しながら発展させる。(高松作成)
■開発型国家から地域自律型国家に変わるか?
日本は明治以来、人口と国全体の冨を増やし、国力を高めてきた開発型の国家だ。この方針は国全体津々浦々、最低限スペックを揃えることに注力することになる。ナショナル・ミニマムというやつだ。その結果、ある地域にとっては高すぎるスペックのインフラが揃うようなことがあった。
もっとも、歴史を省みるとある時期まで、この方法は正解だったと思う。しかし、自治でコントロールが効く範囲の「場」を鳥瞰的に把握し、そして自治でその「場」進化させる発想とは合いにくい。
ここにきて、人口縮小という危機に対して、空間(自治体)を鳥瞰的に見て「正しい空間の秩序」を模索せざるを得なくなった。これはひょっとして町の作り方の発想そのものを変える可能性がある。(了)
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