町のアーカイブは元祖・地域資源
エアランゲン市のアーカイブの責任者、アンドレアス・ヤコブ博士と拙著。
アーキビストの情熱が100年後も町を堂々としたものにするだろう。(2015年3月3日撮影)
■うちでも収蔵しなきゃ
同市アーカイブの責任者、アンドレアス・ヤコブ博士は、最近私の本の存在を知った。そのとたん『こりゃ、うちでも収蔵しなきゃ』ということになった。というのも、拙著はエアランゲン市のことを具体例として、数多く取材しており、外国語(つまり日本語)で書かれた町の本という一面があるからだ。
アーカイブといえば、昔は『文書館』といった翻訳で紹介されることがあった。地味でホコリ臭い無用のものを集めているだけと考える人も少なくないが、ドイツの自治体でアーカイブの設置は義務だ。町に関する文書類や絵・写真などを集め、整理保管している。そしてこれらは町の歴史に関する本や展覧会で活用されるほか、一般の人も論文や書籍の類を執筆する際に利用することもできる。
■アーカイブがない!と驚いたイタリア人
ところでドイツは地方分権型の国である。なぜ成り立つのかといえば、各地域が強いアイデンティティを歴史的に持っていることが大きな理由のひとつだ。そして、これはアーカイブ抜きでは考えられない。収蔵物は町の歴史の源泉であり、町のアイデンティティを裏付けるものになるからだ。
さらに国家にも同じような発想が見い出せ、アーカイブは国家の存在の根幹部分にも関わっている。この考え方は西洋全体でも共有されているようだが、日本ではアーカイブの必要性についての発想も弱く、数も少ない。そのせいか、日本へ行った、あるイタリア人が『なぜアーカイブがないのだ』とずいぶん驚いたという話をきいたことがある。
確かに『アーカイブの有無』ということから考えていくと、機密を含む国家の情報リテラシーや、国・地域のあり方がなぜドイツと日本が根本的なところで異なるのか、ということが浮かび上がってくることがある。
■元祖・地域資源の貯蔵庫
アーカイブに保存されているものには負の歴史を語るものもある。しかしそれも含めて、本物の『記憶』だ。昨今、『町の地域資源を見出そう』といった類の議論が増えてきているようだが、アーカイブは町の存在そのものを根拠付ける元祖・地域資源の貯蔵庫なのだ。地味だが100年単位で町の存続を考えると絶対必要だと思う。
ひるがえって、拙著の収蔵を決定した時のヤコブ博士の様子は、『エアランゲンに関するものは全て集めるぞ!』という情熱がひしひしと伝わってきた。こういうアーキビストの存在が100年後も町の存在を堂々としたものにしてくれるだろう。(了)
<ひょっとして関連するかもしれない記事>
※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。