国境の島「対馬」で博物館を作る理由(文・髙田あゆみ)

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国境の島「対馬」で博物館を作る理由

観光のためだけではない、地域のためだ

2017年5月9日

執筆者 髙田あゆみ (対馬市島おこし協働隊つしまミュージアム・プロモーター

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■対馬を語る地元の人が増えるか?

このような状況打開のきっかけになりそうなのが、2020年早春の開館を目指している対馬市の博物館建設事業だ。博物館というと、観光客を集める役割が期待されがちだが、私はむしろ、その地域に住む人たちへの影響力に着目している。対馬について総合的に学べるため、教育や観光など様々な場面で活用できる施設になると思う。

金田城跡の城壁。この城は日本書紀にその名を見ることができる。(写真=髙田あゆみ)

実は島では、合併以前よりその必要性は唱えられてきたが、長らく実現に至らなかった。2011年度に対馬市が、島内外から有識者を集め博物館基本計画策定委員会を設置。1年かけて基本計画を策定した。その翌年には、市民の気運を高めようと市内各地で基本計画の説明会を行った。こうした「地ならし」を経て2015年度に建設への動きが本格化。その後、設計事業者を決め、2016年度から設計スタート。2017年秋には着工を予定している。

博物館の設立とともに、子どもたちが年に一度は必ず通うような仕組みを構築できれば、「この島には何もない」などと言う人は将来的に減るのではないかと考えている。いや、むしろ対馬を自ら語ることができる人が増えるかもしれない。博物館はそういう「地元の人」を増やす基礎になると期待している。

烏帽子岳展望所から眺める浅茅湾(写真=髙田あゆみ)

■島内移動の拠点としても期待

博物館の予定地は対馬を長い間治めた宗氏の居城・金石城の跡地だ。 周辺には金石城の庭園や復元された櫓門、文禄・慶長の役で築かれた清水山城の跡、宗氏の菩提寺である万松院と墓所があり、歴史を体感できる地域だ。また、市役所や商業施設、繁華街などが周辺にあり、人がよく集まる場所でもある。

このような立地なので、博物館は対馬の自然、歴史、文化について発信のみならず、広い島内に足を延ばす拠点となるような施設になり得る。

図:南側から見た博物館完成予想図(2016年12月1日時点、対馬市提供)

一方、建設にあたりクリアすべき課題もある。延床面積約5,000平方メートルの博物館は、人口規模3万人の自治体が抱えるには大きすぎるかもしれない。しかし、対馬の特徴を伝えるにはこれでも足りない。また対馬市は資料の充実や魅力的な建築・展示設計だけではなく、専門知識を持った人材の雇用や他機関との連携など、運営していくための仕組みを築いていかなければならない。

開館予定まで既に3年を切っている。今できる最善の選択をしていくことが、今の私たちが対馬の未来のために唯一できることだろう。対馬で生まれ育った子どもたちが「対馬ってこんなにすごいんだ!」と目を輝かせながら話すようになることを心から願っている。(了)

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執筆者 髙田 あゆみ(たかた あゆみ)

対馬市島おこし協働隊つしまミュージアム・プロモーター

1990年、東京都生まれ。首都大学東京建築都市コースを卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士前期課程を修了。専門は文化行政、アートマネジメント。特に市民協働による文化行政に関心を持つ。現場に出てみたいという思いから、2015年度より3年間の任期で対馬市の博物館立ち上げに携わっている。その他、対馬の音楽イベントの企画運営や、東京の劇団の制作のお手伝いなどをしている。ご意見やご質問は、atakata.0206[@]gmail.comまでお送りください。