難民流入のクリスマス、地方都市は何をした?┃高松平藏・在独ジャーナリスト

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難民流入のクリスマス、地方都市は何をした?

ドイツ・エアランゲン市の広場とクリスマス市場

2015年12月21日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

テロ、難民といった混乱が続く欧州だが、ドイツの 10万人都市エアランゲン市のクリスマスは町として追悼、抗議、共存といったシグナルを出している。

市民・難民ともにクリスマスを祝う催しで上演された演劇の原作絵本。

ドイツに住むトルコ人家族とその小さな女の子が主人公。

■市長、学長、学生らが登壇

11月半ばに同市ではパリのテロに対する追悼集会が行われたが、次いで今月 12日、小雨の中、市役所前の広場に 500人が集まった。市民のイニシアティブグループと同市や他団体によるデモンストレーションだ。ドイツへの難民受け入れの法的背景は 1949年の連邦基本法(憲法に相当)。政治的迫害された者の庇護権の原則にある。ところが秋には流入のコントロールをめぐる議論が出てきた。

それに対して集会では同市市長はじめ、エアランゲン大学学長、ギムナジウム(高等教育学校)の学生らが簡易舞台に登壇し、庇護権の原則、人間の尊厳と反レイシズム(人種主義)を確認した。また同大学には 125ヶ国からの学生がいる。

12月12日、エアランゲン市役所前の広場。人間の尊厳の不可侵などが確認された。

■クリスマス市場をより深い意義のある空間に

クリスマス前の最後の日曜日、20日は市街広場で市民や難民らがともに平和と共存を願い、クリスマスを祝った。これは社会福祉分野の活動が目的の『市民財団』による催しで、昼過ぎからスタート。飲食のスタンドでは難民の若者たちも、その運営を手伝っていた。

また私は夜、現場へは行けなかったが、翌日の地元紙によると、ヤニック市長はじめ、市民や難民ら参加者がキャンドルを灯し、1960年代のアメリカで公民権運動のなかでよく歌われた『We Shall Overcome』を歌ったという。クリスマスシーズン中はこの広場ではクリスマス市場が開催されている。家族や友人と屋台めぐりやグリューワイン(ホットワイン)片手にお喋りをする場となっているが、この日は平和と共存という考えを共有・確認する公共空間になった。

市街中心地の広場で開催されているクリスマス市場。

市民・難民がともにクリスマスを祝い、平和と共存という考えを共有・確認する公共空間になった。

■良心のシグナル

当日の文化プログラムとして、広場に接する文化施設で演劇『シリンはクリスマスツリーがほしい』が上演された。長年、同市に住んでいたトルコ人作家、ハビブ・ベクタス氏の絵本が原作だ。

ドイツに住むあるトルコ人家族の物語で、小さな女の子シリンが両親に『どうして私たちにはクリスマスがないの』と迫る。そしてどうしてもツリーが欲しいシリン。『私たちのお祭りも、ドイツ人のお祭りもお互いに分けっこすればいいでしょう』という言葉に父親はどきっとする。 1991年に出版されたものだが、異なる文化・宗教がどのように共存できるかという点で、今日、より意味深い作品となっている。

難民問題は経済や政治など多くの利害でできた網にひっかかる。また個人を見ると自分の住む地域に難民が来ることに恐れや不安を持つ人もいる。しかし、同市は町としてどのような価値や原則を重視していくかという良心のシグナルを発しているかたちだ。世界から見ると小さな動きだが、エアランゲン以外の町でもこのような取り組みはあるはずだ。小さくともたくさんのシグナルが発せられることは大切だと思う。(了)

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