「学び」に変化、部活動が地域社会と結びつく可能性(文・炭谷将史)

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連載 彦根から考える地域スポーツ論 第1回

「学び」に変化、部活動が地域社会と結びつく可能性

部活動の問題、学校の矛盾から考える

2016年9月24日

執筆者 炭谷 将史 (聖泉大学准教授

【彦根】 数年前から学校の部活動のあり方について議論が活発化している。部活動を「学びの人間関係」という視点から捉え、地域社会で活かす方法はないだろうか。聖泉大学(彦根市)の准教授、炭谷将史さんの連載、第1回目をお送りする。 連載一覧

■部活動が抱える2つの問題

大阪の高校生が部活動での体罰を苦にして自ら命を絶った痛ましい出来事は記憶に新しい。それをひとつのきっかけとして、部活動に関する議論が盛んになったが、論点は2つある。(1)教員の過剰労働の問題、(2)指導方法の問題だ。

まず過剰労働問題は、部活動を学習指導要領には記載されていない、つまり教育課程には正式にカウントされていない活動であるとみなすところに根を持つ。

一方、指導方法に関しては、暴力的な指導方法や過剰練習などの問題である。 指導者(多くの場合、教員)は暴力によって生徒・学生の覚醒水準を高めて能力を発揮させようとする。部活動指導をしている人(特に強豪と呼ばれる部活の指導者)の多くは、その苦痛を乗り越えて結果を残した人たちであり、自身の経験を再生産してしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

■学校内に人間関係の矛盾がある

ここで学校でのスポーツ・文化活動の人間関係に着目したい。「学びの人間関係」という視点からいえば実は大きな矛盾が見出だせるからだ。この矛盾から、部活動問題のひとつの根源的理由を浮き彫りにできるように思う。

まず、従来の授業を見るとわかるように、小学校から高等学校では、答えを知っている先生が知らない生徒に「教える」という縦の人間関係を基本としている。そして言うまでもなくスポーツ・文化の課外活動までもこの人間関係が適用されている。

ところが課外活動、例えばスポーツを考えてみると、英語では、一般的にスポーツ指導者のことを「コーチ」(coach)と呼ぶ。コーチとは、もともと馬車の荷台を意味する言葉だ。そこから馬車に乗って受験会場まで引率する家庭教師のことをcoachと呼ぶようになり、イギリスのpublic schoolでスポーツの指導者のことをcoachと呼ぶようになったというのが一般的な説。このことから、スポーツ指導者は選手を目的地に届けるサポート役であり、目的地を決めるのは選手であると考えられていた。起源的には両者の関係はあくまでも対等な関係性といえるわけだ。

しかし、学校のスポーツにおける人間関係は横ではなく縦だ。ここに「学びの人間関係」からみた矛盾を見出だすことができ、部活動の諸問題の、特に指導方法の大きな枠組みになっているようにも思えるのだ。

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本来「横の人間関係」のスポーツが、日本の学校では「縦の人間関係」で運営されている。

■学びの人間関係に変化

ところが、社会の動きがはやくなった昨今、先生だから物事を知っているという時代ではなくなってきた。

なにせ現代社会には学校でなくても学べる場所はいくらでもある。そんな時代に、生徒・学生の方が物事を知っている可能性もある(京都大学の溝上(2007)はこういう社会のことを「ポストモダン社会」と呼んでいる)。その社会の変化が、指導者と学習者の関係性に変化を求めている。

現在の日本では至る所で「アクティブ・ラーニング※」を行っているが、これは学びの主役が「教える」ことから「学ぶ」ことに変わったことを示している。つまり、「学びの人間関係」も横関係(いや、斜めくらいか?)になりつつあるということである。

※教員からの一方向的な教育ではなく、生徒・学生の能動的な学修参加を取り入れた教授・学習法

■アクティブ・ラーニングの場としての部活動

運動部活動の歴史的変遷を詳細に検討した中澤(2014)によると、部活動は、そもそも学生・生徒の自由な発想や民主主義的な運営をする場として始まった活動だそうだ。教育課程の中では、学習内容が決められているため、部活動では自分たちで考え、自分たちで運営する姿を追求しようとした。

学びの人間関係が横関係に変わりつつある現代社会では、まさにこの根源的姿勢を求めるのに適した時代になってきたように私には思える。部活動における文化活動こそ、アクティブ・ラーニングに最適な場だと言えないだろうか。

■地域力の高い部活動があっても良いのではないか?

ここで私が住む地域の中学校の吹奏楽部の活動を紹介したい。毎年、この部は市民向けの定期演奏会を開催。もともと関西大会で入賞する実力で演奏レベルも高いということもあるが、一般の市民も演奏を聞きにやってくる。見るべくはその運営。受付、アンケートの配布・回収、席への案内、演奏会の司会進行など、ほとんどのことを生徒たちが行っている。心地よい運営に、また行きたいと思わせてくれるイベントだ。おそらく生徒たちにとっては運営を通じて様々な学びの機会となっているだろう。地域社会にとっても文化の機会を得ているかたちだ。

これをスポーツの部活動に置き換えてみよう。たとえば高校の水泳部が学校のプール開放を実施し、水泳教室を地域の子どもや高齢者対象にやっても良いかもしれない。その際、教える人だけでなく、安全管理をする人、受付をする人、一緒に泳ぐ人など多様な役割が必要である。一般の部活動では競技性の低い人が活躍する場は限られているが、地域性の高い部活動では多くの生徒が活躍できる可能性がある。

これまで部活動に対する評価といえば、競技性の高低しかなかった(例;全国大会の成績、甲子園に何回出場した等)。部活動がアクティブ・ラーニングの場となった場合、その評価基準を変えることができる。自主性や地域性、公共性などの視点から部活動の充実度を判断できるだろう。そして地域社会や部活動そのものも変わっていくように思う。(了)

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執筆者 炭谷 将史(すみや まさし)

聖泉大学人間学部准教授。専門は運動心理学、スポーツ心理学。主に子どもの運動遊びと心身の発達、スポーツとまちづくり、スポーツコーチングなどに関心を持って研究を進めている。また、一般社団法人スタジオふらっぷを主宰しており、子どもを対象としたスポーツ教室や福祉法人(保育園、高齢者施設等)のサポート事業(子どもの運動遊び活性化等)を展開している。関心のある方、記事のご感想等は炭谷(sum202122<at>gmail.com)まで。