なぜドイツはすごい国に見えるのか?
■スーパーでバインダーの特売
いかにもドイツらしさを示すドイツ語はいろいろあるが、私にとってUrkunde(ウアクンデ)という言葉がそうだ。証明書や法的効力を持つ証書、史料などを意味する。
ドイツという国は文書類を大量に作り、何かにつけ文書・証明書類を重要視する『文書国家』だ。大げさにいえば身分証明書のない人は存在していないことにすらなりかねない。そして実際、ドイツの人々は出生証明書から成績表、職業証明書まで全てファイリングしている。個人でさえこうなのだから、会社、官庁、NPOなど組織と言わずもがなだ。
そのせいか、ドイツでよく知られるアルディというスーパーなどは、学校の年度始まりの9月に、書類をファイリングするためのバインダーを特売品として大量にワゴンに並べる。スタンダードのバインダーは幅8センチぐらいある。(写真上)
そんな様子を、私は『文書主義(Urkundeismus/ ウアクンデイズムス)』と呼んでいる。でもって、ドイツの友人などに『ドイツってのは文書主義の国だね』と少々皮肉っぽく話すと、『む、いや、その通り』と肩をすくめて、ニヤっと笑う。
都市の内の人間かどうかを識別する必要性があったドイツ、
パスポートに対する感覚も日本社会とはまた違うと思う。
■都市の自治証明書
ではなぜ、ドイツはこれほどまでの『文書国家』になってしまったのだろう?
たとえば、中世に遡ると、都市は自治を行っていたが、貴族などの領主がいた。領主は普段住んでおらず、都市側は彼らに対して裁判権など自治を保証する証明書類を持っていた。また都市は市壁に囲まれていたため、外と内がはっきりしていた。つまり市民は内側(都市)の人間かどうかを証明する必要性もあった。ここに文書主義が強くなるひとつの理由が見出だせる。
都市は多くの文書を作る。いつしか保管場所が必要になってくる。つまりアーカイブだ。これらの文書類はいわば都市のアイデンティティで『郷土(Heimat/ ハイマート)』とも親和性が高い。郷土もまたドイツらしい言葉である。そんなアーカイブは決して派手な存在ではないが、今日、自治体では義務である。
■書き言葉と官吏の脳みそ
文書で世界が一旦ある種の抽象化がなされる。書き言葉で世界を秩序立てることにほかならないからだ。
今日のドイツの都市のあり方の源流は19世紀の官吏の登場にあるが、彼らの社会的属性は『教養市民』と呼ばれるドイツ独自の知的エリートだ。この階層が受けた教育と文書主義の相性がまたよい。彼らは完璧なシステム、体系としての社会の実現を指向した。ついでながら『秩序(Ordnung/オルドヌング)』もまたドイツらしい言葉だ。
巨大な体系を作ろうという官吏たちの指向性は官僚主義(ビューロクラシー)を生み出し、『文書主義』をさらに強めたが、ドイツ社会の秩序と安定性もまたもたらした。そして、日本からやってきた人が、そんな体系を目の当たりにした時、『ドイツはすごい国』と見えるのではないか。体系からは物事の有機的な連関、その全体を成り立たせる哲学やコンセプトが見えてくるからだ。
一方、ガチガチの体系は柔軟性にかける。先日亡くなった西ドイツの元首相ヘルムート・シュミットも指摘していたが、例えばガレージで起業したとしても、『窓のない職場は違法』といったようなことが出てくる。そういう意味では個人の才覚による、無鉄砲にすら見える荒々しいイノベーションが本質的には生まれにくい社会でもある。ともあれ、『証明書(Urkunde)』という言葉からドイツ社会の特徴が見出だせるのだ。(了)
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