多言語状況に組み込まれてきた日本語丨高松平藏/在独ジャーナリスト

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多言語状況に組み込まれてきた日本語

継承語をどう考えるか

2012年06月29日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

私の妻はドイツ人で、いわゆる国際結婚である。私の子供たちはバイリンガルだが、語学力という点ではドイツ語が日本語に比べて強い。グローバル化が進むとこういう言語状態がおこりやすい。『継承語』という概念から考えてみたい。

■継承語とは何か

聞きなれない言葉だが、『継承語』という概念がある。"Heritage Language "の翻訳だ。私自身は数年前、仕事の調べ物でぶちあたった言葉だったが、目の前の仕事には必要なかったので、特に詳しくみることもなく、そのままになっていた。しかし、頭の隅っこに『気になる言葉』としてずっと残っていた。そんな状態のところ、プリンストン日本語学校理事長のカルダー淑子さんの話を聞く機会があった。内容の中心は継承語の教育についてだ。今回は同氏の話を交えながら進めていく。

継承語とは国外に移住した世代が受けつぐ言語をさす。わかりやすくいえば、私の子供たちにとっての日本語がそうである。

私の家庭では日本語とドイツ語が飛び交うが、子供たちが普段使ったり、さり気なく読んだり聞いたりしている言語は圧倒的にドイツ語が多い。そのため、どちらかといえばドイツ語が母語になっているが、それにしても日本語は外国語というわけではない。

継承語は『語学力』という見方のみならず、アイデンティティと深く関係してくる。たとえ語学力として低くとも、日本的と思われる発想を理解したり、感情表現の上で継承語がしっくりきたりするケースなどもある。やや大雑把な言い方になるが、日本語はアイデンティティを形成する中で『日本』という価値を統合するのに大きな影響があるということだろう。

■継承語クラスの出現

日本国外には海外駐在の子弟のために、日本語を教える教育機関がある。教育機関といっても場所によっては親同士が協力しあって作った『日本語を教えるグループ』という程度のものもあり、規模も形態もばらばらだ。

カルダーさんが理事長を務めておられるアメリカのプリンストン日本語学校もそんな教育機関のひとつだが、生徒数300名弱とかなりの規模の学校である。1980年に開校したが、当初から外国語として日本語を勉強したい子供や大人を対象にしたコースと日本の学校をそのままもってきたような補習校部とを作った。補修校部とは数年後に帰国することを前提にした駐在員の子弟などが対象だ。したがって文科省の定めた内容に沿ったカリキュラムが作られている。

開校して15年後の1995年、継承語のコースを作ることになる。駐在員の子弟がそのままアメリカの大学に進学したり、永住、国際結婚というケースが増えてきたからだ。文科省の教科書やそれに沿った授業というのは、日常生活で日本語を使っていることを前提に作られている。ところが継承語のコースを必要とする人は、家庭内や特定のコミュニティでは日本語を話すが、それ以外は主に英語というケースがほとんどだ。つまり外国語というわけでもないが、文科省の教科書やそれに沿った授業では不十分。第3の方法が必要になってきたというわけだ。

『外国語としての日本語』でも『国語』でもない、日本語の教育が必要になってきた。

他方ドイツを見ると、歴史的には多言語社会の側面があるが、大雑把にいえば、それはあくまでも欧州内での多言語社会だったといえるだろう。

ところが近年、ドイツ国内(のみならず欧州)でイスラム圏などの外国をルーツにもつ市民と社会的統合をどうしていくかという議論が継続的に行われているが、そういう市民に対して、自治体によっては継承語教育を支援している。つまりドイツでの継承語の社会的・政治的位置付けが、ドイツでは『統合政策』の文脈にあるといえる。

そこで考えたいのが継承語としての日本語だ。

統合政策の裏には、社会的摩擦、文化・宗教の摩擦、雇用の問題など、『移民』のマイナス面とワンセットになっているようなところがある。しかし私の知るかぎりにおいては、日本をルーツに持つ市民にはそういった『移民』のマイナス面はあまり見えてこない。何だかんだといって、欧州では日系の市民の数がまだまだ少ないのと、企業の駐在、留学などで移住する人のほとんどは、ある程度の経済力や教育レベルの伴った人が多いからと推測できる。

そう考えると、やや乱暴な結論かもしれないが、日本語における『継承語』の議論は移民の統合政策という問題解消志向よりも、もっと積極的な意味が見いだせる状況ではないだろうか。

■グローバル化の現象として

カルダーさんの話は継承語の教育カリキュラムをどう作ってきたか、制度上どのような課題や問題があるか、といった具体的な話が広がってなかなか刺激的だったし、教育事業家としてのカルダーさんの知恵と情熱とタフネスもよく伝わってきた。

一方、話をききながら思ったのは外国に日本をルーツに持った現地市民がずいぶん増えたのだなあということだった。もっとも、欧州を見ると、もともと多言語社会という一面がある。母語が異なる夫婦というのは少なくないし、歴史的にも長い。

身近な例をあげるならば、妻の父方の祖母はフランス語も日常生活で話した。また義父は狭義のドイツ人であるが、クロアチアで育ったため、今も古い友達とはクロアチア語でメールをやりとりしている。クロアチア語の蔵書もかなりある。つまり妻にとってはフランス語やクロアチア語も継承語ということになるわけだ。ただ、妻はどちらの言語も使えるというレベルでは到底ない。カルダーさんもおっしゃっていたが、継承語は世代が下るほど消えていく。

これはもっともな話で、仮に私の子供が成人後に結婚した相手の母語が非日本語だった場合、私の孫にとって日本語は継承語ではあるが、どのぐらい使えるようになるかは未知数だ。

ともあれ、近年日本語教育で、継承語という概念が議論されるようになり、教育カリキュラム化される動きが出てきたということである。これは日本語が多言語型の状況の中にはいってきたことを示している。

■ドイツでの文脈の違い

■継承語の支援

日本語が多言語状況のなかにはいってきていることについて見方を変えると、諸外国の中にさり気なく『日本』が増えているといえる。つまり日本の思考、メンタリティ、文化などをある程度引き継いだ現地市民が外国に増えてきていることでもある。カルダーさんの話にもでてきたが、継承語という観点から外交、文化、教育など様々な方面からのアプローチが考えられるはずだ。

実際、私の子供たちを見ていると、今のところ幸い『日本』が肯定的にビルトインされている。つまりアイデンティティの一部として誇りのようなものを持ってくれているように思う。そしてこれは継承語である日本語の力も大きいと感じている。また学校などではさり気なく、あるいは意識的に工夫して『日本』を交友関係で活用しているように見える。

子供たちが将来、どこでどう仕事をし、生活をするかは分からないが、アイデンティティの中には日本という『価値』が入っているわけだ。こういう子供たちに『日本のために頑張れ』と言う気はないが、日本から見たときには何かしらの支援をすべき『人材』と位置付けられるのではないか。まあ、もっとも本人たちがそういう支援をどう思うか、どう活用するかはまた別の話になってくるが。

※ ※

ひるがえって、私の子供たちはバイリンガルであるが、もう少し詳しくいえばエアランゲン周辺を指す『フランケン』の方言と私の『母語・関西弁』のバイリンガルだ。グローバル化というと何もかも平板化するような印象を伴うが、案外こういうかたちで異言語の方言が1人の人間の中で統合されるのもグローバル化の現象かもしれない。実際、子供を見ていると感情表現には関西弁のほうがしっくりくる場合もあり、言語がアイデンティティに強く影響しているのがうかがえる。そしてわが家ではドイツ語を『母語』、日本語を『父語』とよんでいる。(了)

※カルダー淑子さんの肩書きが誤っていたので、訂正しました。(2013年1月8日修正済)

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※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。