気になる名称、『1億総活躍社会』

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気になる名称、『1億総活躍社会』

菊池桃子さんの提言に賛成

2015年11月02日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

安倍改造内閣が掲げる『1億総活躍社会』という政策の名称に強く違和感をおぼえた。それに対して、タレントの菊池桃子さんが『ソーシャル・インクルージョンと言い換えては?』との提言。これは賛成できる。

■どうだったんだろう?政策名決定のときの空気

『1億総活躍社会』という政策名をきいたとき、『活躍社会』はともかく、『一億○○』という言葉の選び方にドン臭そうな感じと、人を小馬鹿にしたような印象を受けた。政策名を決める時の話し合いの場はどんな感じだったのだろうか? 『これぐらいベタなほうが国民の皆さんにご理解いただけるのでは』ということであれば、最初から人を小馬鹿にしている。

逆にメンバーの多くが、『こりゃ、ぴったり。クールだ』だと本気で思っていたならば、彼らの思考の枠組みは古い。『一億総中流』などのように、これまでの使い方の踏襲だ。そこには一億人全員が同質の人間というふうに捉えているように思えるし、うがった見方をすれば、全員何か活躍せよ、という強制のような意味もとれる。蛇足ながら、もし私が外国の記者だったら、『一億総○○』という政策名を英語などの外国語に翻訳するのは大変だろうなとも思った。

■社会的包摂を政策に

さて、そんなある日、目についたのが<菊池桃子氏が名前に『ダメ出し』 1億総活躍国民会議初会合 『ソーシャル・インクルージョンと言い換えては?』 記者団とのやり取り詳報>という見出しだ(産経ニュースWEB版 2015年10月30日付)。

女優で戸板女子短期大学客員教授の菊池さんは1億総活躍国民会議の民間議員に抜擢され、10月29日の初会合に臨み、そのあとの記者団の取材に応じたものだった。この発言、私は賛成だ。とてもよいと思った。菊池さんの個人的な問題から出発していることもあり、説得力もある。それだけに政府側にとっても驚きだったかもしれない

社会的包摂の概念図。上から『排除』『分離』『統合』『包摂』。類似の概念図はよく使われる。(ウィキペディアから拝借)

『ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)』とは例えばハンディキャップを持っている人や、外国系の市民など、社会から排除されやすい人々が、どのように社会参加し、自由と平等を享受するか。そして存在価値を発揮し、共存できるかといったようなことを指す。

それほど馴染みのある言葉でもないので、政策名にストレートに使うのは難しい面もあるかもしれないが、社会的包摂を『活躍社会』と何かのかたちで関連付けることで、国のベース(であるはず)の『人権』といった基本的価値の実現を政策に込めることができる可能性がある。

■『自由・平等・博愛』から考える

この分野の議論は専門的なものがたくさんあるが、ひとつの理解として、人権と不可分の『自由・平等・博愛』から見てみよう。

自由すぎると他者の自由を脅かすことが出てくる。これを制御するのが平等だが、一方で『平等』を硬直的にすすめると、自由がなくなる。

それから『博愛』とは実は『連帯』のことだ。連帯というと労働組合などを想像する人もいるかもしれないが、もう少し普遍的意味がある。赤の他人同士の協力関係のことなどをさし、自由や平等を、より有機的に機能させる。そして、これが社会保障の原理でもある。

民主制の国々は、自由・平等・博愛を適正に、良質に機能するよう、目指してきたが、社会的排除という問題は常に出てくる。社会的包摂はこういう課題にいどむ概念だ。

それに対して『1億総○○』では、村長さんが『みんなで、がんばりましょう』とただいってるだけのようなもの。小さな共同体ならそれでよいかもしれないが、国家の政策となるとそれだけじゃ足りないと思う。政策には政治力学が働き、しばしば本来の理念からかけはなれた形になることもある。が、菊池さんの発言、いいかたちで影響することに期待したい。(了)

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