『50才以上』とドイツ社会の変化

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『50才以上』とドイツ社会の変化

世代間の連続性について

2012年05月11日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

今年54才のマドンナ、同世代のピンク・レディー。50代のイメージはがらりとかわった。先日見た『50才以上』のダンサーによるダンス作品からドイツの社会の変化について考えてみた。

■まだまだ元気

先日、私が住むエアランゲンの隣町の市営劇場で上演されたダンス作品を家人と一緒に見に行った。サブタイトルにはわざわざ『6人の50才以上のダンサーのためのダンス作品』と銘打ってある。

ところが、日本では能楽や歌舞伎で『高齢者』の域にある人が素晴らしい芸を見せてくれているし、大野一雄(1906-2010)という世界的な舞踏家は晩年まで踊り続けた。加えて私の知人・友人の現役ダンスアーティストの中には50過ぎた人もたくさんいる。だから私も家人も、なんでわざわざ『50才以上』を強調するのかと一瞬思った。

しかしながら、『市営』というある種のオフィシャル・カルチャーの象徴のような劇場で見るダンス作品にはいつも若いダンサーが出演している。力強く、華やかに、若い肉体が乱舞する。観客たち(中高年が多い)は現実を忘れ、溜息をつき、そして若いホルモンを摂取する(?)。それを考えると、この市営劇場で50才以上のダンサーというのは、やはり珍しいものであり、いいかえれば『今の50代はまだまだ元気』という時代を表す作品という解釈ができると思う。

■非連続性の世代

高齢化社会化が進むドイツにおいて、50才は『まだまだ』という印象が実際ある。私は定期的に柔道の練習をしているが、仲間の中には体力も気力も旺盛な50代も多い。

50才代でもなぜ元気なのか。いろいろな理由が考えられるが、ひとつの仮説としてサブカルチャーや生活文化について、現在の若い世代と連続性があるからではないか。

ドイツにも日本の団塊世代のように、学生運動を展開した『68年世代』と呼ばれる世代がある。現在の60代がそうだ。日本とは異なり、この世代は政治や社会、ライフスタイルまで本当に変えてしまった。わかりやすいのが『緑の党』。ドイツのオルタナティブな運動は政党にまでたどりついた。

この世代の出発点は強烈な親世代の否定だった。何しろ、この世代の親のほとんどは濃淡はあっても何らかのかたちでヒトラー政権に関与していた。そして親世代は伝統的で権威的な文化を愛した。

それに対して68世代は現在のサブカルチャーを確立してしまった。68世代は親の世代とは文化や価値観、ライフスタイルに大きな非連続性があったといえるだろう。

■ロックイベントで親子がばったり

ビートルズやローリングストーンズを聞いていた68世代は今日のロックやポップスにそれほど違和感がないということがいえる。50代ならなおさらだろう。ロックイベントでは、親子がばったり会うようなケースもある。

またドイツでも若者あいだでMangaは人気があるが、翻訳出版を手がける出版社のあるディレクターは、人気の秘密は自分たちの世代を示す道具だからと分析している。というのも、今の若者と親は共有できるものがあまりにも多いからだ。ところが親にとってMangaは未知のカルチャー。若者がやっとみつけた親との『差異』というわけだ。

■三世代で住む

長いあいだ『ドイツでは18才になると、家を出て独立する』と紹介されていた。が、最近、ドイツで三世代が一緒に住む動きが出てきている。これも世代間での『文化の連続性』があるから可能になってきているのではないだろうか。

『異なる世代が一緒に住む』というよりも、(基本的な価値観やライフスタイルを共有する)若者たちが一つの部屋や家をシェアする感覚で、複数世代が住むと解釈すると合点がいくように思う。

私が住む町には若者が集まるクラブがある。かなり前から『30才以上』のディスコパーティが行われていたが、何年か前から『40才以上』の日も設けられた。『50才以上』の日ができるのも時間の問題だろう。

■おまけ:マーケティング的にはよかったが

ひるがえって冒頭のダンス作品を考えると、市営劇場という『オフィシャル』な舞台で『50才以上』を強調するのは、確かに目をひく。マーケティング的にはうまいやり方だ。

また6人(男女3名づつ)のダンサーたちはそれぞれ素晴らしいキャリアもすでにあるし、実際にダンスもよかった。ただ作品そのものはいまひとつ。文化の連続性があるといっても、50年の人生経験はダンスという表現にも当然反映するだろう。

コレオグラファー(振付家)は50代のダンサーという素材を活かしきる精神年齢に達してなかった。そんな気がしてならない。(了)

続編:ゆるゆるシンドローム/ 戦後から21世紀のドイツ社会の変化

※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。