国境の島「対馬」で博物館を作る理由(文・髙田あゆみ)
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国境の島「対馬」で博物館を作る理由
観光のためだけではない、地域のためだ
2017年5月9日
執筆者 髙田あゆみ (対馬市島おこし協働隊つしまミュージアム・プロモーター)
【対馬市】九州と韓国の間にある島、「対馬」をご存知だろうか。この島で2020年開館予定の博物館事業が進んでいるが、その背景と意義について触れてみたい。博物館といえば観光に期待されるが、むしろ地元の人ためのものであり、地域に不可欠な施設だ。私は「島おこし協働隊」として博物館設立のお手伝いをしている。
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■国境の島
対馬島は九州と韓国の間に位置し、南北82km、東西18km、面積約708平方kmの島だ。国内では、沖縄本島、佐渡島、奄美大島に次ぐ大きさを誇っており、長崎県内最大の面積をもつ自治体でもある。空港がひとつ、そして港が2つある。これらは対馬の玄関口で、長崎・福岡へは飛行機で約30分。福岡へは高速船やフェリーでも行くことができる。
図:対馬の位置(髙田作成)
島は自然の宝庫だ。約89%は山地で、各地に原生林が残る。島の中央にはリアス式海岸を持つ浅茅湾(あそうわん)が広がり、小さな島がポコポコと浮かんでいる。地質の大部分は堆積岩で、農業に向いている土地とは言えない。
島は自然の宝庫。固有種のツシマウラボシシジミ(写真=対馬市提供)
この「対馬市」、2004年に6町が合併したことで誕生した。しかし人口減少に悩まされている。1980年代前半には合併前の6町の合計人口は5万人程度あったが、現在は3万人にまで減った。一方、地図をご覧いただくとわかるが、この島は朝鮮半島と九州の間にあり、対馬・釜山間の高速船がほぼ毎日運行されている。2016年にいたっては26万人弱の人が韓国から対馬にやってきた。まさに、ここは国境の島なのだ。
■「この島には何もない」と言う人々
この「国境の島」は、高速船のない古代から大陸との架け橋だった。人的・物的交流に寄与してきた歴史もあり、対馬では今もなおその様子を伺える。自然を見ても大陸系生物、日本本土系生物、対馬固有生物が生息している一方、本土でしばしば見かけるサルやクマなどは生息していないと言われる。
弥生時代にもたらされた銅矛や土器、防人が派遣された金田城、東アジア各国からもたらされた仏像や経典、江戸幕府から任された朝鮮王朝との外交を示す資料、明治時代以降の要塞化によって建設された砲台をはじめとした軍用施設跡など、歴史を語るものは枚挙にいとまがない。
対馬独自のものもある。たとえば伝統的保存食「せん」がそうだ。食糧難の際サツマイモを長期間保存するために編み出された。発酵と乾燥を繰り返して作るが、完成するまでに3〜4ヶ月かかる。最後は「ところてん」のように麺状、あるいは団子状にして蜂蜜などをかけて食べる。手がかかることから生産者は減る一方だが、近年では健康食品としても注目され始めている。
軒先きで乾燥中の「せん」(写真=髙田あゆみ)
このように対馬は「ネタ」に事欠かない。それにも関わらず、その魅力は表に出てきにくい。 その理由は何か、答えは単純明快だ。対馬出身の多くの人がその魅力を「知らない」のだ。知らないから「この島には何もない」という人が多い。ここで働き始めてから、この言葉を幾度となく聞いた。 また郷土学習をするにしても、市内の小中高校には島外出身の教員が多く、教員も一から勉強しなければならないのが現状なのだ。
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執筆者 髙田 あゆみ(たかた あゆみ)
対馬市島おこし協働隊つしまミュージアム・プロモーター
1990年、東京都生まれ。首都大学東京建築都市コースを卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士前期課程を修了。専門は文化行政、アートマネジメント。特に市民協働による文化行政に関心を持つ。現場に出てみたいという思いから、2015年度より3年間の任期で対馬市の博物館立ち上げに携わっている。その他、対馬の音楽イベントの企画運営や、東京の劇団の制作のお手伝いなどをしている。ご意見やご質問は、atakata.0206[@]gmail.comまでお送りください。
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