創造的体育会系を作れるか?┃高松平藏/在独ジャーナリスト
■異端者柔道家の物語
先日、順天堂大学でJudo3.0 Forum『なぜ柔道は世界を変えるのか? 教育・医療・福祉を再構築するイノベーターの集い』が2日間にかけて行われた。私もネット中継でドイツの柔道について講演を行ったが、それ以外の方の講演やワークショップがあり、現場に足を運べないのが、なんとも残念に思えた。
さて、そんな中で発達障害の子供を指導されているユニバーサル柔道アカデミー 長野敏秀さんの講演があった。講演録を読むと、長野さんは子供のときに柔道を開始。ご多分に漏れず(?)「根性、根性」型の典型的な体育会系柔道をされていたようだ。
後に指導者になられたが、やはり勝利偏重の指導。しかし、どうもこれは違う、と柔道のユニバーサルデザイン化を目指したという。長野さんの試行錯誤の「柔道遍歴」にはとても説得力がある。興味のある方はぜひ、こちらをご覧いただきたい。
■安定とダイナミズムが同居するような社会
さて、日本のスポーツ文化の中心はというと、「体育会系」だ。精神論と勝利至上主義が核にあり、人間関係もヒエラルキーのある秩序、先輩後輩システムで運営されている。
高度経済成長の時代は、「体育会系」人材が必要とされ、それなりにうまくいったような雰囲気があった。しかし、飛躍的な経済成長が見込めない段階にはいり、安定とダイナミズムが同居するような社会が必要になってきている。
「安定」の部分は誰も排除されることなく、社会的公正を優先しようという指向性、運動やコミュニティによる個人の心身の健康維持などが求められる。
「ダイナミズム」の部分は自由な議論や意見の表明、そして課題に対する対応策を創造的に考えること、いわゆるソーシャル・イノベーションといわれるような部分が大切になる。
競技や勝利もスポーツの魅力だ。しかしそればかりでは不十分。
■タコツボの強化構造
「安定とダイナミズム」がセットになった社会にするには、実はスポーツが有用だと考える。地域ごとにあるドイツのスポーツクラブを見ると、議論のヒントがたくさんある。「勝利」以外の価値をクラブ運営にきちんいれており、メンバー間のより平等な関係を追及し、多様な人々の交際があるのだ。
この様子と比べると、「学校」の部活がひな形になる日本のスポーツはいかにもタコツボ。あえて強い言い方をすると、体育会系価値偏重の視野狭窄に陥る環境ができあがっている。
聖泉大学准教授の炭谷将史さんによると、こういう体育会系の世界で順応し、「生き残った人」が再び指導者になってしまい、「体育会系価値」の再生産がおこるという。なるほど、タコツボ化を強化する構造にあるわけだ。これはたぶん、柔道の世界でも同じようなことが起こっているであろう。逆にいえば、冒頭で紹介した長野さんはかなり「珍しい柔道家」なのではないか。
■体育会系を進化させる?
一方で体育会系も、冷静に見れば、これまでの「蓄積」はたくさんあると思う。
また、「ドイツのスポーツクラブがよいらしい」と導入しても、ドイツのようになるわけでもない。むしろ劣化コピーにならないように注意を払わねばならないだろう。
それを考えると、「体育会系」の創造性を高める方向で議論するのもひとつかもしれない。既存の考え方や方法に疑問を持つこと、柔軟に課題をたてたり、その推進策を考えること、世界全体で、自分たちの考え方や行為を相対化して見ること。こういうことができるようにする何らかの「一般教養」のようなプログラムがあるといいのではないだろうか。
冒頭の長野さんとは直接お会いしたことはないのだが、「(たぶん)異端者」だったから柔軟に、柔道の哲学を今の社会に応じたかたちに変革できた。しかし、「一般教養プログラム」を何らかのかたちで体育会系の必修にすれば、異端者でなくても、スポーツを柔軟に捉えることができるようになるように思う。
ちなみに、ドイツの10代向けのサッカーキャンプでは、「職業適性テスト」をすることがある。こういうキャンプに参加する少年たちはプロのサッカー選手にあこがれていることが多いが、選手という「職業」を相対化させ、「サッカーバカ」の視野狭窄に陥らずキャリアを形成することを念頭においているのだろう。(了)
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