ドイツの町で、イスラムの葬儀に行ったはなし

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ドイツの町で、イスラムの葬儀に行ったはなし

外国系市民15%の都市でおこる異文化の接触

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2016年3月25日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

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葬儀もほぼそのような感じだったが、今回は結婚式のときとはやや異なった。

というのも、イスラムのスタイルが主導で、宗教儀式には強さがある。 まず非イスラムの弔問客は男女別も受け入れるし、棺の前にも一緒に並ぶ。また、墓地での埋葬のあと、祭司のような人が節のついたお祈りを捧げたが、ドイツ語にも翻訳して、やはり同じ節で2度祈ったのだった。

■個人ベースの接触・経験・交流

葬儀でおこったことを整理すると、夫側の弔問客も亡くなった夫人の冥福を祈るため、異宗教の流儀に敬意を持ちながら参加した。「イスラム側」も墓地での祈りをドイツ語に訳して、非ムスリムの弔問客にも配慮したかたちだ。底流にあるのは相互敬意と寛容という姿勢が共有されている点だ。

人口10万人のエアランゲン市は140ヶ国の外国系の市民が15%程度いる(私もその一人だ)。ドイツ国内でも外国人比率は高い方で、当然、国際結婚のカップルやいわゆる「ハーフ」の子供も珍しくはない。伴侶を亡くした友人はどちらかといえば、いかにも「地の人」という感じの、ちょっと保守的な人物で、イスラム女性と結婚すると聞いた時には随分驚いた。が、確率的にいえば、格別に珍しいことでもないのだ。

宗教対立などに目が行く昨今だが、国際結婚の類が増えると、今回のような親密圏をもとにした、個人個人の、様々な形の接触・経験・交流が伴う。

葬儀には友人の甥っ子たち(ドイツ人)も来ていたが、「おじ夫婦」を通して、イスラム文化は精神的に少しばかり近いものになっていたであろう。また葬儀ではイスラムの儀式に参加する経験も得たわけだ。精神的に遠かったものが近づくと、視野の広さにつながる。

エアランゲン市には140ヶ国の外国系市民が住む。

写真は在住のトルコ人グループによる舞踊の披露。

市営ミュージアムの中庭で行われた。(2010年5月)

■町が「相互敬意」と「寛容」を共有する姿勢を作っている

同市に目を転じると、失業率が低く、一人あたりのGDPは国内でも高い。そのうえ研究開発型の経済と大学の存在が大きく、 外国人といっても高い教育を受けた人が多いため、外国系市民の増加に伴う問題が起こりにくい。むしろ、異なる文化背景の人が集まることが創造性につながるとする、都市論でいう「クリエイティブクラス」の条件を満たしているのだ。

それにしても同市の政治家や市民活動が人間の尊厳をもとに、外国系市民との社会的統合を継続的に謳い、約40年前から外国系市民による「外国人・統合議会」という市議会の補助的なものもある。

エアランゲン市の「外国人・統合議会」40周年の展覧会の一部(2014年5月)

また、低所得者のための福祉アパートは、どうしても外国系市民が住むことが多いが、外国人ばかりのコミュニティにならないように、市が分散するようコントロールしている。葬儀が行われたイスラム・コミュニティセンターも定期的に誰でも見学できる「オープンドア」イベントを行い、宗教や文化の紹介に努めている。こうしたことが相互敬意と寛容という姿勢を共有する下地を作っているように思える。

「多様性のためのコミュニケーション-ピクニックパーティ」(2014年9月)

市街中心地の歩行者ゾーンに160メートルのテーブルが用意された。参加は自由で800名が交流し、楽しんだ。道行く人たちもしばし立ち話。歩行者ゾーン・市街中心地の求心力といったドイツの都市の特徴がうまく活かされた。社会的統合のためのプログラムのひとつ。

ひるがえって、個人的には伴侶を亡くした友人の気持ちを考えるとなかなかつらい。私とそれほど年齡の離れていない彼女の死そのものもショックだ。他方、イスラム文化は私にとって、精神的に遠いものだったが、こういった経験を通して、少しづつだが身近になっているのを感じている。これは彼女からの最後の贈り物なのかもしれない。(了)

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