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人は500年前から同じことをやっている

ビール祭りは大騒ぎ

2013年05月21日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

私が住むエアランゲン市のビール祭りに仲間と毎年足を運ぶが、そこで繰り広げられる様子は本質的に500年前から変わっていないように思えてならない。

乾杯!盛り上がるエアランゲン市のビール祭り

■エアランゲンのビール祭り

エアランゲン市のビール祭りは今年で285回目。日本でビール祭りといえばミュンヘンのオクトーバーフェストが有名だが、こちらは観光イベント傾向が強い。それに対してエアランゲン市の場合、村祭りのような地縁の祝祭でもなく、それでいて観光イベント傾向も極端に強いわけではない。

ビール祭りはドイツ各地にある。エアランゲンの自治体を代表するようなものから、村祭りレベルのもの、はてはコミュニティレベルのものまで様々だ。ドイツの自治体は小ぶりなところが多いので、エアランゲン市のように人口が10万人ともなると、けっこうな都会である。このサイズが村祭りと観光イベントの中間を行くようなかたちにしているように思う。

■乾杯・合唱・ダンス

このビール祭りに私はスポーツの仲間たちと一緒に毎年足を運ぶ。1リットルのジョッキで比較的時間をかけて飲むのだが、ビールを口にするたびに向こう三軒両隣に座っている人と乾杯する。すると次々に皆ジョッキを持ち上げるので乾杯の連鎖が起こる。つまり一緒のテーブルについている仲間たちの誰かがビールを飲む前に乾杯をはじめるので、何度も何度もジョッキをゴツン、ゴツンとあてなければならなくなるのだ。

歌も楽しい。ビール祭りでバンドが演奏するのは、伝統的な曲からオールドロック・ポップス、スタンダード化している最近の曲までいろいろバリエーションがあり、ドイツの現代人のツボにはまっている曲がそれとなくわかってくる。例をあげるならば、80年代に世界的にヒットしたネーナの『ロックバルーンは99』などが演奏されると盛り上がる。また先日、『ダーティ・ダンシング』という1987年の中途半端に古い映画がなぜドイツで人気があるのかについて書いたが、同映画のラストシーンで印象的な『Time of my life』なども皆ノリノリになってくる。

こうしたバンドが演奏している曲を聞いているだけではない。むしろ一緒に歌う。ドイツをみていると合唱文化とでもいうようなものが、けっこう今も残っているが、ビール祭りで皆が一緒に歌うことと地続きに思えるのだ。そして挙句のはてはベンチ状の長イスに立って、踊りだす。

歌って、踊る。熱気は最高潮

■500年前と一緒じゃないか

いつだったか、ビール祭りの記事を書いた時に、その様子をさらりと説明するために『何度も乾杯して、皆で歌って踊る』というような書き方をした。校正も印刷も終え、できあがったものを読んだときに、ハタっと思い出したのが、歴史社会学者の故・阿部謹也さんの、とある本。ドイツ中世の職業組合が仲間との結びつきを高めるのに、どんな宴を繰り広げていたかということを書かれていたくだりが、確かよく似た書き方になっていた。

それを思うと、仲間がテーブルを囲み、飲食をともにした時に人々はどうするかというと、500年前からあまりかわっていないように思えたのだ。以前、とある小さな町の政治家たちのパーティに参加したときにも同じようなことを思った。

また、ナチス時代のナショナリズム高揚のためにどんなことをしていたかを示すフィルムを見たことがあるが、その中には表面上、伝統的なビール祭りがの形態をとっていた例もあり、とても印象的だった。

■これだから、比較に困ってしまう

われわれが伝統だと思っていることの中には、意外と少し前の時代に恣意的に作られたものもあるので、慎重に見なければならないものもある。だが、それにしてもビール祭りのように飲食を通して仲間とどのように結びつきを高めるかといったようなやり方には500年ぐらいまえから変わらず、国や地域の気質のようなものが生きているように思えてならない。言い換えれば、国や地域の現代社会はそういった気質もひとつの要素として出来上がっているわけだ。

やや飛躍するが、私はドイツと日本を比較しながら記事執筆や講演をすることが多い。しかし長い年月を経ても続くドイツの気質を見出すたびに、単純な比較の難しさを感じるのだ。(了)

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※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。