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ボランティアは手弁当と訳せ

『公共』を充実させる自由意志

2013年7月2日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

地域社会の質を高めるのもののひとつに、ボランティア活動がある。日本でもすでに『ボランティア』という言葉は普及しているが、『手弁当』と訳したほうが日本社会ではしっくりくるんじゃないだろうか。そんなことを考察してみる。

■外国のボランティアってすごい?

まちづくりとか地域の活性化という言葉の入った議論のなかで、その実現のためにはボランティア活動が多いということが大切だ、と言われる。私利のためでもない『公共』の部分の充実につながるからだ。

私はドイツのことを紹介しつつ、クオリティの高い地域社会はどうすれば実現できるか、というような話を講演などでするのだが、そんな中で『ドイツのボランティアってやはりスゴイんでしょ?』という質問を受けることがある。

ドイツには長い休暇を使って、ボランティア活動をする人がいる、と紹介されているのを私も読んだことがあるが、そういった類のレポートによって『ドイツのボランティアはすごい』というイメージを作られるのだろう。

さらに、『ボランティア』は外来語だ。外来語は専門家が使いはじめる事が多く、『渡来ブランド化』しやすい。ボランティアという言葉はすでによく使われている言葉ではあるが、外来語ゆえに、必要以上に『本場の外国のボランティアはすごい』というイメージがつきやすいのかもしれない。

■気楽に見える

かたやドイツを見ると、英語のボランティアに相当する単語に『自由意志、自発性』(freiwillig)や 『無給の・名誉職の』(ehrenamtlich)というような言葉をよく聞く。詳細に語源や歴史的に使われてきた体系を整理すると、教会や軍やら、ややこしい流れがあのだが、ここで強調したいのは『自由意志』という意味合いだ。

ドイツでの日常を見ると、ボランティアが担っていると思われることは確かに多い。また私が住むエアランゲン市でもボランティアを盛んにしようという動きがある。が、なんとなく気楽に見えるのだ。

■教会、スポーツクラブで

例えば教会でのフェスティバルやスポーツの試合ではケーキやコーヒーを販売し、その売上を教会の運営などにあてることがあるが、ケーキを焼いたり、販売したりするのは教区の人やスポーツクラブのメンバーだ。これだって立派なボランティア。

個人が職業上の技術や専門性をボランティアに反映させることもある。

あるスポーツクラブ(NPO)での試合では、会計まわりを銀行マンのメンバーが担当しているケースを見たことがある。私も仕事上、写真撮影をするが、この腕を買われて(?)、幼稚園や教会、スポーツクラブなどから写真撮影をすることもある。そして活動に対して、経費や報酬が支払われることもある。こういった活動などは職業上の技術や専門性を活かした社会貢献・ボランティアを示す『プロボノ』の範疇に数えられるものもあるのではないか。

プロボノ: pro bono publicoの略。ラテン語で善い事を公用に供するといったような意味。

■なぜ『自由意志』が可能なのか

日本でも自治会、学校・幼稚園などでボランティアが行われている。

ただ、コントラストを大きくしていえば、日本のほうは地縁・血縁的な強制力が働きやすい。というのも、もともと『奉仕』『義務』と位置づけられていたものもけっこうあり、そのせいで、『自由意志』という要素が入りにくいのではないか。

例えば消防団は日本では地縁組織で地域によっては強制力も強い。ところがドイツでは消防団もNPO組織だ。つまり法人化されているため、地縁・血縁とは異なるある種の抽象化がおこっている。そのせいか、あくまでも『自由意志』での参加が基本になる。

■自由意志という意味を強調する『手弁当』

一方、日本を見ると、過去には阪神・淡路大震災、最近では東北地方太平洋沖地震の起こった際に瓦礫処理など、諸々のボランティアが被災地へ向かうようになった。その点では日本のボランティア事情はこの20年ぐらいで随分かわった。

それにしても、例えばボランティアを『手弁当』と訳してみてはどうか。こちらのほうが自由意志という要素をより全面に押し出せそうな気がするのだがどうだろう? ただ、日本では手弁当活動のためには、長時間労働・通勤など社会的環境にいろいろ課題があるように思える。この点はまた稿を改めて触れたい。(了)

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※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。