ドイツ、18歳の有権者はどう育ったか?│高松平藏・在独ジャーナリスト
選挙運動は広場で。政党がインフォスタンドをたて、候補者や党員がまちゆく人と直接対話をする。
■哲学、倫理、歴史、言語 から学ぶ近代というアイデア
なるほど、と思ったのが、とある高等教育機関(ギムナジウム)の授業内容だ。一言でいえば近代の社会・国家というアイデアについて、哲学、倫理、歴史、芸術、言語といった側面から、その成り立ちと構造を学ぶカリキュラムになっていることが読み取れる。
ドイツでは近現代史の授業がしっかりしているといわれるが、それはこうしたカリキュラムの一側面と見るべきだろう。しかも、今、世界で起こっていることと関連付け、構造的に捉えようとすることもある。そんな具合なので、大学の1年生の講義でカントだの、なんだのということが出てきてもスムーズに進む。
もっとも、ギムナジウムは大学進学が前提になっていることを考慮する必要がある。また、ギムナジウムにもある程度専門がある。それから生徒たちは所詮10代だ。各教科の意味を関連付けて理解している者はそれほど多くはないだろう。むしろ、これらの教科をこなして良い成績をとることに必死だ。しかし、あとあと、選挙、民主制、政治、社会運動などの現実に対する理解が必要なときに、重要な知識になってくるように思える。
■デモクラシーは町にある
以前、私が住むエアランゲン市の投票率を見て、意外にも低いと思ったことがある。しかし、これは決して民主制が成り立っていないということではない。その代わりといってはなんだが、市民にとって重要な課題が出ると、デモ、集会、市民イニシアティブがおこる。また、その現場が町の広場だ。そういうところへパンクの若者もさり気なく混ざっていることもあるのが面白い。(写真下)
それらのアクションは政治や行政とつながりやすく、また若者と政治を直接・間接的につなげる組織や仕組みも町にある。こういったことはドイツの地方都市の自律性とワンセットだ。そもそも議論を尽くして、その上で市民投票や政治的決定を下すという民主制というのは、大きすぎない共同体、すなわち基礎自治体のほうが機能しやすい。
またドイツにはNPOなどの社会的組織が無数にあり、学校や肩書とは別の人間関係をつくる。例えば同市は人口10万人だが、NPOに相当する組織が740ある。地縁組織ではないので、子供から高齢者にいたるメンバーは自由意志で所属している。ここで生まれる人間関係は地域内の民主制の地力としてあなどれないだろう。
■公共空間に踏み出すということ
内容の是非はとにかく、子供や若者も意見をよく言う。良くも悪くも学校では活発な発言と成績評価が関連していることもあるが、過剰に空気を読んだり、発言『させていただきます』などという遠慮があまりない。
また小学校で次のように『抗議の順』を教えているケースもある。例えばマンホールから悪臭といった問題があると、まず市役所へ、それで解決しなければ、地元紙の『読者からの手紙』へ投稿を。これでだめなら社会運動を、という順番だ。個人の意見を公共空間へ持っていき、公論にする手続きを教えているわけだ。しかも、ここで留意すべきは匿名ではなく顕名であるという点だ。これは社会運動や政治の大きなモーターだ。
さらに、中学生程度の年齡でも選挙があると、授業で模擬選挙をしてみるということもあるようだ。しかし、こうしたことは、次のようなことがあってこそ意味をなしてくるだろう。すなわち、
アイデアとしての近代社会・国家の理解
地域にリアルな民主制が息づいていること
個人的意見の実名表明と、それを公論にまで展開すること
もちろん、ドイツにもいろいろ問題はある。が、ドイツの町の様子を見ていると、選挙は民主制の氷山の一角ということはよく分かると思う。(了)
若者によるアンチ人種差別のデモ。10代の参加者もかなりいる。
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