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多文化時代のジャーナリズムは?

中国の留学生とのやりとりで気づいたこと

2013年1月2日

執筆者 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)

昨年、11月に2週間ほど一時帰国した。講演の機会をいくつか頂き、何ヶ所かで喋ったが、とりわけ大学に赴くことが多かった。また異文化理解や定住外国人に関連するようなテーマを扱うことが中心になった。

興味深かったのが、某大学で一コマ話したときだった。学生数は20人ぐらいだろうか。そのうち4人が中国からの留学生だった。

この時の話の内容はこうだ。グローバル化によって定住外国人が増えるということは、考え方や習慣、価値観が異なる人と暮らすことになるが、どうすればよいか、というものだった。その核になるのが、『国家』でも『個人』でもない『社会』の部分で、──具体的にはジャーナリズムやNPOなどがいかに課題を顕在化させ、解決のための動きを作れるかという点が重要で、社会のなかで大切にすべき価値を共有しながら定住外国人と一緒に市民社会を構築していけるか。そんな話を進めていこうと用意していた。

しかし内容をスムーズに話すことはできなかった。ドイツの定住外国人の様子やそのための政策について触れることがあったのだが、外国人問題と切り離せないネオナチがまず中国の留学生にはわからない。その説明をしようとすると、ヒットラーや独裁国家について触れねばならない。あまり難しい日本語だと理解も難しい可能性もあったので、できるだけ噛み砕いて説明した。その上で市民社会の可能性を語るわけである。

中国の国家体制を考えると、ラディカルなテーマだと思うのだが、中国の学生さんたちはどのぐらい理解してくれたか気になるところである。一方理解してもらえたとしたら、自国の現状に対してどのような意見を持つかということも気になった。ある人にそんなことを話したら、『もし理解して、しかも自国に疑問を感じたら、中国へ帰らないかもしれないよ』という返事がかえってきた。確かにアメリカなどに留学した中国人が自国に戻らないケースも多いと聞く。

翻って、ジャーナリズムとは何かという議論はいろいろあるが、私自身の場合は取材・観察で得た知見や分析を記事などの形にすることで、社会の中の様々な課題に関する議論を活発化するのが職業上の役割だと考えている。講演の類はそのライブ版といったところで、特に学生さんが対象になると積極的に私の話に対して考えたことや思ったことを話してもらうように仕向けている。

しかし、この大学でのことは、生きている世界の前提が違うと、『常識』と思われる知識や情報がちがっているのを改めて感じた。同時に多文化時代の市民社会において、ジャーナリズムはどのようなかたちで展開すべきか、という課題があることに気づいた一件であった。(了)

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※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。