なぜドイツにニートがいないのか┃高松平藏/在独ジャーナリスト
■ニートのイメージ
ニートは失業者でもフリーターでもない。元々、英語のNot in Education, Employment or Trainingの略でイギリスの労働政策上の議論で登場した。しかし日本での『ニート』は労働が可能な状態であるにもかかわらず職業訓練や求職をしない人というイメージが大きい。また、いわゆる『引きこもり』と同義で使われることも多い。
元々の定義からいえばドイツでも十分該当者はいるが、それは移民背景を持つ人、貧困や教育のない親の子弟というケースが多い。日本でのイメージと異なる。
■インターン受け入れが『社会的責任』である理由
以前、CSR(企業の社会的責任)について、ドイツの商工会議所の人に取材したことがある。その時、社会的責任のひとつとして強調していたのが『企業のインターンの受け入れ』だった。が、インターンの受け入れと社会的責任がどうつながってるかピンと来る人は多くないだろう。
まず、ドイツの職業訓練や就職の方法を見てみよう。日本と違いやや複雑で、大雑把にいうと、教育と職業が比較的関連が強い。若者は企業でインターン(研修生)をしながら実務を学び、同時に学校に通って、理論も学ぶ。見方を変えれば、どこの会社でも使え、かつ専門性のある『歯車』を育成しているわけだ。
『雇用創出はあらゆる意味で社会的』という考え方がドイツにはあるが、換言すれば雇用する値打ちのある職能を持った人材が多いことは社会の利益ということなのだろう。それゆえインターンを受け入れ、人材育成を負担することが『企業の社会的責任』の範疇に入るわけである。またこれは、地方都市の経済や教育の政策の動機にもなっている。
したがってドイツの『ニート』に相当する、移民背景のある人々などは、既存の職業教育・訓練のシステムから漏れてしまうという意味での社会問題といえるだろう。また大量流入してきた難民に企業が早々に職業訓練プログラムを作る動きがあるが、『社会益』という発想が奥にあるのだと思う。
ドイツのみならず、欧州では職能を持つ人材育成は社会的な課題とする傾向が強く、企業もCSR(企業の社会的責任)の一環と捉えている。
■持続 不 可能な社会になりそうだ
一方、日本の職業訓練は所属組織内で、実地で覚えていくOJT(On the Job Training )だ。これは終身雇用制が前提だと雇う側も雇われる側も利益があった。つまり就職した社内のみで通用する人材の育成を行ったわけだ。社会の利益というよりも企業という私的組織の利益が前面に出ている考え方だ。
しかし今日、企業は人材育成コストを大きな負担と感じているところも増えているのではないか。
大学の職業訓練学校化の議論はその裏返しと解釈してもよいかもしれないが、人材を『(私的組織の)経済益』と見るより、『社会益』とするところから議論を始めないと、大学に職業訓練を押し付けてもうまくいかないだろう。ひるがえって、実は私には引きこもりなどの日本型ニートの直接の発生要因がはっきりしない(※)。しかし、漠然とだが社会益としての人材ということから始めることで、新しい解決の切り口が見つかるようにも思える。
人材という視点からいえば、派遣型の労働力で経済を回していくやり方も問題だ。現時点では企業の収益に寄与しているのだろうが、派遣で毎日をギリギリの状態で働く人達は『職能の継続的開発』『(生涯)学習』『社会的活動』といった機会を持ちにくい。そういう人たちが多いと、長期的には社会そのものがもろいものになっていくように思えてならない。そもそも社会は企業の事業基盤でもある。『企業の社会的責任』の範囲として人材育成を議論することは十分価値がある。(了)
※厚労省の 『勤労青少年を取り巻く現状について』によると、 若年無業者が仕事を探さない理由に、<中学卒では『探したが見つからなかった』『知識・能力に自信がない』、 大学等卒では『病気・けがのため』『学校以外で進学や資格取得などの勉強をしている』と する者が他の学歴に比べて多い>ということだが、『その他』がかなり多いことのほうが気になる。無責任に、漠然としたことを書くが、『社会益』としての人材としてとらえた時に『その他』の部分にアプローチするいとぐちがひょっとして見つかるかもしれない。
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