甲斐駒ヶ岳     南アルプスの純白の頂上

山梨県  2,967m  2004年9月18日

(摩利支天2,820m、駒津峰2,740m、双児山2,649m)

日本百名山

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名山一人旅

北沢峠から仙水峠に登ると、甲斐駒ヶ岳が摩利支天を従えて現われる。花崗岩の白砂を敷き詰めたような純白のピラミッドに怪異な岩峰。

白い雲が流れ、青空が広がると、空の青に甲斐駒の白、尾根の緑のコントラストに見とれる。ただ絶景。

岩尾根を登り、花崗岩の白砂を踏んでその純白の頂上へ。何かの集いの場所のように、この山にやってきた大勢の一人になる。

摩利支天頂上にはその名の軍神の像が祭られ、はるかな未来を見守っている。平凡な日常空間から抜け出した開放された世界。

 白い甲斐駒ヶ岳頂上(左)と摩利支天
摩利支天
到達した甲斐駒頂上は広く、そこらじゅうに人がいたが、立派な二つの頂上標識、一等三角点に社を巡る。標高2,967mというのは当時のキャリア最高記録。
摩利支天頂上にはその名の軍神の像が祭られ、はるかな未来を見守っている。
甲斐駒ヶ岳:黒冨士・北展望岩峰から見る甲斐駒(2021年10月6日)
  6:24 広河原着→バス乗車  7:07 北沢峠  8:17 仙水峠  9:43 駒津峰11:04 甲斐駒ヶ岳・・・・・・・・・・・・・・・登り3時間57分(北沢峠より)11:50 甲斐駒ヶ岳発12:18 摩利支天13:25 駒津峰15:34 北沢峠着・・・・・・・・・・・・・・・・・・合計8時間27分→バスに間に合わず、歩く17:59 広河原着・・・・・・・・・・・・・・・・・・合計10時間52分(当時はマイカーで広河原まで入れた。今は夜叉神峠や那須野からバス)

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7時にバスで着いた北沢峠は林の中で、人が大勢いるが視界は無い。仙水峠へのルートを行くと、テント場と北沢長衛小屋がある。ずいぶんテントの数は多い。前後に登山者たちが各々のペースで歩いている。そこから30分ほど行くと仙水小屋に着く。

その先で溶岩が山積みとなっている岩場を通過。歩きにくいが視界が開け、西に仙丈岳、南にアサヨ峰への尾根(栗沢山)が見える。岩場をほぼ水平にたどっていき仙水峠に出ると、東に甲斐駒ヶ岳が摩利支天を従えて現われる。花崗岩の白砂を敷き詰めたような純白のピラミッドに怪異な岩峰。白い雲が流れ、青空が広がると、空の青に甲斐駒の白、尾根の緑のコントラストに見とれる。ただ絶景。東南には雲海が広がっており、北岳は見えない。仙丈の頂上にも少し雲がかかっている。

仙水峠からは急登。標高が2,800mを越え、当時の最高記録となる。しかし、ガスが出てきて甲斐駒も仙丈も見えにくくなってくる。眼下には人々が稜線を歩いているのが見え、甲斐駒の稜線の白い岩場にも人影がたくさん見える。緑のなかに白い岩が映えていて美しい。稜線を鞍部に向かって降りていく。

完全な岩場の登りとなり、時々ガスが晴れて甲斐駒頂上が見える。思ったよりもギザギザだが、右側に摩利支天を従えた姿は確かに絵になる。やがて白砂を踏みながら歩く道となり、頂上付近に立っている人が見えてくる。何かの集いの場所のように、この山にやってきた大勢の一人になる。

到達した甲斐駒頂上は広く、そこらじゅうに人がいたが、立派な二つの頂上標識、一等三角点に社を巡る。標高2,967mというのは当時のキャリア最高記録。休憩場所を確保し、ゆっくり食事。頂上はガスに囲まれていて、直下に摩利支天頂上のみ見えていた。

甲斐駒頂上を出発し、まず左下に見えるもう一つの社に行ってみると、そこは黒戸尾根の起点だった。次に摩利支天へ。鞍部がガレ場になっており、それが崩れるので歩きにくい。ルート表示もないので踏跡をたどるが、踏跡がたくさんあってやや迷う。

摩利支天頂上には、像や石仏がたくさん立っていた。イノシシの上に立った軍神の石板。その軍神は、はるかな未来を見守っている。平凡な日常空間から抜け出した開放された世界。ちょうど団体さんがやってきて頂上を占領されてしまったので頂上を下る。砂利に足を滑らせて左手の指を切り、バンドエイドで手当。だいぶへばって、頭も痛くなってきた。ビールのせいというよりは軽い高山病の症状かも知れない。

駒津峰への登り返しでは大勢に抜かれる。駒津峰を過ぎ、双児山への鞍部で雨が降り出した。レインウェアを着込み、ザックカバーをかける。かなりへばっていて下りを急げない。ゆっくりいく。

やっと北沢峠に着いたのは15時半で、広河原行き最終バスには間に合わなかったため、広河原まで林道を歩く。夜道のヨメナは不思議な輝き。18時に広河原に着くが、車道のゲートは19時まで閉鎖(登り専用)なので、車の中で待つ。時々登りの車がやってくる。20時となり出発(当時はマイカーで広河原まで入れた)。

反省の多い一日となったが、登り4時間や摩利支天からの下り3時間はそれほど遅くはない。バスに間に合わなかった主因は、甲斐駒頂上の休憩が1時間近かったことのようだ。いずれにせよ、甲斐駒ヶ岳は見てよし登ってよしの名峰だった。いつか黒戸尾根を登り、もう一度あの白い頂上に立ってみたい。

北沢峠

7時にバスで着いた北沢峠は林の中で、人が大勢いるが視界は無い。仙水峠へのルートを行くと、テント場と北沢長衛小屋がある。ずいぶんテントの数は多い。前後に登山者たちが各々のペースで歩いている。そこから30分ほど行くと仙水小屋に着く。

 

仙水小屋

溶岩が山積みとなっている岩場

その先で溶岩が山積みとなっている岩場を通過。歩きにくいが視界が開け、西に仙丈岳、南にアサヨ峰への尾根(栗沢山)が見える。岩場をほぼ水平にたどっていき仙水峠に出ると、東に甲斐駒ヶ岳が摩利支天を従えて現われる。花崗岩の白砂を敷き詰めたような純白のピラミッドに怪異な岩峰。白い雲が流れ、青空が広がると、空の青に甲斐駒の白、尾根の緑のコントラストに見とれる。ただ絶景。東南には雲海が広がっており、北岳は見えない。仙丈の頂上にも少し雲がかかっている。

 

アサヨ峰への尾根(栗沢山)

仙丈岳・・・・・・・・・・・・・仙水峠付近より

甲斐駒を見上げる・・・・・緑のなかに白い岩が映えていて美しい

仙水峠からは急登。標高が2,800mを越え、当時の最高記録となる。しかし、ガスが出てきて甲斐駒も仙丈も見えにくくなってくる。眼下には人々が稜線を歩いているのが見え、甲斐駒の稜線の白い岩場にも人影がたくさん見える。緑のなかに白い岩が映えていて美しい。稜線を鞍部に向かって降りていく。

 

頂上直下の駒ヶ岳神社本社

完全な岩場の登りとなり、時々ガスが晴れて甲斐駒頂上が見える。思ったよりもギザギザだが、右側に摩利支天を従えた姿は確かに絵になる。やがて白砂を踏みながら歩く道となり、頂上付近に立っている人が見えてくる。何かの集いの場所のように、この山にやってきた大勢の一人になる。

 

甲斐駒頂上

到達した甲斐駒頂上は広く、そこらじゅうに人がいたが、立派な二つの頂上標識、一等三角点に社を巡る。標高2,967mというのは当時のキャリア最高記録。休憩場所を確保し、ゆっくり食事。頂上はガスに囲まれていて、直下に摩利支天頂上のみ見えていた。

 

黒い一等三角点

摩利支天・・・・・・・仙水峠付近より見上げる

摩利支天頂上の石像・・・・・右の石版はイノシシの上に立つ軍神

イノシシの上に立つ軍神

ヘッドランプに輝く夜道のヨメナ

駒津峰への登り返しでは大勢に抜かれる。駒津峰を過ぎ、双児山への鞍部で雨が降り出した。レインウェアを着込み、ザックカバーをかける。かなりへばっていて下りを急げない。ゆっくりいく。

 

やっと北沢峠に着いたのは15時半で、広河原行き最終バスには間に合わなかったため、広河原まで林道を歩く。夜道のヨメナは不思議な輝き。18時に広河原に着くが、車道のゲートは19時まで閉鎖(登り専用)なので、車の中で待つ。時々登りの車がやってくる。20時となり出発(当時はマイカーで広河原まで入れた)。

甲斐駒ヶ岳:黒冨士・北展望岩峰から見る甲斐駒(2021年10月6日)