鼻曲山     上信国境、新緑尾根の逍遥と景観

群馬県  鼻曲山(大天狗1,654m、小天狗1,655m)  2014年6月14日 

     剣ノ峰1,430m、留夫山(とめぶ)1,591m

(鼻曲山)関東百名山

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名山一人旅

私の登る山には名山と呼べない山もあるだろう。だが、登っているときに心ときめくものがあれば、それは私にとって名山だ。

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鬱蒼とした林の中の逍遥。霧積温泉から十六曲峠、歴史を感ずる道標の響き。

剣ノ峰から見る鼻曲山は濃い新緑の三角峰。白とピンクのサラサドウダンの咲く道を進むと、その剣ノ峰も緑に包まれ、角落山の鋭鋒が横に並び、その背景に榛名と赤城が重なっている。思い出がよぎるシルエット。

鼻の大天狗から浅間山が見える小天狗まではコルを挟んで70mくらい。北には穏やかな浅間隠山、南東には妙義山のギザギザ尾根。

南にある留夫山もまた緑に覆われた山。林の中の頂上に大きな一等三角点。

登山口に戻ると、今はもうない霧積館の跡に残された水車と麦わら帽子の詩碑。心に残る夏の思い出。

 剣ノ峰から見る鼻曲山は濃い新緑の三角峰
サラサドウダン
 剣ノ峰も緑に包まれ、角落山の鋭鋒が横に並び、その背景に榛名と赤城が重なっている
鼻曲山(大天狗)頂上(1654m)
妙義山・表妙義・金洞山・・・・・手前に裏妙義の赤岩と烏帽子岩が重なっている
今はもうないきりづみ館の跡に残された水車
西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子」の詩碑:帽子 西城八十先生作 母さん、僕のあのどうしたでせうね?えっ夏碓氷から霧積へ行くみちで渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。母さん、あれは好きな帽子でしたよ。僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。母さん、あのとき向こうから若い薬売りが来ましたっけね。紺の脚絆に手甲をした。そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。だけどとうとう駄目だった。なにしろ深い渓谷で、それに草が背丈くらい伸びていたんですもの。母さん、ほんとにあの帽子どうなったんでせう?そのとき傍らに咲いていた車百合の花はもうとうに枯れちまったでせうね。そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたのかもしれませんよ。母さん、そしてきっと今頃は、今夜あたりはあの渓間に静かに雪が降り積もっているでせう。昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子とその裏に僕が書いたY.Sという頭文字を埋めるように、静かに、寂しく
  9:25 霧積温泉駐車場発10:09 十六曲峠10:45 剣ノ峰11:23 十六曲峠12:33 鼻曲峠12:51 鼻曲山(大天狗)・・・・・・・・・・・・・・・登り3時間26分13:18 鼻曲山(小天狗)13:40 鼻曲峠14:29 留夫山15:26 鼻曲峠17:17 霧積温泉駐車場着・・・・・・・・・・・・・・・・・合計7時間52分

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鬱蒼とした林の中の逍遥。霧積温泉口から十六曲峠、歴史を感ずる道標の響き。剣ノ峰から見る鼻曲山は濃い新緑の三角峰で、鼻の大天狗が小天狗の前に重なっている。この後、新緑樹木のためか、鼻の大天狗は見ずじまい。白とピンクのサラサドウダンの咲く道を十六曲峠に戻り、鼻曲峠まで登ると、今度は剣ノ峰が見えてくる。その剣ノ峰も緑に包まれ、角落山の鋭鋒が横に並び、その背景に榛名と赤城が重なっている。思い出がよぎるシルエット。

鼻曲山の頂上稜線に達し、右(東)に行くと鼻曲山の頂上標識がある。そこが大天狗1,654mなのだが、小天狗はどこだろうと探し回るが、その先に道はない。大天狗の東側直下は烏川の源流で、日本武尊の「烏口(烏川の水源)」の神話の岸壁。大天狗から戻り、頂上稜線を西に行くと大天狗より1m高いピークがある。石標が一つあるのみで標識はないのだが、そこが小天狗1,655mだった。大天狗からコルを挟んで70mほど。小天狗からは雄大な浅間山を遠望できた。

南東方向にギザギザ稜線の妙義が見えていたが、すぐ南に尾根続きの留夫山に行ってみる。これもまた緑に覆われた山で、頂上に大きな一等三角点があった。

駐車場に戻り、もうなくなってしまった霧積温泉きりづみ館の跡の水車を見にいく。水車が二つだけ残っていた。「当面の間休業」とあるが、2007年のブログには「きりづみ館入湯!」とあるので、最近までやっていたのだろう。他の霧積温泉は健在で、登山道を少し登った先に金湯館が営業中。

そして西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子」の詩碑がある。碓氷から霧積に行く途中で麦わら帽子を谷に落した話。心に残る夏の思い出。(ちょっと感傷的すぎる?)

鬱蒼とした林の中の道

霧積温泉口から十六曲峠へ。歴史を感ずる道標の響き。

剣ノ峰頂上

剣ノ峰まで登ると、樹間から濃い新緑の三角峰の姿の鼻曲山を見る。鼻の大天狗が小天狗の前に重なっている。この後、新緑樹木のためか、鼻の大天狗は見ずじまい。

サラサドウダン

角落山(中央)と剣ノ峰(右)・・・・・左は1,295m峰、背景に榛名山、更にその背後に赤城山

十六曲峠に戻り、鼻曲峠まで登ると、今度は剣ノ峰が見えてくる。それは緑に包まれ、三つの峰(剣ノ峰、角落山、1,295m峰)になって並び、その背景に榛名と赤城が重なっている。思い出がよぎるシルエット。

 

榛名山(榛名富士と相馬山)・・・・・背後は赤城山(黒檜山)

鼻曲山(大天狗)頂上(1654m)

鼻曲山の頂上稜線に達し、右(東)に行くと鼻曲山の頂上標識がある。そこが大天狗1,654mなのだが、小天狗はどこだろうと探し回るが、その先に道はない。大天狗の東側直下は烏川の源流で、日本武尊の「烏口(烏川の水源)」の神話の岸壁。大天狗から戻り、頂上稜線を西に行くと大天狗より1m高いピークがある。石標が一つあるのみで標識はないのだが、そこが小天狗1,655mだった。大天狗からコルを挟んで70mほど。小天狗からは雄大な浅間山を遠望できた。

鼻曲山・小天狗頂上(1655m)

穏やかな浅間隠山・・・・・北の眺望

 

雄大な浅間山

妙義山・表妙義・白雲山

妙義山・表妙義・金洞山・・・・・手前に裏妙義の赤岩と烏帽子岩が重なっている

妙義山・裏妙義・谷急山

緑に覆われた留夫山・・・・・南の眺望

南東方向にギザギザ稜線の妙義が見えていたが、すぐ南に尾根続きの留夫山に行ってみる。これもまた緑に覆われた山で、頂上に大きな一等三角点があった。

 

留夫山頂上の一等三角点

今はもうないきりづみ館の跡に残された水車

駐車場に戻り、もうなくなってしまった霧積温泉きりづみ館の跡の水車を見にいく。水車が二つだけ残っていた。「当面の間休業」とあるが、2007年のブログには「きりづみ館入湯!」とあるので、最近までやっていたのだろう。他の霧積温泉は健在で、登山道を少し登った先に金湯館が営業中。

西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子」の詩碑・・・・・心に残る夏の思い出

そして西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子」の詩碑がある。碓氷から霧積に行く途中で麦わら帽子を谷に落した話。心に残る夏の思い出。


帽子 西条八十先生作母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?え、夏碓氷峠から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ。母さん、あれは好きな帽子でしたよ。僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。母さん、あのとき向こうから若い薬売が来ましたっけね。紺の脚絆に手甲をしたそして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。だけどとうとう駄目だった。なにしろ深い渓谷でそれに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?そのとき傍らに咲いていた車百合の花はもうとうに枯れちゃったでせうね。そして秋には、灰色の霧があの丘をこめ、あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかもしれませんよ。母さん、そしてきっと今頃は、今夜あたりは、あの渓間に静かに雪が降り積もっているでせう。昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子と、その裏に僕が書いたYSという頭文字を埋めるように、静かに、寂しく