雌阿寒岳     深田久弥が登れなかった山

北海道(道東) 雌阿寒岳1,499m(*1) 阿寒富士1,476m 2009年6月27日

(阿寒岳)日本百名山

(雌阿寒岳)北海道百名山

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(*1)「日本百名山」では阿寒岳の標高は1,503mになっているが、これは雌阿寒岳(現在の標高は1,499m)のものだと思う。

 平らな道をすいすいと

 少し急な道はちょっとペースダウン

 険しい細尾根は足元を確かめて

 ちょっと疲れてきたけど

 頂上が見えたら、軽やかな足取り

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コルまで駆け下り、阿寒富士への九十九折りを登っていくと、背後に雌阿寒岳と噴火口が視界いっぱいに広がる。今にも動き出しそうな、ダイナミックな自然の造形。山の息遣いが感じられる山旅。深田久弥の頃は火山活動のため登山禁止で、深田は「雄阿寒岳で我慢しなければならなかった」と記しているが、もし彼がこの雌阿寒岳の景観を見たならどう表現しただろう。

オンネトーの雌阿寒岳登山口から、ラチェット式のウォーキング・スティックをポクポクいわせながら歩く。林を抜け、大きなガレ沢を渡り、尾根を登ると、もう降りてくる人もいる。頂上部分が大きく丸く見えてきて、噴火口の淵までくると、わき上がる噴煙と火口の底の池が見える。こいつはすごい。底の池も大きいが、噴火口そのものがすごく大きい。噴煙は底ではなく、やや壁よりのところから出ているようだ。

雌阿寒岳の頂上は噴火口外縁の最高地点で、裸の頂上にはケルンと頂上標識、それに削れていて読めない方位盤があった。東の噴火口の向こうに黒いシルエットの雄阿寒岳が見える。

阿寒富士の頂上からオンネトーに向かって下り、車道を歩いてオンネトー湖畔から雌阿寒と阿寒富士を見る。雰囲気のある絵になる構図。

少し離れた阿寒湖に行き、湖畔の遊歩道を歩いて「日本百名山」に出てくる松浦武四郎碑と石川啄木碑を見に行く。深田久弥が日本百名山の中で松浦武四郎碑の方を称賛しているためか、松浦武四郎碑は遊歩道沿いに説明標識付きで立っており、石川啄木碑は遊歩道から外れ、雑草の中にひっそりと立っていた。私にとってはどちらの史跡も、山に登るのと同等に、探索の楽しさ、発見があり、感動することができた。


 阿寒富士への九十九折りを登っていくと、背後に雌阿寒岳と噴火口が視界いっぱいに広がる。今にも動き出しそうな、ダイナミックな自然の造形
 雌阿寒岳から少し下ったあたりで噴火口の南半分が見えてきて、そこに小さな池(青沼)と白い噴煙を上げている火口。その向こうに阿寒富士が姿を現した
 オンネトーと雌阿寒岳と阿寒富士:雰囲気のある絵になる構図。
 ミネズオウ:阿寒富士への砂礫の九十九折の始まるところにピンクの花
松浦武四郎の詩碑(*7)は林の中にひっそり立っており、深田久弥の言うように阿寒湖は見えない。でも、深田久弥が日本百名山の中で松浦武四郎詩碑の方を称賛しているためか、松浦武四郎詩碑は遊歩道沿いに説明標識付きで立っていた。出会えたのは感激。
 石川啄木歌碑:遊歩道から外れ、雑草の中にひっそりと立っていた
   7:04 雌阿寒温泉登山口発   9:20 雌阿寒岳 10:19 阿寒富士 10:41 阿寒富士発 11:59 オンネトー登山口 13:14 雌阿寒岳登山口・・・・・・・・・・周回5時間52分

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 5月末に福岡に行ってから2週間は雨で登らず。3週目も全国的に雨だが、北海道は晴である。噴火で登山禁止になっていた雌阿寒と渡島駒について電話で聞いてみると、雌阿寒の方は登れるという。そこで今回は摩周湖のカムイヌプリと雌阿寒に向かう。

青森港で今はもう乗れない高速フェリーなっちゃんReraを見る。5~6回は乗っただろうか。飛行機のような船体にペインティングが魅力的だった。道東は遠く、カーナビによると、青森から730km、12時間20分。そこで金曜17時のフェリーを予約する。びるごに乗って函館着20時40分。いつもの通り八雲のモダ石油で給油し、高速に乗る。深夜となって仮眠をとりながら走り、千歳で道東道に入る。夕張をすぎ、日勝峠のあたりで日が昇る。このあたりにオダッシュ、熊見、沙流があるはずだが、ペケレベツというのしか分からず。十勝清水で高速に乗る前にガソリンを入れようとして探すがどこも閉まっている。仕方なく足寄インターまで乗り、高速を降りてからガソリンスタンドを探し、セルフがあった、と思ったらまだやっていなかった。仕方ないのでそのまま雌阿寒の登山口まで走る。

数年前に来た雌阿寒岳の登山口の狭いスペースには車が一台。少し先に大きな駐車場があったのでそこに停める。もう何人かの人たちがでかけている。オンネトー周辺案内図というのがあり、北の雌阿寒温泉コースは3.3km、約2時間、南のオンネトー・コースは4.2km、約2.5時間とある。するとここが雌阿寒温泉なのか。確かに二つほど温泉らしき建物がある。

雌阿寒温泉登山口から、小ザックに古い登山靴にラチェット式のウォーキング・スティックをポクポクいわせながら歩く。前方を二人が先行していたが、途中で追い越す。だんだん急になって三合目の先あたりで林を抜ける。ハイ松の向こうに雲をかぶった雌阿寒の頂上部分。登山口に着く前に車道の先に雲をかぶった雌阿寒岳が見えていて、頂上はガスで視界がないかもしれないと思っていた。北には雄阿寒岳が見えている、と思ったが、これは違う山だった(フップシ岳1225m)。空はほとんど晴れ渡っており、この分なら雌阿寒の雲も取れるだろう。大きなガレ沢を渡り、尾根を登ると、もう降りてくる人もいる。五合目のあたりでオンネトーが見えてくる。登るにつれてどんどん視界が広がり、登山口の温泉あたりも林のなかに白く見えている。いったんテラスのようなところに出ると、大きな岩の上に石がたくさん積んであり、少し先を登っている二人が見える。

頂上部分が大きく丸く見えてきて、八合目まで来ると、頂上が目前となり、噴火口のまわりの岩峰がギザギザに並んでいるのが見えてくる。写真を撮るのに立ち止まるため、前の二人との距離は離れていく。噴火口の淵までくると、わき上がる噴煙と火口の底の池が見える。こいつはすごい(*2)。張ってあるロープのなかに少し踏みこんで覗いてみる。底の池も大きいが、噴火口そのものがすごく大きい。噴煙は底ではなく、やや壁よりのところから出ているようだ。噴火口を東から南に回って行くと北東のはるか遠くに雄阿寒が見える。ずいぶん離れてるなあ。雄阿寒の頂上はギザギザになっていて富士山型ではない。数年前に頂上部分でアップダウンがあったのを思い出す。その手前にあるハゲた山が剣ヶ峰1336mのようだ。その手前に噴煙を上げている別の噴火口(*3)があり、後ろにフレベツ岳1098mが見えている。当初は剣ヶ峰までいって往復するプランだったが、結構アップダウンがありそうなので止めておく。

(*2)ポンマチネシリ火口・・・・雌阿寒岳頂上の火口

(*3)中マチネシリ火口・・・・・雌阿寒岳頂上の東にある火口

更に回って行くと、右手の大きな切れ目から雌阿寒の噴火口の底が見える。数百メートル下の緑の池(*4)に壁面から噴き出す噴煙。頂上のガスと噴煙は関係あるようで、噴火口の奥にガスで隠れているのはどうやら阿寒富士のようだ。正面に噴火口外縁の最高地点が見えてくる。雌阿寒岳の頂上は噴火口外縁の最高地点のようだ。最初は右下部分がえぐれた形に見えていたが、近づくにつれ三角形に見えてくる。裸の頂上にはケルンと頂上標識、それに削れていて読めない方位盤があった。東の噴火口の向こうに黒いシルエットの雄阿寒岳が見える。先行していた二人がいないところをみると、先に進んだのだろう。阿寒富士には行きたかったので先に進む。少し下ったあたりで噴火口の南半分が見えてきて、そこに小さな池(*5)と白い噴煙を上げている火口。その向こうに阿寒富士が姿を現した。これは確かに富士型をしている。噴煙を上げている火口は阿寒富士の正面にあり、モクモクと大量の噴煙を上げていて、阿寒富士が見えなかったのはその影響もあるようだ。

(*4)赤沼・・・・・・・・・・・・・・・・・・雌阿寒岳頂上の噴火口(ポンマチネシリ火口)の西側にある大きな沼

(*5)青沼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雌阿寒岳頂上の噴火口(ポンマチネシリ火口)の東側にある小さな沼

噴火口の淵に沿って下って行くと、登ってくる男性に会う。かなりの急坂なのでたいへんそうだが、下りは楽。そして阿寒湖への分岐表示あり。ここを下れば剣ヶ峰まで行けるのだろうが、今回は行かず。どんどん下って行くと、小さいと思っていた噴火口の中の池は結構大きい。振り返ると雌阿寒の頂上部分がすごい絶壁の上になっている。ずっと下を下って行く二人の姿が見えるが、いったんガスに隠れた阿寒富士が姿を現したので立ち止まってそれを写す。噴火口を回って噴煙の上がっているすぐそばまで近づき、そこから登山道はコルに向かって下りて行く。風向きが良かったので煙は来なかったが、まともに煙にまかれるとひどいことになるかもしれない。大きなカメラを持った男性がうろうろしている。こちらはデジカメでカチャカチャ。コルに駆け下っていくと、阿寒富士とオンネトーの分岐表示あり。阿寒富士方面に向かうと、さっきの二人が先を歩いていて、追い越す。二人はいったん休憩をとってから登ってきた。コルから下は緑があるが、阿寒富士には緑はない。砂礫の九十九折り登山道が始まるところにピンクの小さな花(ミネズオウ)。

阿寒富士への砂礫の歩きにくい九十九折の道をゆっくり登る。高度が上がるにつれ、背後に雌阿寒岳と噴火口が視界いっぱいに広がる。噴火口を挟んで奥の頂上ピークと手前の壁ピーク、その手前から噴煙。今にも動き出しそうな、ダイナミックな自然の造形。山の息遣いが感じられる山旅。深田久弥の頃は火山活動のため登山禁止で、深田は「雄阿寒岳で我慢しなければならなかった」と記しているが、もし彼がこの雌阿寒岳の景観を見たならどう表現しただろう。上から下ってくる人とすれ違い、やがて頭上に岩壁が見えてくる。その岩壁の横を通っていくと、阿寒富士の頂上が広がっており、標識が見えた。何人か人が歩いている。

標識のところが頂上で、三角点もあった。頂上に噴火口が無かったのは意外で、高田大岳の北面のような旧噴火口の壁のような絶壁が東面と南面にある。その間に稜線があり、奥まで歩いていけるようなので、一番奥まで行って休憩。数十メートル後の頂上には人が行きかっている。西の斜面のはるか下には登山道があるらしく、登ってくる小さな人影が見える。その背後に立ち上る雌阿寒の噴煙は小さく見る。帰路につき、頂上のところで一等三角点を確認。西の端まで行ってみるとオンネトーが見える。阿寒富士の頂上から、スティックを両肩にかついで早足で砂礫の九十九折を下る。グリセードの感覚。踏ん張るよりもこの方が正解だろう。コルからオンネトーに向かって下る。最初は雌阿寒と阿寒富士の山すそを見上げていたが、やがて林の中に入る。下っていく人たちを何人も追い越す。ドタドタと早足で下っているので、先に道をあけてくれる。迷惑でなければいいが。下りは長く感じ、5合目あたりで足が痛くなってくる。1合目までくるとさすがに傾斜は緩くなり、やがて林の中の大きな駐車場に着く。西側の車道に出て北に向かう。実はここで道を間違えていて、駐車場の東側にオンネトーの東岸を回るルートがあったのだが、西岸の車道に出てしまう。しかし、雌阿寒と阿寒富士を見ることができたので、結果的に正解だった。

車道を歩くと、途中にオンネトー茶屋というのがあったが、寄らずに行く。車道はほとんど視界がないが、ところどころ林が切れて山が見えている。何度かオンネトー湖畔から湖面近くまで降りて雌阿寒と阿寒富士を見る。正面に二つの山と湖が見える休憩場所があり、そこで2回目の休憩。車の人も止めて眺めている。なだらかな雌阿寒と三角形の阿寒富士が並び、逆さになって湖面に映っている。雰囲気のある絵になる構図。湖の北端までくると、木製の展望所があり、大勢が見物していた。オンネトーについて説明標識(*6)があり、雌阿寒によるせき止め湖であること、「年老いた沼」という意味とある。オンネトー登山口の大きな駐車場から雌阿寒温泉登山口の駐車場までは1時間以上かかり、途中でくだびれてしまって、錦沼のところで休憩。横になって目をつぶる。駐車場はそのすぐ先にあった。阿寒富士まで3時間、下りに2時間半。オンネトー温泉影福というのに寄っていくが、しなびた温泉で、露天につかった後で室内浴場に入って体を洗う。

(*6)オンネトーは雌阿寒岳の火山活動でできた堰止め湖です。湖面は標高623mと高い位置にあり、面積は0.23㎡、平均水深3.0m、最大水深9.8mあります。天候、風向き、見る位置によって湖面の色がさまざまに変化することから「五色沼」とも呼ばれています。オンネトーとはアイヌ語で「年老いた沼」の意味。

翌日行く予定の摩周湖のそばに取ったホテルに向かって出発するが、カーナビは阿寒湖を回っていくルートを示している。まず、最初にあったガソリンスタンドで給油、46リッター(7月20日の50リッターよりはるかに少ない)。それから、少し離れた阿寒湖に行き、湖畔の遊歩道を歩いて「日本百名山」に出てくる松浦武四郎句碑と石川啄木詩碑を見に行く。前回、雄阿寒岳に登ったときに見損なっており、これが最後のチャンスかもしれない。

メインストリートからやや離れたところに駐車して出発(アイヌ村に無料駐車場があった)。とりあえず湖畔に出てみる。雄阿寒が雲の下に黒々と見えている。ボート乗場があるが、詩碑は見当たらない。たぶん東の方だろうと歩く。温泉につかった後に歩くのは前回、福岡の失敗の繰り返しだが、このくらいの距離なら問題なかろう。遊覧船乗場の先の公園まで歩いたがなにもない。公園の「ボッケ遊歩道案内板」というのに、松浦武四郎詩碑が出ていた(石川啄木歌碑も出ていたが、そのときは気付かず)ので、そこまで行ってみる。湖畔の遊歩道から振り返ると雌阿寒が見えている。松浦武四郎の詩碑(*7)は林の中にひっそり立っており、深田久弥の言うように阿寒湖は見えない。でも、深田久弥が日本百名山の中で松浦武四郎詩碑の方を称賛しているためか、松浦武四郎詩碑は遊歩道沿いに説明標識付きで立っていた。出会えたのは感激。もうこれでいい、と帰路についたが、公園出口の案内に石川啄木の歌碑が出ており、この際なので行ってみることにする。これはだいぶ遠かった。途中に泥火山のボッケというのがあったが、全然噴きだしていなかった。湖では魚釣りがたくさん水の中まで入って竿を立てている。石川啄木歌碑(*8)は深田久弥の文章とは逆に、遊歩道から外れ、雑草の中にひっそりと説明書きもなく立っていた。周りには雑草が生え、観光ルートになっているとは思えない。だが、私にとってはどちらの史跡も、山に登るのと同等に、探索の楽しさ、発見があり、感動することができた。すぐ近くに船着場があり、外人さんが二人。船着場からは正面に雄阿寒が近い。

(*7)松浦武四郎詩碑 水面風収夕照間 小舟撑棹沿崖還 忽落銀峯千仭影 是吾昨日所攀山

「湖上に舟を浮かべ、静かな夕陽を浴びながら、岸に沿って戻ってくる。水面に影を落としているのは高い雪峰である。それは彼が前日登ってきたばかりの山であった。(日本百名山)」

(*8)石川啄木歌碑 神のごと 遠く姿をあらはせる 阿寒の山の雪のあけぼの

町に戻り、コンビニで食事をし、おみやげを買って出発。アイヌ村があったが寄らず。阿寒湖から雄阿寒を回っていくと、雄阿寒が近く見え、広い頂上台地の右端に頂上ピークが立っているのが分かる。数年前に登ったときはガスで地形が全く分からなかった。更に進むと双湖台という場所があり、ペンケトーとパンケトーが見える。これも数年前、雄阿寒に登ったときに見損なったもの。遠い側のペンケトーはわずかに見えているだけ。ここから見る雄阿寒は頂上部分が斜めになっている。2,250円で予約したホテルの部屋はエアコンなし。仕方ないが、暑くはなかった。

今はもう乗れない高速フェリー、なっちゃんRERA

5月末に福岡に行ってから2週間は雨で登らず。3週目も全国的に雨だが、北海道は晴である。噴火で登山禁止になっていた雌阿寒と渡島駒について電話で聞いてみると、雌阿寒の方は登れるという。そこで今回は摩周湖のカムイヌプリと雌阿寒に向かう。

青森港で今はもう乗れない高速フェリーなっちゃんReraを見る。5~6回は乗っただろうか。飛行機のような船体にペインティングが魅力的だった。

朝のオンネトー

数年前に来た雌阿寒岳の登山口の狭いスペースには車が一台。少し先に大きな駐車場があったのでそこに停める。もう何人かの人たちがでかけている。オンネトー周辺案内図というのがあり、北の雌阿寒温泉コースは3.3km、約2時間、南のオンネトー・コースは4.2km、約2.5時間とある。するとここが雌阿寒温泉なのか。確かに二つほど温泉らしき建物がある。


赤沼

噴火口の淵までくると、わき上がる噴煙と火口の底の池が見える。こいつはすごい(*2)。張ってあるロープのなかに少し踏みこんで覗いてみる。底の池も大きいが、噴火口そのものがすごく大きい。噴煙は底ではなく、やや壁よりのところから出ているようだ。噴火口を東から南に回って行くと北東のはるか遠くに雄阿寒が見える。ずいぶん離れてるなあ。雄阿寒の頂上はギザギザになっていて富士山型ではない。その手前にあるハゲた山が剣ヶ峰1336mのようだ。その手前に噴煙を上げている別の噴火口(*3)があり、後ろにフレベツ岳1098mが見えている。

(*2)ポンマチネシリ火口・・・・雌阿寒岳頂上の火口

(*3)中マチネシリ火口・・・・・雌阿寒岳頂上の東にある火口

噴気孔

更に回って行くと、右手の大きな切れ目から雌阿寒の噴火口の底が見える。数百メートル下の緑の池(*4)に壁面から噴き出す噴煙。頂上のガスと噴煙は関係あるようで、噴火口の奥にガスで隠れているのはどうやら阿寒富士のようだ。正面に噴火口外縁の最高地点が見えてくる。雌阿寒岳の頂上は噴火口外縁の最高地点のようだ。最初は右下部分がえぐれた形に見えていたが、近づくにつれ三角形に見えてくる。裸の頂上にはケルンと頂上標識、それに削れていて読めない方位盤があった。東の噴火口の向こうに黒いシルエットの雄阿寒岳が見える。阿寒富士には行きたかったので先に進む。少し下ったあたりで噴火口の南半分が見えてきて、そこに小さな池(*5)と白い噴煙を上げている火口。その向こうに阿寒富士が姿を現した。これは確かに富士型をしている。噴煙を上げている火口は阿寒富士の正面にあり、モクモクと大量の噴煙を上げていて、阿寒富士が見えなかったのはその影響もあるようだ。

(*4)赤沼・・・・・・・・・・・・・・・・・・雌阿寒岳頂上の噴火口(ポンマチネシリ火口)の西側にある大きな沼

(*5)青沼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雌阿寒岳頂上の噴火口(ポンマチネシリ火口)の東側にある小さな沼

噴火口と赤沼

雌阿寒岳頂上の噴火口はポンマチネシリ火口と呼ばれ、複数の火口があるようだ

雌阿寒岳頂上

中マチネシリ火口

雌阿寒岳山頂(ポンマチネシリ火口)の東にある噴火口。右奥は剣ヶ峰。背景は阿寒湖と雄阿寒岳

 雌阿寒岳頂上から東の情景: 左から、阿寒湖、中マチネシリ火口、雄阿寒岳、剣ヶ峰、フレベツ、青沼、阿寒富士

青沼と噴煙と阿寒富士

ミネズオウ

噴火口の淵に沿って下って行くと、登ってくる男性に会う。かなりの急坂なのでたいへんそうだが、下りは楽。そして阿寒湖への分岐表示あり。ここを下れば剣ヶ峰まで行けるのだろうが、今回は行かず。どんどん下って行くと、小さいと思っていた噴火口の中の池は結構大きい。振り返ると雌阿寒の頂上部分がすごい絶壁の上になっている。ずっと下を下って行く二人の姿が見えるが、いったんガスに隠れた阿寒富士が姿を現したので立ち止まってそれを写す。噴火口を回って噴煙の上がっているすぐそばまで近づき、そこから登山道はコルに向かって下りて行く。風向きが良かったので煙は来なかったが、まともに煙にまかれるとひどいことになるかもしれない。大きなカメラを持った男性がうろうろしている。こちらはデジカメでカチャカチャ。コルに駆け下っていくと、阿寒富士とオンネトーの分岐表示あり。阿寒富士方面に向かうと、さっきの二人が先を歩いていて、追い越す。二人はいったん休憩をとってから登ってきた。コルから下は緑があるが、阿寒富士には緑はない。砂礫の九十九折り登山道が始まるところにピンクの小さな花(ミネズオウ)。

雌阿寒岳

阿寒富士への砂礫の歩きにくい九十九折の道をゆっくり登る。高度が上がるにつれ、背後に雌阿寒岳と噴火口が視界いっぱいに広がる。噴火口を挟んで奥の頂上ピークと手前の壁ピーク、その手前から噴煙。今にも動き出しそうな、ダイナミックな自然の造形。山の息遣いが感じられる山旅。深田久弥の頃は火山活動のため登山禁止で、深田は「雄阿寒岳で我慢しなければならなかった」と記しているが、もし彼がこの雌阿寒岳の景観を見たならどう表現しただろう。上から下ってくる人とすれ違い、やがて頭上に岩壁が見えてくる。その岩壁の横を通っていくと、阿寒富士の頂上が広がっており、標識が見えた。何人か人が歩いている。

 阿寒富士からの情景: オンネトー、雌阿寒岳、雄阿寒岳、フレベツ

阿寒富士頂上

標識のところが頂上で、三角点もあった。頂上に噴火口が無かったのは意外で、高田大岳の北面のような旧噴火口の壁のような絶壁が東面と南面にある。その間に稜線があり、奥まで歩いていけるようなので、一番奥まで行って休憩。数十メートル後の頂上には人が行きかっている。西の斜面のはるか下には登山道があるらしく、登ってくる小さな人影が見える。その背後に立ち上る雌阿寒の噴煙は小さく見る。帰路につき、頂上のところで一等三角点を確認。西の端まで行ってみるとオンネトーが見える。阿寒富士の頂上から、スティックを両肩にかついで早足で砂礫の九十九折を下る。グリセードの感覚。踏ん張るよりもこの方が正解だろう。コルからオンネトーに向かって下る。最初は雌阿寒と阿寒富士の山すそを見上げていたが、やがて林の中に入る。下っていく人たちを何人も追い越す。ドタドタと早足で下っているので、先に道をあけてくれる。迷惑でなければいいが。下りは長く感じ、5合目あたりで足が痛くなってくる。1合目までくるとさすがに傾斜は緩くなり、やがて林の中の大きな駐車場に着く。西側の車道に出て北に向かう。実はここで道を間違えていて、駐車場の東側にオンネトーの東岸を回るルートがあったのだが、西岸の車道に出てしまう。しかし、雌阿寒と阿寒富士を見ることができたので、結果的に正解だった。

阿寒富士の一等三角点

オンネトー

阿寒富士の頂上の西端からオンネトーが見えた

 ミネズオウ

オンネトーと雌阿寒岳と阿寒富士

車道を歩くと、途中にオンネトー茶屋というのがあったが、寄らずに行く。車道はほとんど視界がないが、ところどころ林が切れて山が見えている。何度かオンネトー湖畔から湖面近くまで降りて雌阿寒と阿寒富士を見る。正面に二つの山と湖が見える休憩場所があり、そこで2回目の休憩。車の人も止めて眺めでいる。なだらかな雌阿寒と三角形の阿寒富士が並び、逆さになって湖面に映っている。雰囲気のある絵になる構図。湖の北端までくると、木製の展望所があり、大勢が見物していた。オンネトーについて説明標識(*6)があり、雌阿寒によるせき止め湖であること、「年老いた沼」という意味とある。オンネトー登山口の大きな駐車場から雌阿寒温泉登山口の駐車場までは1時間以上かかり、途中でくだびれてしまって、錦沼のところで休憩。横になって目をつぶる。駐車場はそのすぐ先にあった。阿寒富士まで3時間、下りに2時間半。オンネトー温泉影福というのに寄っていくが、しなびた温泉で、露天につかった後で室内浴場に入って体を洗う。

(*6)オンネトーは雌阿寒岳の火山活動でできた堰止め湖です。湖面は標高623mと高い位置にあり、面積は0.23㎡、平均水深3.0m、最大水深9.8mあります。天候、風向き、見る位置によって湖面の色がさまざまに変化することから「五色沼」とも呼ばれています。オンネトーとはアイヌ語で「年老いた沼」の意味。

オンネトーに映る雌阿寒岳と阿寒富士

錦沼

翌日行く予定の摩周湖のそばに取ったホテルに向かって出発するが、カーナビは阿寒湖を回っていくルートを示している。まず、最初にあったガソリンスタンドで給油、46リッター(7月20日の50リッターよりはるかに少ない)。それから、少し離れた阿寒湖に行き、湖畔の遊歩道を歩いて「日本百名山」に出てくる松浦武四郎句碑と石川啄木詩碑を見に行く。前回、雄阿寒岳に登ったときに見損なっており、これが最後のチャンスかもしれない。

阿寒湖と雄阿寒岳

メインストリートからやや離れたところに駐車して出発(アイヌ村に無料駐車場があった)。とりあえず湖畔に出てみる。雄阿寒が雲の下に黒々と見えている。ボート乗場があるが、詩碑は見当たらない。たぶん東の方だろうと歩く。温泉につかった後に歩くのは前回、福岡の失敗の繰り返しだが、このくらいの距離なら問題なかろう。遊覧船乗場の先の公園まで歩いたがなにもない。

阿寒湖と雌阿寒岳

ボッケ(泥火山)

松浦武四郎の句碑

メインストリートからやや離れたところに駐車して出発(アイヌ村に無料駐車場があった)。とりあえず湖畔に出てみる。雄阿寒が雲の下に黒々と見えている。ボート乗場があるが、詩碑は見当たらない。たぶん東の方だろうと歩く。温泉につかった後に歩くのは前回、福岡の失敗の繰り返しだが、このくらいの距離なら問題なかろう。遊覧船乗場の先の公園まで歩いたがなにもない。公園の「ボッケ遊歩道案内板」というのに、松浦武四郎句碑が出ていた(石川啄木詩碑も出ていたが、そのときは気付かず)ので、そこまで行ってみる。湖畔の遊歩道から振り返ると雌阿寒が見えている。松浦武四郎の句碑(*7)は林の中にひっそり立っており、深田久弥の言うように阿寒湖は見えない。でも、深田久弥が日本百名山の中で松浦武四郎句碑の方を称賛しているためか、松浦武四郎句碑は遊歩道沿いに説明標識付きで立っていた。出会えたのは感激。

石川啄木の詩碑

もうこれでいい、と帰路についたが、公園出口の案内に石川啄木の詩碑が出ており、この際なので行ってみることにする。これはだいぶ遠かった。途中に泥火山のボッケというのがあったが、全然噴きだしていなかった。湖では魚釣りがたくさん水の中まで入って竿を立てている。石川啄木詩碑(*8)は深田久弥の文章とは逆に、遊歩道から外れ、雑草の中にひっそりと説明書きもなく立っていた。周りには雑草が生え、観光ルートになっているとは思えない。だが、私にとってはどちらの史跡も、山に登るのと同等に、探索の楽しさ、発見があり、感動することができた。すぐ近くに船着場があり、外人さんが二人。船着場からは正面に雄阿寒が近い。

(*7)松浦武四郎句碑 水面風収夕照間 小舟撑棹沿崖還 忽落銀峯千仭影 是吾昨日所攀山

「湖上に舟を浮かべ、静かな夕陽を浴びながら、岸に沿って戻ってくる。水面に影を落としているのは高い雪峰である。それは彼が前日登ってきたばかりの山であった。」

(*8)石川啄木詩碑 神のごと 遠く姿をあらはせる 阿寒の山の雪のあけぼの

双湖台から見るパンケトー

町に戻り、コンビニで食事をし、おみやげを買って出発。アイヌ村があったが寄らず。阿寒湖から雄阿寒を回っていくと、雄阿寒が近く見え、広い頂上台地の右端に頂上ピークが立っているのが分かる。数年前に登ったときはガスで地形が全く分からなかった。更に進むと双湖台という場所があり、ペンケトーとパンケトーが見える。これも数年前、雄阿寒に登ったときに見損なったもの。遠い側のペンケトーはわずかに見えているだけ。ここから見る雄阿寒は頂上部分が斜めになっている。2,250円で予約したホテルの部屋はエアコンなし。仕方ないが、暑くはなかった。

傾いた雄阿寒岳

 問合せ・コメント等、メール宛先: kawabe.goro@meizan-hitoritabi.com