霊山 福島の史跡名勝の里山
福島県 825m 2010年11月7日
(東物見岩825m、西物見岩806m、三角点805m)
東北百名山
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名山一人旅
紅葉シーズンのすごい人出の行列。登山口にも出店が並んでいた。
崖の道を登り、折り重なった岩をくぐり抜けた先が護摩壇。そこは崖のテラス部分で、眼下には崖、崖の下に森林が広がっている。
霊山城跡の広場には大勢の人たち。広場から北に、尾根続きの柴明峰。青空に紅葉の峰が美しい。
東物見岩は霊山の最高点で、遠景は霞んでいたが、柴明峰の更に北東の古霊山らしき峰まで見えていた。それもまた紅葉。
稜線を南西に向かい、蟻の戸渡から背後に紅葉の東物見岩を見る。
軽い気持ちで寄った霊山だったが、半日では回り切れない。歴史も史跡もあり、古霊山というひろがりもある。もう一度じっくり歩いてみたい。
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こどもの村の大きな駐車場に駐車。紅葉シーズンのすごい人出の行列となってくる。舗装路を歩くと行く手に岩峰が見えてきて、登山口に着くが、そこにも駐車場(満車)があり、出店が並んでいた。帰りに零山の案内本(下記メモ)とリンゴを買う。舗装路が終わるところに、「ふくしまの遊歩道50選」「霊山ハイキングコース」の標識。
鍛冶小屋岩、宝寿台、見下し岩、国司沢、甲岩、天狗の相撲取場などの史跡を経て、護摩壇と零山城跡の分岐に着く。「初めて霊山へ来た方へ、ぜひゴマダンからの絶景とスリルを楽しんでください」という標識があったので、そっちに向かう。
護摩壇へは急峻な崖のトラバースを進み、最初に親不知・子不知という崖に沿って道をくりぬいたような所に出る。鎖の手すり付き。上は垂直の崖、下も崖だと思うが見えない。背後には崖の上の部分が見えており、そこは林になっている。崖の道を登り、折り重なった岩をくぐり抜けた先が護摩壇で、標識が立っていた。そこは崖のテラス部分で、眼下には崖の下に森林が広がり、そのはるか向こうに山が連なっている。案内標識の通りの絶景とスリルを堪能。
護摩壇から鉄の階段を登ると広い稜線に出て、伝国司館跡を経て霊山城跡の広場に着く。大勢の人たちが休憩している。トイレがあったのでザックを下ろして入ろうとすると、子供に先を越される。広場には霊山の説明があり、釈迦が修行したインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に因んで霊山と命名され、1337年に北畠顕家が南朝再興を期してここに国府を開いたが、1347年に北朝により落城したとある。霊山城跡の広場から北の眺望が見える場所があり、そこが西物見岩だったようだ。尾根続きの柴明峰というのが見えていた。結構遠い。
東物見岩は霊山の最高点で、標識が立っている。「海が見える、霊山最高峰、相馬沖から仙台湾、牡鹿半島まで、吾妻、安達太良、蔵王まで見てね、日山も見えてるよ」とあるが、残念ながら遠景は霞んでいた。柴明峰の更に北東に伸びているのは、古霊山というやつらしい。いつか訪ねてみたい。
稜線を南西に向かい、蟻の戸渡から背後に東物見岩を見る。奇岩奇勝の裏に広がる深い森の景色。更に、学問岩、天の釣舟、望洋台などがあり、三等三角点が天の釣舟の分岐のあたりにあったが、視界はなし。
三角点と望洋台の途中にある分岐を南東に入り、登山口に下る。弘法の突貫岩、五百羅漢岩というのがある。大きな岩。弁天岩へは寄らなかったが、尾根のトラバース路を歩いていると、谷の向かいに弁天岩が見えた。人が立っているように見える。日暮岩の先で往路に合流。こみあう登山道を駆け下り、駐車場へ。
国見インターへ向かう途中、背後に霊山らしきいかつい山並が見えているので、脇道に入って眺める。なるほど、標高は低いが、存在感はもっている。軽い気持ちで寄った霊山だったが、どうして歴史も史跡もあり、古霊山というひろがりもあり、もう一度こなくてはならない山と思った。奥の深い山である。
メモ(「霊山の歴史、史跡名勝、霊山」より)
霊山信仰はまず二ツ岩信仰に始まる。二ツ岩は東物見岩の北尾根にある二つの大岩で、夫婦岩、陰陽岩という。
霊山寺縁起によれば、霊山寺は貞観元年(859年)、慈覚大師円仁の開山。他に、弘法大師空海の開基説もある。
霊山(りょうぜん)は霊鷲山(りょうじゅせん)の略。インドのグリドラクータ(「鷲の峰」の意味)と呼ばれる山の名から霊鷲山と意訳した。
鎌倉時代末期、南北朝の頃、南朝の北畠顕家が1337年に霊山に移ってきて本格的な城郭となるが、その後、南朝の敗戦により落城した。
霊山の岩峰(駐車場付近より)
登山口付近
こどもの村の大きな駐車場に駐車。紅葉シーズンのすごい人出の行列となってくる。舗装路を歩くと行く手に岩峰が見えてきて、登山口に着くが、そこにも駐車場(満車)があり、出店が並んでいた。帰りに零山の案内本(下記メモ)とリンゴを買う。舗装路が終わるところに、「ふくしまの遊歩道50選」「霊山ハイキングコース」の標識。
鍛冶小屋岩、宝寿台、見下し岩、国司沢、甲岩、天狗の相撲取場などの史跡を経て、護摩壇と零山城跡の分岐に着く。「初めて霊山へ来た方へ、ぜひゴマダンからの絶景とスリルを楽しんでください」という標識があったので、そっちに向かう。
護摩壇への急峻な崖のトラバース路
護摩壇へは急峻な崖のトラバースを進み、最初に親不知・子不知という崖に沿って道をくりぬいたような所に出る。鎖の手すり付き。上は垂直の崖、下も崖だと思うが見えない。背後には崖の上の部分が見えており、そこは林になっている。崖の道を登り、折り重なった岩をくぐり抜けた先が護摩壇で、標識が立っていた。そこは崖のテラス部分で、眼下には崖の下に森林が広がり、そのはるか向こうに山が連なっている。案内標識の通りの絶景とスリルを堪能。
折り重なった岩の先に見える護摩壇
西物見岩付近(右の石碑は金華山碑、江戸末期)
霊山城跡
護摩壇から鉄の階段を登ると広い稜線に出て、伝国司館跡を経て霊山城跡の広場に着く。大勢の人たちが休憩している。トイレがあったのでザックを下ろして入ろうとすると、子供に先を越される。広場には霊山の説明があり、釈迦が修行したインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に因んで霊山と命名され、1337年に北畠顕家が南朝再興を期してここに国府を開いたが、1347年に北朝により落城したとある。霊山城跡の広場から北の眺望が見える場所があり、そこが西物見岩だったようだ。尾根続きの柴明峰というのが見えていた。結構遠い。
東物見岩(最高地点)
二ツ岩(東物見岩の北尾根の下に見える)
東物見岩は霊山の最高点で、標識が立っている。「海が見える、霊山最高峰、相馬沖から仙台湾、牡鹿半島まで、吾妻、安達太良、蔵王まで見てね、日山も見えてるよ」とあるが、残念ながら遠景は霞んでいた。柴明峰の更に北東に伸びているのは、古霊山というやつらしい。いつか訪ねてみたい。
稜線を南西に向かい、蟻の戸渡から背後に東物見岩を見る。奇岩奇勝の裏に広がる深い森の景色。更に、学問岩、天の釣舟、望洋台などがあり、三等三角点が天の釣舟の分岐のあたりにあったが、視界はなし。
弁天岩
三角点と望洋台の途中にある分岐を南東に入り、登山口に下る。弘法の突貫岩、五百羅漢岩というのがある。大きな岩。弁天岩へは寄らなかったが、尾根のトラバース路を歩いていると、谷の向かいに弁天岩が見えた。人が立っているように見える。日暮岩の先で往路に合流。こみあう登山道を駆け下り、駐車場へ。
国見インターへ向かう途中、背後に霊山らしきいかつい山並が見えているので、脇道に入って眺める。なるほど、標高は低いが、存在感はもっている。軽い気持ちで寄った霊山だったが、どうして歴史も史跡もあり、古霊山というひろがりもあり、もう一度こなくてはならない山と思った。奥の深い山である。
霊山を遠望(北西方向より)