国立国分寺支部5月山行会の行事レポートです。大島昌二 2017.5.17
国立国分寺支部の里歩きの5月の行事は「秩父市大滝の天空の集落」を訪れるというものでした。
今時そんなところがあるものかと半信半疑ながら8名が国分寺駅に集合、西武国分寺線6時42分発の列車で東村山駅へ。
次いで西武新宿線所沢駅、西武池袋線(特急秩父3号)へと乗り継いで西武秩父駅に到着したのが8時15分。そこから今度は西武観光バス中津川線で1時間揺られて歩行開始点の川又(秩父市)に到着したのは9時35分だった。ここまで家からの時間にすれば3時間強の道のりである。
この最後の1時間ほどの窓外の景色は記憶に残るものだった。(予想もしなかった景観であった上に、すべて無言の行でもあったので詳細は本文末尾に置くことにする。)
川又は甲武信岳を源流とする荒川の別称、入川が支流の滝川と合流する地点である。
さてバスを降りてみるとまだ集落は目に入らないが「天空の集落」というのはどうや
ら本当らしい。バスを降りたところが直ちに万緑の中である(写真6862)。
表現を疑うのは自由でもこの写真を見てもなお否定するにはトランプ流の強心臓が必要だろう。人影のない集落に歩を踏み入れると鯉のぼりが連なって翻っていた(写真
6864)。
つらい世の中だから生まれてくる子供が少ないのは当然かもしれないが、たくさんの鯉のぼりは元気というよりはカラ元気、むしろ淋しさを訴えるかのようである。道は緩い上り勾配で間をおかずに栃本の関所跡に出た(写真6866)。掲示板には定石どおり「入り鉄砲に出女」を取り締まったことが書いてある。この頃雲が降りてきて一時は霧雨のような雨になった。
秩父往還(街道)は中山道の熊谷宿から荒川渓谷沿いに秩父盆地を横断して、川又で南西に方角を変え、標高2,072mの雁坂峠を越えて甲府に至るものであった。かつて
は国道とは名ばかりであった険しい山路も1998年に開通した全長6625mの雁坂トンネルに取って代わられて舗装道路を車が走るようになっている。(私はトンネルの建設中に電灯のない雁坂小屋に泊まったことがあったが宿では地下の水脈が切断されてしまったために、手近に湧き出ていた水は30分ほども離れたところまで汲みに行かなければならなかった。)われわれの行程はこの秩父街道のごく一部を川又から秩父湖へと逆に向い、その東端に達するまでの推定15,000歩程度の軽度の歩行であった(地形の概略は写真6894を参照)。標高も高いところで900mぐらいまでで、すべてが舗装道路である上に行き交う車もまばらだった。せっかくの緑を背景にしたのに草を踏んで野道を歩くことはなかった。間隔をおいて道で行き会った2人はいずれも老嬢というか嫗、それぞれ81歳と88歳ということであった。2人共にそろって日焼けして杖を手にした天空の住人である。集落を歩いて目につくのは「荒川源流の郷」と「あいさつをしましょう」という標語である。それに力を得て挨拶を心がけた。
上中尾集落で会った88歳の嫗は2年前に夫を92歳で亡くし、どうやら一人暮らし、機嫌よく生活ぶりを話してくれた。生活用品はすべて配達してくれる店がある上に引き車の物売りもやって来るからまったく不便はないという。彼女の家は部屋から秩父湖の水面を眺められると言い、周囲の緑の山々や道にそって咲く草木の花々を楽しんでいるという。
「私はここが大好きだからどこへ行こうとも思わない」と満足この上なさそうである。道より一段低いところの廃校になった小学校らしい建物は生徒がいなくなってか
ら養護学校になり、それも廃れて今は木工玩具の製作者が使っているという。上中尾
には安産の神社が2つあるといい、これはその1つ(6875)。祭神は失念したが産屋造
りとでも呼びたくなるいかにも安泰な造りである。
やがて秩父湖(写真6881)が広くなり、湖畔には「荒川ふれあいログハウス」(写真6885)があって、ダムの建設の歴史や構造、それがもたらす恩恵など、さらには「四季の生きものと周辺散策マップ」が無料で用意されていた。大滝村を始め吉田町、荒川村と合併した広域秩父市の荒川上流域には二瀬(フタセ)、滝沢、浦山、合角(カッカク)の4つのダムが集中しており、これは秩父34観音の巡礼から受けたとは
また違った秩父市の印象を与える。ダムのそれぞれが人造湖を抱えているが秩父湖は
昭和36年建設の二瀬ダムのものである。その他はいずれも平成になってからの建設
(11年~20年)で人造湖には秩父を冠したあとにサクラ、モミジ、モモなどの名がつ
いている。
おそらくこれらの「天空の集落」の一部はダムの湖底に沈んでいることだろう。昼食を秩父湖近くの道の駅大滝温泉で摂り、最後に木曽御嶽山や上州武尊山に登山道を開いたことで知られる普寛上人の名を残す普寛神社に詣でた。
これで予定時間よりも早く計画を終了、近くの落合バス停14時19分発のバスで三峰口駅へと帰路についた。二瀬ダムはそのバスの車中からようやくカメラに収めることができた(写真6886)。
往路のバスの中からも巨大な湖とダムの景観を眺めていた。それがどのダムであったかはログハウスで入手した地図を見てようやくわかった。十文字峠に発してやがて荒川に合流する中津川に建つ滝沢ダムと奥秩父もみじ湖であった。ダムの手前で何故か道路がループ状に一回転しているので同じダムをくり返し見ることができた。そしてその後、川又へ出るのに通った大峰トンネルも長大だった。工事用のトンネルのようで伽藍洞という感じであったがそれだけに気を奮い立たせるものがあった。川又から先へ30分ほどバスに乗り続ければ終点の中津川に着く。その峡谷(中津峡)の紅葉はまた見るべきものだという。山のあなたになお遠く天空の郷を尋(と)めゆくのも悪くないだろう。
軽度の歩行とは書いてみたがさすがに深い疲労が押し寄せて、帰宅、夕食後は風呂にも入らず泥のように(あるいは丸太のように)眠り込んだ。
写真説明(6862、6864、6866、6881、6885、6894は文中で引用した。)
以下の花の写真3枚はいずれも上中尾地区でのもの。
6871 芍薬。中国では「花の宰相」と呼び牡丹の「花の王」と対比されるという。
6874 また過ぎし一週間や桜草 久保田万太郎。「日の本は草も桜を咲かせけり」と
口ずさんだ人がいた。
6878 アヤメであやまりはないだろうか。よく咲いていた。
大島昌二
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