P戸松孝夫2017.8.18
坂本君のエッセイを興味深く読ませてもらいました。
僕の家は武士の家系ではなかったし、また僕自身も高校では日本史の授業を受ける機会がなかったので(高校の途中で3回も転校した為)、僕には日本の歴史に関する知識は殆どありません。従って本文の背景になっている中世という時代のことが判っていないし、また本文で使用されている歴史専門用語(荘園とか知行地とか)にも無知だから本エッセイを充分理解出来ていません。それなのにコメントするのはおこがましいが、
1.「中世では村同士の争いに武器が持ち出されることも多く、室町時代の後半から戦国時代にかけての社会は総じて殺伐としていたから、水争いや山林の境界争いなどでもすぐに鑓や刀が持ち出され、死傷者が出る・・・。」との記述について、
①日本人ってこんなに戦いが好きな民族だったのか?友和を大切にする文化は仲間同志の間だけ?
②当時の村人は畑を耕すことだけで生活がいっぱいの農民だったと思われるが、彼らはみな武器を所有していたのだろうか
③それとも夫々の村に自衛隊としての武士が居て、その武士たちが水争いや山林の境界争いなどに鑓や刀が持ち出していたのか
2.「この時代では、性格の温和な者は、仏門にでも入らなければ天寿をまっとう出来なかったのであろう」とのことだが、この時代は武士の家で生まれたら、生涯他の職業(例えば農民)に転向できなかったのだろうか?
3.「兎も角も他人に隙を見せたり甘く見られたりしたら、やっていけないのが武士という稼業の厳しさであった。」:これは現在の政治の世界や、一部のサラリーマン稼業でも見られるのと同じ厳しさだ
4.「中世の武士には、高潔な意識はなく、むしろ自分は殺生を生業とする家の者であった」というが、正義と潔ぎよさを尊ぶ高い気風、所謂武士道は江戸時代の武士の意識だったのか、それとも明治になってからの新渡戸口稲造の作り話?
5.「明治の時代に武士の末裔が実業家として懸命に生きた」とのことで、銀行業務の修業とか、銀行を創立した事例が取り上げられているが、誰もが金融業を始めたわけではあるまい。明治初頭武士が廃業になり、更には大東亜戦争敗戦後士族の身分制度が廃止されてからの70年間武士の末裔たちはどのようにして社会を生き抜いてこられたのか。我がPQグループにも武士の子孫が居られると思うが、祖父たちが「実業家として懸命に生きた」実例を投稿してもらえると興味深く読まれるのでは。