Q新海嗣哉 2017.2.23
前回は来島グループの傘下企業に対する統治手段の概要について述べたが今回はグループの要ともいうべき坪内社長の印象について少しばかり触れてみたい。
1)顧客を大事にする。 イ)私が勤務した造船業での例だが内航船、遠洋漁業船の船主は自営業者が多く自身で動き回って普段はなかなか会うことが出来ない。そこで彼が指示したのは正月に訪問せよということだった。彼らも流石に正月は家で寛いでいるのでじっくり話が出来るというわけである。
。。。。私もなるほどと納得したので、出向中は正月休みなしで静岡、九州、気仙沼等にある漁船の船主宅を廻ったことを思い出す。 。。。。
この話と同様顧客の葬儀にもできるだけ出席するようにとの指示が示されていた。相手先の会社が当方の誠意を感じてくれるだけでなく、。葬儀場には同業者も参列していることが多いので義理堅い会社だと感じてもらえるということである。
。。。。私の出向先は顧客が北は北海道から南は九州まで全国にわたっていたので結構忙しく東京駅まで家人に新しいワイシャツや下着を持ってきてもらい葬儀のハシゴをしたこともある。 。。。。
ロ)接待は誠心誠意 坪内社長は自分が接待するときはお客の好みを出来る限り調べて設営するよう心掛けていた。社内の人に聞いたところではたいていの場合相手は驚くとともに喜んでくれたという。
ハ)従業員(彼の経営方針についてくるもの。政治的信条他の理由で反抗的態度をとる人間を除く(例えば左翼的組合例えば全造船傘下の組合)と正面から向き合う。
グループに参加した各企業はまず第一に来島本社研修担当の社員研修を受講する。(佐世保重工業の再建がテレビで取り上げられて世に知られるようになりグループとは無関係の企業が社員研修を依頼して来ることもあった)1回の参加人員は3,40名人員構成は平社員、中間管理職(平社員には現場作業者を含む)内容は7,8名の小グループで会社の当面している問題点の洗い出し、改善の方向付けを討議する。この時オブザーバー参加として同行している部長役員に質問し意見を聞くこともある。(実質的権限がない役員部長クラスは今後の方向については答えられないこともある)この後グループ内の先行企業、造船業では佐世保重工の工場見学で来島流の改善方式を学ぶ。この間一時期もてはやされた地獄の特訓的な研修もあるがこれが主目的ではないような印象である。私が参加したのは第1次研修からだいぶ経過したので、行われた第2次研修会であったが、坪内社長は既に入院中であったが最終日に顔をだし受講者の代表が研修を受けて気持ちを新たにしての決意表明文を読み上げるのを正面に姿勢を正して立ち真剣な面持ちで聞いていた姿は単なるゼスチャーとは思えぬものであった。(坪内社長は全国部課長会も冒頭の全体会議には着座のままではあるが出席している)
ニ)現場第一主義 坪内社長は病気になる前は良く現場に出て作業員、現場管理者と話をし、アイデアマンである彼は改善のヒントをつかんでいたと聞いている。彼が病に倒れ数人の才気ある若手の課長たちが彼の目となり耳となって現場と社長との間に立つようになって何かとヒズミが出て来たように思った。二,三事例を挙げてみる。
その1)見かけの利益を上げる。地方紙の経営を引き受けコストカットの目的で古参記者を解雇して新聞部出身の卒業生に切り替えた為記事の質が低下して売れ行き不振そこで参加各社に割り当てたが四国の地方紙が静岡で売れるはずもなく私が赴任した時廊下に新聞紙が束になって放置してある始末。聞くと大した額ではないので購読料は会社で立て替え古紙として利用するつもりだという。
その2)コスト削減 本社から出張費が多すぎる。飛行機使用中止にすべきとの指示これに対して当方は北海道九州他の遠隔地の出張日程を飛行機使用の場合と使用しない場合の2方法を詳細にまとめ使用しない場合の方が高くつくことを示した報告書を本社に提出して一見落着。本社に不信感を抱くだけの案件となった。現場の実情をよく知らずに指示を出している事態はほかにもあり全国部課長会で使うホテルでもフロントとロビーラウンジの喫茶コーナーを兼務にしてフロント前に客が滞留する片や喫茶コーナーでは注文した物がなかなか来ないというサービス業としては考えられない事態がおこっていた。
来島グループが徐々に衰えていった原因としては色々考えられるがその一つとしてはあまりにも多業種の且つ多数の企業を抱え込み過ぎたことがあげられる。こと造船業に関してはかって支配造船所が数少なく鋼材使用量もしたがって少ない時に高い鋼材を買わされた経験から大量の鋼材を使用することで価格競争力を持ちたいと考え支配造船所を増やしていったということはある程度理解できるがその後頼まれるままサービス業或は銀行、新聞まで引き受けていったのは自己過信以外に考えられない。それに加えて末期の豊臣政権を思い出させるような才気ばしったしかしながら思慮に欠けることもある若手課長達を自分の代役として使わざるを得なかったのは誤算っだったろう。
(彼は自分にとって代わりそうな後継者は作らないようにしていたので全体に目配りの出来るような人材は育てなかった)
長い間つたない文章にお付き合いいただき有難うございます。