ぐQ萬野善昭
【第一便2017.10.11】
森兄
先週末、木曽より芦屋に戻りました。
添付の写真は9月末から10月初旬に掛けて木曽の散歩道でよく出る「いくち」というきのこです。
関西では目にすることも、聞くこともないきのこですが、ご存知でしょうか。
特に際立った味のあるものではありませんが、味噌汁によく合い、おろし合えでも結構おいしいです。
この写真のいくちも、その日の晩には胃に収まりました。
尚、木立の林の写真はこれらのいくちがその道端で採れた毎日歩く木曽での散歩道です。
このシーズンになると、家内が目の色を変えて毎日のように採取するので、最後の週は朝晩食わされました。
お陰で、思いを残さずに芦屋に舞い戻った次第。
【いくち1~3】
【夢想の小径1~5】
【第二便2017.10.14】 写真のきのこは、このあたりでは「いくち」と呼ばれている。色が艶やかで、さぞ旨そうに見えるが、きのこそのものは取り立てての味ではない。早朝の「歩き」のついでに採ってきて朝飯の味噌椀に入れると、なめこのようにとろっとした感触が胃に優しそうで嬉しい。おろし和えにして、ポン酢を少したらしてもなかなかのものである。
山に採りに行かずとも、道端で結構見つかる。多くはないがコンペティターもいるようだから、必ずしも歩けば見つかるとは云えないが、秋口のこの季節は、小一時間も歩けば両手に余るほど採れることもある。
写真のいくちは傘の直径が3、4センチのものだが、放って置くと10センチ以上にもなる。ただ、大きくなると必ず傘の裏の柔らかい部分を虫にやられて、その黒い痕が薄汚くしみの様に点々として、食う気がしない。虫にとってはかなりの美味と見え、大きく育ったいくちには必ず虫跡が一面にある。虫の姿を見たことはないが、姿の見えざる手ごわいコンペティターである。だから、かわいそうで申し訳ないことだが、この写真くらいの大きさになると頂戴することになる。さすがに1センチ未満くらいのものは、人に見つからないようにその辺の枯葉をかぶせたりしておいて、翌日見まわるが、歳のせいか目印を覚えておいた積りでも見失うこともおおく、ままならない。
木立の写真は、これらのいくちがよく見つかる小道である。雨でない限り、ほぼ毎日のように朝食前にこの小道を歩く。村役場の人は、この道はフィトンチッドが多いというが、真偽のほどは知らない。「歩き」は約40年も前にC型肝炎を患った折に始めたが、この「歩き」と「わがまま」と正体不明の漢方薬で直ったと思っている。
木曽に夏来るようになってはや二十数年になる。市町村合併で、数年前から木曾町(きそまち)になったが、来始めたころは日義村(ひよしむら)であった。日義の義は木曾義仲のよしである。近くに陣立て原というバス停がある。義仲出陣の勢ぞろいをした場所といわれている。
先ほどの小道も、今は「ふれあいの小径」という標識が舗装道路から小道への入り口にあるが、以前、日義村の頃は「夢想の小径」であった。はじめてこれを見たときは、なんとキザッたらしい名を付けたものかと思った。しかし、よく聞いてみると江戸末期にこの辺りに夢想権之助という棒術使いが住んでいて、ある時思い立って神に願懸けをし、その満願の夜の祈りの最中にふとまどろみ、夢の中に白衣の神が現れて秘術を授かったらしい。夢の中で授かったから、夢想権之助と名乗ったという。そしてその願懸けのために毎夜通った道なので「夢想の小径」と後の人が名づけたとか。そういえば、中学生くらいの頃、剣豪伝のようなもので塚原卜伝とか千葉周作とかの名に混じってこの棒術使いの名が出ていたことを思い出す。
この小道は全長400m足らずで、写真で見られる通り、適度に蛇行し、苦しくない程度に起伏もある。道からは見えないが、数メートル奥を飲んでもいいくらいのきれいな流れがほぼ道に沿ってあり、歩いているとそのせせらぎの音が絶え間なく聞こえる。
以上。
たまたま近況報告を兼ねて森兄に、このいくちの写真を送ったら、聞いたこともないきのこだから、載せたいとのことだったので説明文を付けさせて頂いた。