P戸松 孝夫 2017.9.1金
恥ずかしいことだが、僕はこれまで「われら愛す」に関しては全く無知だった。我々の高校時代に「新しい時代にみんなが胸を張って歌える新国民歌を!」として公募され数万点の中から選ばれた歌で、大学時代にはよく唄われていたとのことだが、何故か記憶に残っていない。
今回流してくれたU-Tubeで全曲を聴いてみた。文語調の格調高い歌詞には共有するところ多々あったがが、音楽の才がない僕はジーンと胸迫る思いが伝わるまでには達しなかった。
ここで僕が不思議に思ったことは次の2点。
①「君が代に替わる国民歌」として選定された「われら愛す」が、いま何故国民の間で知られていないのか?一部の学校では今も歌われているようだが、雲雀丘学園では1980年頃姿を消したと同校のブログに出ている。
②終戦から8年経過した時点で何故君が代廃止の動きが出ていたのか? 君が代は「天皇家が永遠に続きますように」というだけのことで戦争讃歌は一切していない。当時も今も変わらず、多くの日本人は皇室の存在を認め、崇めてもいるのに。
今世界で日本は一流国になっている。多くの国々が自国の国歌を大切にし、誇りに思っているのに、日本では学校で斉唱することが禁止されているとか(この半世紀間僕は学校とは接点がないので、最近の実情は知らないが)。アメリカではプロ野球の始まる前にスタンドで観客が米国歌「星条旗」The Star Spangled Bannerを皆で合唱する習わしがあるのに、日本は恥ずかしいな。
統計学という難しい学問をゼミで選択した秀才が、『寄らば大樹』の誘惑を蹴飛ばして壽屋を生涯の伴侶として選択した動機のひとつにこの新国民歌が関わっているとの事情も理解できた。
「壽屋」とは懐かしい文字だ。僕はこの格調高い名前が大好きだった。一般論として、最近日本人が好んで選んでいるカタカナの社名には僕は抵抗感があるのだが、サントリーの場合は、当時(1963年頃?)既に世界に知れ渡っていたブランド名を企業名に活用したのは適格な判断だったと思われる。(Kotobukiyaでは外国人には発音が困難でなかなか覚えてもらえない。日本人にはこの美しい文字で記憶に残るが)。 以上