武蔵野の崖線に沿って歩いた(如水会 国立国分寺支部)
・・・森下一義さんの黒潮丸通信より手繰り寄せた記事(転載)です・・・
これは如水会国立国分寺支部の「現・里歩き会」による歩行記ですが、かつては「山行会」として、奥多摩や甲信の山々を歩くことが多く、鳥海山、月山、安達太良山、那須山などの東北の名山を踏破した歴史を持っています。写真も12枚添付されています。 (管理人)
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【元記事】大島昌二 2017.2.22
如水会・国立国分寺支部の里歩きは昨年12月には「多摩のよこやま道」でしたが今回(2月18日)は立川断層に沿って立川、国立(青柳)、府中の崖線に残る武蔵野の森林沿いに流れ下る根川、矢川、府中用水などをたどる街歩きでした。
小さな湧水の流れは道路や住宅に分断されているので歩道を探しながら、流れとは付かず離れずの散策でした。
これらの流れの行く先はいずれも多摩川ですが氾濫防止や河道付替え工事のような人工の手が大きくまた繰り返し加えられています。
その好例が桜の名所として景観的にもっともすぐれている根川緑地ですが、立川下水処理場の高度処理水を受け入れて水量と人工度を増した小川に生まれ変わって残堀川(ざんぼりがわ)に注いでいます(写真6400参照)。
矢川の源流とされる矢川緑地では自然保護に力を尽くすボランティア―・グループの活動の様子もかいま見ることができました。
歩行区間は多摩モノレールの芝崎体育館駅から府中の大國魂神社までの推定15キロです。緑地内の流れにはシラサギ、アオサギ、それに多数のカルガモがいて目を楽しませてくれました。
私にとっては、静止中のカワセミを見られたことが何よりの収穫でした。これまでは野川の岸辺を素早く飛び去ったのを瞬間的に見たことがあるだけでした。
もう一つの収穫は中村草田男の句碑で「冬の水 一枝の影も 欺かず」を学んだことでした。俳句を嗜む同行者によればこれは草田男の代表作の一つとのことです。
時はあたかも冬、それも昭和8年12月の吟行会でここ根川の澄んだ水を詠んだものといいます。水面が枝々の細部までくまなく映し出すさまを「欺かず」と一語で切り取るように表現する力量は驚くべきものと感じ入りました。
いずれもやがては多摩川に注ぐものとしても、それぞれの流路を特定することは易しくはない。(興味のある方はインターネットでそれぞれの項目を読まれることをお勧めします。)
今でははっきりしませんが、東京の地名は多分にその地形を反映していた。
台地(駿河台、白金台など)を刻む谷が四谷、渋谷などであり、その底に広がるたんぼが早稲田、神田などとなる。
「これらの谷をどんどんつめていくと、鹿の角のように大きく分かれ、その一番奥に湧水がある。つまり谷の奥は幾つかの谷戸に分かれていたということである。(小泉武栄)」このようにハケや湧水も下流から眺めた方が全体像を把握しやすいかもしれない。
私は長年国立市に住んでいながら、「ママ下湧水」がなぜ「ママ下」なのか分からないでいましたが今回説明板を見て初めて、崖のことを地方名で「まま」と呼ぶことを知りました。(辞書にも類似の定義を見ることができます。)
崖をハケと呼ぶことは大岡昇平の『武蔵野夫人』で知っていました。同書の第一章は「『はけ』の人々」で「土地の人は何故そこが『はけ』と呼ばれるかを知らない。(…)人々は単にその長作の家のある高みが『はけ』なのだと思ってゐる。」で始まります。
ついでに「谷戸」も調べてみました。「やと」は「谷」(やつ、やち、やと)と同義のようである。「やつ(谷)」を引くと「低湿地、やち、やと。(地名としては、『や』ともいう)」と出ている。四谷、渋谷に世田谷を加えてよいだろう。
国分寺崖線の湧水を囲む殿ヶ谷戸庭園も不思議な命名と思っていたがこの疑問も氷解した。私が見聞した東北の農村には踏み込むと腰までのめり込むような、日陰で収穫の乏しい下級田があって「やじった」と呼ばれていた。これは「谷地っ田」だっただろう。
参加者は9名。9時芝崎体育館駅集合、昼食は12時に谷保駅近く、打ち上げは府中駅近くで5時から。6時を回ったところで散会となった。
大島昌二
写真と説明
6399)根川緑地の湧水源近くを歩く。住宅が近くまで迫っている。
6400)根川と緑道の造成(説明版)。水は澄み切っている。 ☞LINK根川緑道
6474)根川のアオサギ。彫像のように身動きをしない。
6469)根川の豊かな源泉(湧水)。
6468)カルガモが暖をとるように石の上に鎮座していた。↑
6416)岸辺に寄るカルガモの群れ
6417)樹上のカワセミ。しばらく見ていたが飛ぶ気配を見せなかった。
FullSizeRender)同上クローズアップ。
6473)矢川のおんだし(押し出し)。左側のママ下湧水(清水川)と右側の矢川が府中用水に流れ込むポイント。
6444)谷保天満宮の梅林。梅花の時候、道々時おり梅の香が漂っていた。
6472)足利尊氏の創建になる多摩地方を代表する高安寺(府中市)の山門。田原藤太秀郷の館跡という。
6463)駿河台水道の景。台地と谷の対照が明らかな北斎初期の版画。幻の一枚と言われる。
追記:句碑で読んだ草田男の句に以下のような評があるのを見つけた。「寒気の走るような水面にくっきりと影を落として静まり返っている冬木が印象明瞭に描写された佳句である。(虚子の主宰する)探勝会に同行した虚子の四女の高木晴子が、『あの一句が披講された折りにお父さんが独りで唸り声を挙げていたわよ』と語ったという。
草田男がカワセミを詠った句も幾つかある。果してどこで見たものだろうか。翡翠(かわせみ)の季語は夏であるがよく目に触れるのは葉の落ちた冬であるという。
〈翡翠の飛ぶこと思ひ出しげなる
〈はっきりと翡翠色にとびにけり
誰でも知っているであろう草田男の句に「ふる雪や明治は遠くなりにけり」がある。昭和も遠くなりつつある。
大島昌二