大島 昌二 2017.2.4
前回Hitotsubashi Quarterly 2017冬号を読んだ感想を書きました。そこでは末尾に前年秋号に掲載された森口千晶教授が激賞している桜庭一樹さんの小説をこれから読もうと思うと書いております。それはその時の筆のはずみにすぎず「読んでどうだった?」と言う人はいないかもしれない。私としてもそのままにしておきたい気持があるのですがとにかく読んでしまった。読んでしまったからには「一言あってしかるべき」という陰の声に付きまとわれていた。
そうこうするうちに、ぶらりと入った国立市の増田書店で『田中克彦自伝 あの時代、あの人びと』という本が山積みになっているのを見つけた。一橋大学には消費組合があって本はそこで安く買えるらしいが国立という土地柄、一般の書店でも一橋の先生の書いた本はそれなりに売れるものと見える。
田中克彦氏は「たたかう言語学者」という異名をもって知られる一橋大学名誉教授で私は何冊か彼の著書を読んでいる。『ことばとは何か』、『ことばと国家』のような言語に関する本のほかにもモンゴル語やロシア語の知識を駆使して『ノモンハン戦争』のような日本の近代史の秘匿された歴史に光をあてた名著をものしている。『従軍慰安婦と靖国神社』という著書もあってゼミ生が「ゼミテンにぜひ手にとってほしい1冊」という先生の言葉を「如水会々報」で紹介していたがこの一冊は私にはさばき切れない。
『田中克彦自伝』はとびきり面白い。彼は、大学は学部が東京外語、大学院は一橋、教師としては外語、岡山大、一橋、中京大だがとりわけ一橋について多くのページが割かれている。彼はまた1934年生まれだから「あの時代、あの人びと」をほぼ共有しているわれわれにとって彼の自伝は二重に身近に感じられる。大学院入試の面接に出てくるのは哲学の太田可夫(ベクさん)と仏文学の山田九朗で、太田さんは「ほうほう、亀ちゃん(亀井孝のこと)につくんだってね。ところでやっこさんいまケンブリッジに行っていて、一年しないと帰ってこないよ。亀ちゃんの論文、何を読んだんだい、というような調子だった」という。
同じ社会学研究科には阿部謹也がいて「彼の口からは、いつも孤独さが吐露されていた」という。この後に続く阿部の上原専禄、増田四郎についての相対的な評価とその逆転は多くの人にとって初耳であり、また意外なことに違いない。故人になったPクラスの石原保徳の名前も出てくる。
当然のことながら言語学の亀井孝教授にまつわる話は多い。これまた初耳のことだが亀井教授が担当する一橋の国語の入試問題は毎年あまりにひどいので全国高校校長会の名で善処を求める抗議文が来たという。これまた意外な話だった。私が受験した年には「酒の酒樽」と「柿の木の葉」という二つの言葉を並べてその異同を論ぜよというような、おそらく音便に関する問題が出た。何が正解かは分からないままに私はあんなに楽しい思いをして試験の答案を書いたことはない。ずいぶん後になって週刊誌で大学の国語入試問題を検討した丸谷才一が一橋の国語問題を激賞して「こんな先生のいる大学の学生は幸せだ」と書いているのを見て「わが意を得たり」と思った記憶もある。本書でも私と同じように「国語の入試問題(亀井孝先生の出題)に感激。こういう問題で落とされるなら本望だと思ったがさいわい合格」と書いた受験生もいたことが紹介されている。
もちろん大学は一橋だけではない。東京外語や岡山大などで、あるいは海外でも「たたかう言語学者」は十分にその片鱗を見せている。多くの人にとって不案内、あるいは名前だけは知っている程度の言語学者や古典学者の愉快な逸話にも事欠かない。ただ不思議なことに、われわれの世代には重くのしかかっているはずの戦中の記憶がほとんどと言ってよいほど欠落している。
本書には開高健の『夏の闇』という小説に触れたくだりがある。著者によれば司馬遼太郎は、開高健への弔辞で「『夏の闇』一冊を書くだけで、天が開高健に与えた才能への返礼は十分以上ではないかと思われた」と述べたという。また文庫本につけられた解説でC.W. ニコルは、同書を4回読んだ上で「私が読んだ日本の小説で、最もすぐれたふたつの作品のうち、その一つが本書だ」とこれまた手放しの褒めようである。ところが田中克彦は彼らとは対照的に、「ぼくは、この小説は俗っぽくてほとんど無内容の下らない作品だと思う」と切り捨てている。
田中克彦はボン大学に留学中に佐々木千世子という日本人女性と知り合う。そして『夏の闇』の「女」という名前の主人公がこの女性に違いないと確信する。そして彼女がドイツ語をまったく知らずにドイツに来て奨学金にありついた上で、僅か数年で博士号を手にしたのは師事したドイツ人教授を色仕掛けで篭絡したからだと読んでいる。
小説の質はもちろん登場人物の品性とはかかわりがない。傑作の主人公が極悪人であっても構わない。だから私はこの件に関しては『夏の闇』を読んでからでなければ否応は言えない。”The proof of the pudding is in the eating.” と言うではないか。私は図書館で『夏の闇』を借りてなんとか50ページまで読んだが、田中先生の本と違って退屈でなかなか前へ進めない。止むなく図書館に返却期限を延長してもらったところである。これも作品の質のせいではなく私の感受性や理解力に問題がある可能性も想定する必要がある。
私は前回、米原万里さんの傑作小説に触れている。田中克彦はある雑誌の企画で米原さんと対談することになり電話でその打ち合わせをしたことがあったがその対談が実現する前に彼女は死んでしまったという。雑誌「ユリイカ」の米原万里特集号で米原は沼野允義と対談をしているが、実現していたらそれに劣らない対談を読むことが出来たろうにと残念である。
米原の父である米原昶はゾルゲ事件の伊藤律と同様に戦中は地下に潜って姿を見せなかった共産党の幹部である。万里さんが丸谷才一の徴兵忌避を通しぬいた男を描いた『笹まくら』を「打ちのめされるようなすごい小説」と評したのは彼女の父親の潜行生活に思いをはせたからに違いない。田中は、戦後地上に姿を現して東京都選出の衆議院議員として活躍していた米原昶の選挙ビラを貼って歩いた経験を書いている。彼は天下の才女に向ってそんな奇縁も話したかったに違いない。
いろいろと書いてきたが懸案の桜庭一樹にはなかなかたどり着けない。はっきり言って、とても世界文学の域にある作品とは思えないからだが、そう言い切ってしまえば一橋大学への信頼を放棄しなければならない。それも辛いことだから結論はC.W.ニコルさんのように4回とはいかないまでもせめて2回ぐらいは読んでから評論することにしたい。ただそれがいつになるかは保障の限りではない。今や黒雲が空を満たしているアメリカから日々送られてくるニュースを消化するのに忙しいからである。(04/02/2017)