大津寄雄祐
2016.10.13
石原慎太郎さんに申し上げます。
この1カ月TV放送は築地、豊洲の犯人探しに終始しました。今も続いています。私はこれを見ていて、黒沢明(芥川)の羅生門を思い出しました。登場人物の証言は全てもっともらしく、真相はやぶのなかでした。物語としては面白く人間なんてそんなものさ、としたり顔していた自分を思い出しました。
あれから60数年経ち亡霊の如く第二のやぶの中が出現しました。
物語は観客に面白おかしく、犯人探しをさせればそれで済みますが、築地、豊洲問題はそうはいきません。
石原氏は当初「都庁は伏魔殿のようなものだ」と言い放ちました。
一年や二年の在任期間ならいざ知らず、10年近く勤務ししかも知事というトップにあるものが自分の所属する組織を伏魔殿と言い放った時、私は石原氏の人格に深い疑念を持ちました。
私は「責任は我にあり」と名乗るべきと思います。組織管理の長の責任なのです。形式論で言っているのではありません。私は組織運営原則を教科書的に云っているのではありません。
上司と部下の相互の信頼があって、各自の仕事のスムーズな遂行に繋がります。伏魔殿の中には尊敬も信頼も誠実な報告や連絡と言ったコミニケイションもとれません。
私は石原氏が「責任の根源はわれにあり」と謝罪し、「退職金を返済」しこの問題の打開を図り、現執行部に巨大投資が一日も早く具体的に進捗することを期待しています。
石原氏は若く文壇に出、その後国会議員や大臣も経歴されました。鮮やかな人生と賞賛されました。しかし、年をとるにつれて傲慢な姿勢を感じたのは私ばかりではないでしょう。知事時代ある時期、登庁は週2~3日とも聞きました。ついこの間「天才」という田中角栄伝を出版、成功を収めました。石原氏は文筆の人なのだろうと思いました。(私は城山三郎さんのような信念に生き、謙虚な作家を尊敬します)
ある人が云いました「石原氏は晩節を汚したな」と。また他の人は「一将功成り、万骨枯る」とも、人生は結局寂しいなと。石原氏がもう少し謙虚であればと願わずにいられないのです。石原氏の傍若無人さを許していた如水会員も責任があるのでないかと反省した次第です(大津寄)
大津寄兄・・・・・・・・・・・・・・・坂本幸雄
2016.10.13
早速素晴らしい、しかも、今話題の東京都の問題を捉えた貴エッセイに感銘しました
自らが長年その長として深く関わったにも関わらず、東京都の意思決定の仕組みを、まるで他人ごとの如く“伏魔殿”と言い放つた無責任な石原慎太郎氏。
この氏の姿勢には何をか況や。もう無責任の極み。驚くばかりですね。
・氏のこのような発言の背景にある実態は、他の多くの自治体の不祥事にも共通していると思いますが、これら多くの自治体に共通の悪弊は、自からの組織の維持・発展に必要な資金を民間企業のように自らの力で稼がなければならないという「稼ぐ厳しさ」に全く無縁の公的組織共通の悪弊なのであろうというのが、小生の認識であります。
これら自治体では資金不足に陥る場合には、法律改正の増税策で簡単に対処できる気安さがその背景にあるのではないかと思います。「自らの身を切る改革」が得てして口先ばかりに終わる悪弊もここにあるのでしょう。
・小生が長年働いたS社で経験した重要な体験は、企業の長期的な経営課題として策定する“長期計画”、年間計画としての“予算編成”、個別投資案件の実施に当たって計算するその投資の効率・効果性を検討するために「“ROI”(Return on Investment)の計算基準の設定とそれを計算できるコンピュータシステの作成とその計算結果の稟議書へ必須記載する仕組み」など、会社全体の意思決定のあるべき策定・実施・評価などの仕組みでありました。それらの会社全体の重要な意思決定の仕組みを故佐治敬三氏の下でいろいろと構築してきたのであります。
これらの仕組みのお蔭で、会社全体の重要な意思決定事項に関しては、社長以下関係者全員が等しく認識を共有できる基盤ができていたのです。
だから、社長が、自社の会社の仕組みを“伏魔殿”などという不見識などは絶対に有り得なのです。
・そんな小生のささやかなサラリーマン時代の経験に照らしてみても、東京都のガバナンスに関する目下の混迷は実に不可解・千万の問題であり,そのすべてが、緊張感に欠く、お互いの慣れ合いの、しかも形式主義的で、実際の効果・効率を真剣に追求しようという意識の希薄な、悪しき意味でのサラリーマン根性丸出しではないかと思います。
・その無責任体制は、先日の対馬・壱岐への旅行に際して小生が感じ、その紀行文に書いた、あの旧日本海軍の上意下達のみが唯一の判断基準であったと思われる、先の大戦中のあの軍部の無責任体制に類似したものであると思ったのです。このような無責任体制の組織の行く先には破滅の道しかないのではないでしょうか。
(坂本幸雄H28.10.13記)
(管理人)本檄文が寄稿される数日前、坂本兄から大津寄兄宛に、「33Qサイト活性化のため一肌脱いで欲しい」との要望メールがあり、数回の相互交信の結果、本稿となった次第です。ご存知のように大津寄兄は「時代の背景/随想の旅」を執筆、本年第3巻を配布されました。今、一息入れたい心境と拝察されますが、管理人として有難く深謝いたします。
坂本兄の冒頭のことば「早速素晴らしい云々」はそういう対話の文脈でお読み下さい。
小平Qクラスの時、学費値上げ問題が起こり、大津寄兄が教室の壇上に駆けあがって「反対!」を叫んだ雄姿を想い起こすのです。(森)
なお、この文を契機に本サイトをP・Qから出て、全33年諸兄姉に公開したいと思い至りました。そろそろその時期かと。
「檄文」と称したのも、その意図からです。P・Qより広い力で叫ぶことが日本の為になるかと。 2016.10.13