新海嗣哉 2017.2.20
私のサラリーマン時代の変わった体験について少しばかり記してみたい。
私は50歳頃一時期マスコミにも取り上げられた坪内グループ傘下の静岡県所在の中小造船会社に出向を命ぜられた。
。。。。。私が勤務していたのは時には”ますらお派出夫銀行”と称されることもある銀行で出向は珍しいことではなかった。。。。。 其の頃の坪内グループは再建の腕を買われて各所から依頼された佐世保重工業、函館ドック、来島造船等の造船会社、関西汽船他の船会社、ホテル、ゴルフ場、地方の相互銀行、地方新聞等雑多な企業群を抱える坪内社長を中心にした緩い共同体を形成していた。
。。。。。物の本によると坪内社長のスタートは倒産しかかった地方都市の映画館を立ち直らせたことから始まりその手際を見た地方銀行が来島ドック他の再建を次々と持ち込んだとある。。。。。
私が出向先に着任したころのグループの統治体制は1)グループ各社の社長は全て坪内社長、副社長専務等の上級役員は本社である来島ドックの上級役員の兼務
(彼らは来島に主として駐在し月に1,2回兼務先に来る。各社のプロパー役員はほとんど権限を持たない。(支出に関しては全て坪内社長決済)2)全国部課長会
毎月一回来島本社で開催。私の会社の例でいえば開催日の前の土曜終業後に出発し大阪天保山埠頭から関西汽船に乗船翌朝松山港に上陸、本社近くの廃校の体育館の全体会議出席
。。。。会場で出席者の確認 来島の人事課長が各社別に役職名氏名を読み上げ各人は(ハイ)と答える。十何年ぶりの出席を取りますに初参加者は戸惑う。。。。
この全体会議の目的は一体感を高めることらしく最近業況が思わしくない会社の最高位のプロパー役員の反省の言葉と今後への決意表明が壇上でされることが多い。
全体会議に続いて業種別職種別の分科会がありわが社の例でいえば造船業は営業と設計と製造の3分科会に出席し情報交換、バッティング調整等を行う。最後に各社の役員がそれぞれ別個に坪内社長と面談し当面の課題、大口支払の説明等を行う。
3)グループ各社共通のルール 毎日7時より部課長会議会議開催 7時30分課長より係長班長に当日の必要事項伝達 8時前班長より班員に当日の予定ほか伝達 4)製造業に関しては来島本社で8時前後の電力使用量を把握することで各社の稼働状況を監視する体制になっている。
私が出向先に着任したころは坪内氏の健康状態(糖尿病)が万全でなく夫人と二人で病院の特別室で生活しており現場第一主義が出来ずに来島の管理部門の中堅クラスを仲立ちにしてグループ各社を間接的にみており外から行った人間には色々な弊害が徐々に見えてきたがそのことについては文章が長くなったので次の機会に譲りたいと思う。