猛暑のさなか、我らの薔薇園:「33Qネット」が夏枯れしないよう、些かながら一滴の水撒きを行います。興味あればご一読下さい。坂本幸雄
問題提起:世代を超える課題と民主主義(元財務次官 真砂靖H28.7.22 日経 私見卓見の要約)
<「民主主義は現世代主義・現世利益優先主義である」との指摘>
・英国のEU離脱の問題で私が関心を寄せているのは世代別投票結果である。18ー24歳では離脱28%,残留72%。65歳以上では逆に離脱58%,残留42%となっている。これからもっとも長く生きその分余計稼がなければならない若者は約4人に3人は残留を希望しているのである。先進国で「シルバー・デモクラシー」「ペンションズ(年金)デモクラシー」という言葉が喧伝されて久しい。日本でも4人に1人が高齢者でその投票率は20代の倍以上である。(中略)
・更に民主主義には老若問わず現世代を超えた課題もある。それにどう答えを出すかという問題もある。有限な化石燃料資源、原子力発電とその放射性廃棄物の超長期的管理の問題、そして政府債務によって支えられた社会保障の持続性の問題。これらは全てコストを後世に先送りする誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期には考えられていなかったことばかりである。
・民主主義は現世代主義・現世利益優先主義である。今はもうかつてのように民族の誇りとか国家の威信をかけて戦争をすることもなく、そんなことよりも人間の命を大切にしようという意識が強いのであるが、そのための政治的ルールとしては民主主義以外のルールは考えられないのである。その民主主義をどう補完すれば現世代を超えた課題に正しい答えを出すことができるのか。そのためには将来を見通す意欲と能力もった「分厚い中間層」の存在とか官僚の役割とか必要であると言われてはいるが、なかなか名案は思いつかないのである。
感想:
<蓼沼宏一一橋大学学長から伺った「規範性判断基準」という考え方>
・上記記事は、民主主義を政治的原理として物事を決定する社会に於いては、その時々の社会的合意が「現世代主義・現世利益優先主義的に決定されることの問題点」を指摘したものである。
・この指摘に関して、小生がまず思い浮かべるのは、先月の話題のコラム「AIが働く社会と人々の最低生活保障」でも引用した「規範性判断基準」という考え方である。その引用の際に、この考え方は、小生が昨年,同窓会大阪支部の賀詞交歓会講演で,蓼沼宏一一橋大学学長から伺ったものであり、それは、将来の望ましい社会を展望するに当たっては、人々が個人的な願望や期待を離れて、全体としてどのような社会が望ましいかという規範的な視点から議論しようというスタンスである、と説明した。更に思い出したのは、その講演後の懇親会で、学長に「本日の講演には大変感銘を受けましたが、そのような考え方自体は、どのような経済学派の主張でしょうか」と伺ったところ「それは厚生経済学派の主張です」と答えて頂いたことも併せて思い出し、なるほど人々の福祉の観点から経済システムのあり方を論じる学派だからこそ、このような現代的な問題領域に迫る論説をも展開しているのであろうか、と感じたのである。
<「チリ落盤事故」からの教訓>
・その講演会での学長の話は、「規範性判断基準」という考え方について、例の「チリ鉱山での落盤事故」をその具体的事例として取り上げて、われわれに分り易く説明していただいたのである。
・2010年8月5日に起きた「チリ落盤事故」とは、33名の作業員は、地下634mに閉じ込められるという事故であったが、その困難な状況に中でありながら、世界中のTVがその状況を連日放映するという世界注視のなかで、幸いにも、10月13日には全員が無事地上に救出されたという極めて劇的な成功物語である。この事故を教訓としての学長の話は、『この困難な状況のなかで全員教出という見事な結果が達成されたのは、事故発生直後に、そのリーダー自身が、この状況から全員を救出するには、「弱者優先」という方針を全員合意の下で進めるしかないという判断を下し、しかもそれを着実に守り、自分は最後の教出者に甘んじたことにある』という、「強者よりも弱者」、「自己よりも他者」という見事なまでの「規範性判断基準」である、という内容であった。
<本年一橋大学入学式の蓼沼宏一学長の訓示から>
・更に、今年6月号の「如水会報」には、本年一橋大学入学式の蓼沼宏一学長の訓示が掲載されている。その一節に『社会をよりよいものに変革していくにはどうすべきか。まず正しい方向を示さなければなりません。そのためには何が望ましいかという規範的な基準が必要です。何が望ましいかという規範の問題は主観的な判断に依存し、常に意見の対立があるから解決不可能ではないかと考える人がいるかもしれません。確かに人が自分の属する国、人種、地位資産、能力など自分に特有な条件の上に立って自己の利益を高めように行動するならば、自分に有利な社会制度やルールが望ましいと主張するでしょう。その場合には、個人間の意見の対立は決してなくならないでしょう。しかし、知的探求が規範論の領域に入る時には、個人特有な状況から離れ、可能な限りは普遍的な立場から判断するという、一層高度な熟慮が必要でしょう。次の世代を担うみなさんには、現実の問題を客観的に把握し、実証的に分析するとともに、幅広い教養に基づいて、何が社会に望ましいか、適切に判断する力を磨いてください』との訓示が述べられている。
<大阪市の場合>
・小生が住む大阪市に於いては、橋本徹氏の大阪維新の会が登場するまでは、歴代の府長や市長が、ハコモノ行政や住民・年寄りの人気取りのための福祉中心の行政が長年実施され、そのために子供の教育費などへの予算配分が低下し、それが子供の学力低下をも招いたとして、橋本氏は、その改革などに真剣に取り組んだのである。
・これらの事例を考えるに、かっての大阪市の行政は、明らかに「子供たちよりも年寄り」、「未来よりも現在」という反規範性判断基準に立脚した行政であったと言えよう。
<日本の国家債務危機に関して>
・またわが国の将来にとって、最も危機的状況である「国家債務の危機」に関しても、選挙の度に繰り返される、国民への様々な福祉中心のアピールのために、どの政党も、その国家債務の危機的状況には敢えて触れようとしないばかりか、自民党と当時の民主党党首が交わした消費税の増税への公約すらも、最近の国政選挙では、選挙結果への影響を恐れて、両党ともその約束を反故にして消費税増税の延期すらも平然と行っているのである。
<ジャック・アタリの警告>
・今日のこのような日本の国家債務危機については、“現代欧州の知性”とも評価されているあのフランス人のジャック・アタリが、2011年に出版した「国家債務の危機」(注:当時麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人と続いた3人の首相ともにこの本を購入したとの情報あり)という本のなかで、「この日本の危機的状況は、かって人類が経験したこともないほどの恐るべき危機的状況にある」と警告を発しているにも拘らず、今の日本の政治家は、与野党含め、誰もその危機的状況に立ち向かおうとはせず、福祉行政などに必要な財源は、赤字国債を増額すればよいとの安易な政治がまかり通っている状況こそが、今の日本で最も深刻な反規範性基準的な政治的状況であると言えるのではなかろうか。しかもその根底にあるのは「今の自分たちさえよければよい」との安易で、かつ、この記事が指摘している「現世代主義・現世利益優先主義的な考え方」そのものではなかろか、と思うのである。
・今日の国の債務危機は、失われた10年間の経済低迷のさなか、少子・高齢化の波のなかで、我ら高齢者への福祉・医療関係費用が年々急増する構図の中でその危機的状況が加速している現状を鑑み、我ら高齢者もせめて自らの健康管理に徹すると共に、「年寄りよりも若者」、「現在よりも未来」という規範性判断基準の意識ぐらいは強めることが求められているのではなかろうか。
<故大平正芳氏に見るその素晴らしき政治信念>
・日本の国家債務残高は、今や国家税収の約10倍という絶望的とも言えるほどの深刻な状況にある。そのせいか、政治家はもうとっくに、こんな状況はどうにもならないと諦めているのか、そのことを各政党の政治的課題に大きく掲げることすらも避けているように思われるのである。今回のエッセイ記述に際しての情報検索のなかで、「昔、三木内閣の蔵相だった大平氏は、1970年代に、10年ぶりに赤字国債の発行を行った責任を思い、一生かかってもこの償いは果たさなければと、言っていたそうである。しかし、1979年、首相として一般消費税を掲げての衆院選で安定多数獲得に失敗、40日抗争からハプニング解散、総選挙中の死という道筋は、まさに氏の信念に根ざす政治行動であった」との情報に接し、赤字財政への責任を大きく受け止めたそんな素晴らしい信念を持った、しかも大学先輩の政治家がいたことを知り、新たな感慨を覚えるのである。(H28.8.8記 坂本幸雄)
****************
****************