P戸松孝夫2017.9.8
出口治明氏の著書に基づく坂本論文は文字数に圧倒されて、読むことをしばらく見送っていたが、賞味期限が近付いてきたので、本日読んでみたところ、結論から言うと、大変読み応えのある内容だった。
我々の年齢になって今更「本物の教養」を身に付ける術を知っても意味はないかも知れないから、30-40年前に本書のような「教養に関する提言」が活字になっていたら、必死に読んでいたであろうと思うと残念でもある。そういう意味では原著書及び本論文は、今社会の第1戦で活躍している世代に読ませたいのだが、僕のような社会に役立たなくなった人間にとっても下記のような面白いことが書いてあるから、燦々P&Q諸兄は既にお読みになっておられると思うが、未だ目を通しておられない方は、原著書まで遡らなくても、せめて坂本論文だけはお読みになることをお勧めしたい。
1.教養とはこの人生のPDCAサイクルを動かすためのツールである。
恥ずかしいことだが、僕はPDCAサイクルという用語を今回ググってみて初めて知った次第。ひとつ賢くなった。
2.「教養とは人生における面白いことを増やす為のツールである」、「面白い人とは興味深い人である」
として「面白い」という用語が定義付けらている。TVのお笑い番組やお笑い芸人が演じる可笑しい、滑稽なことが面白いという世間の一般的な定義ではなく、「様々なことを知っていて、自分の考えを刺激してくれて、新しい話題に引き込む力のあるような人が相手にとっては面白い」に全く同感である。歳は老いても自分自身は面白い人であり続けたいと思うし、退職後の付き合いの相手も面白い人に限定されているようだ。
3.ゴルフと天気の話ばかりする人は、国際的人材交流の中では尊敬されない
これは国際的交流の場だけでなく、今や日本国内でも平均以上の知的水準のある人材交流では大切な心構えであろう。
4.決定的に重要なことは自分の意見を持つことである。
日本では伝統的に「みんなと一緒に」とか「一つの輪になって」のスローガンが尊ばれ異論を論じ難い風土ではあるが、今や自分は日本の企業文化に従う必要性がない身分である。「頑固老人」と言われないよう気をつけながら、自分の意見を述べて実践している現今である。
5.「タテ」と「ヨコ」で考える。 「国語」ではなく「算数」で考える。
これは時代に関係なく、年齢にも無関係で、自分で考えるための出口流・知的生産性の大事なKnowhowだとの意見に賛成
6.社会生活上必要な最低限の教養は、昔は読み・書き・算盤だったが、現代では情報機器を使いこなす能力だ
として、コンピュータ・リテラシーについて言及されている。
10/11のPクラス会通知に際して、幹事どのが、メールアドレスのない方たちの便宜に配慮して、往復ハガキを使い、その返信紙に全員の近況を書かせた上で、コピーを取って皆に配るという大変な作業をされていることに同情を禁じ得ない。
最後に、本論文を読んでいて思い出したのは、{老人が心掛けるべきことは、同じキョウヨウでも「教養」ではなく「今日用」がないと生きる価値が半減する}と以前にP中島君がクラス会紙に書いていたことである。我々には「教養がある」よりも「今日用があること」の重要性を忘れずに、脳細胞の健康を維持しましょう。
戸松