-----2016.11.21(月) 下野新聞・・・・・・・・・・・2016.11.30森 正之 投稿
足利市こころの健康講座に170人参加
◎ピア(仲間)・サポート。
この記事を知り、ネットで下記の組織を探し当て、テキストを発注しました。
本日(11月30日)届いたので、読み始めたところです。
認知療法
p.27~30 ピアサポート専門員の基礎知識 抄録
③お話しを聞く・相手を理解する
ア.聴き方の悪い例・・・せかす、イライラ、腕組み、時計を見る
イ.聴き方の良い例・・・あいづち、頷く、ゆったり、笑顔
ウ.「なぜ」「どうしては要注意」・・・一緒に考えていく
エ.一方的な断定的な話し方は要注意・・・一緒に考えていきましょう
オ.苦しみや辛さに寄り沿う・・・悩んでいる人は時間が経っても苦しいのです。
カ.相手の気持ちやペースに合わせる・・・ゆっくり、おだやかに
キ.意図的に話を引き出さない・・・話したくないことはある
ク.共感・・・悩んでいる人が立ち直っていくプロセスに伴走していく
ケ.話を終える時に・・・ねぎらい後「今日お話しされていかがでしたか」と聞く
2015年3月発行 500円
一般社団法人 障がい者福祉支援人材育成研究会
〒116-0014 東京都荒川区東日暮里5-10-2 Tel 080-8178-3104 psassr@gmail.com
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今年(2016年)6月から宇都宮のNPOチャレンジド・コミュニティでメンタル障害者に携わっています。
下記の記事(2016年11月27日聖教新聞)は身体障害者の例ですが私には大変参考になります。森
〈信仰体験〉 ピア・カウンセラー(障がい者相談員)として奮闘
脊髄小脳変性症を生き抜く 福祉向上の貢献に府・市から表彰
挑戦するチャンス!
【大阪府四條畷市】自らも障がいがありながら、障がい者の相談に乗り、課題を克服できるように援助する「ピア・カウンセラー」をご存じだろうか。「ピア」は仲間の意味である。障がい者相談員として奔走する守屋隆さん(58)=清滝新町支部、副支部長(常勝長〈ブロック長〉兼任)=もその一人だ。「脊髄小脳変性症」と闘いつつ、障がい者も健常者も共に生きる社会を目指し、日々、奮闘している。相手の目を見て
「はい!」と、受話器を片手に、柔和で温かみのある声が響く。取材中も、地域住民からの電話がひっきりなし。
障がい者やその家族からの相談を受けるが、時には夫婦げんかした人に「夫婦仲良くせなあかんよー」と優しく仲裁に入ることも。
不自由な足を支える歩行器を「僕の足」と呼び、あの友、この友のもとへと歩を運ぶ。
「ええ髪形してますなー」「その服、オシャレやなー」と、時にユーモアを交えては、笑顔で語り掛ける守屋さんの姿に、相談者の固く閉ざされた心も打ち解け、口を開き始める。
「障がいのある人は、周囲に迷惑を掛けていると、どこかで意識してしまい、心の内を出せない方が多いんです」
守屋さんは、ピア・カウンセラーとして3点を心掛ける。①相手のいいところを見つける②相手の目を見て話を聞く③同苦する――どれも日頃の学会活動で習得したものだ。
障がいのため、かつて引きこもりがちだった人は、「守屋さんに会って勇気をもらった」と相好を崩す。仕事を見つけ、働きに出ることができたなど、相談者から喜びの報告が数多く寄せられている。
悔いない一生を
「おまえ、おかしいで」。職場の同僚から指摘されたのは1979年(昭和54年)。高校卒業後、製造工場で働いていたが、手が震えて細かな仕事ができなくなり、製造ラインから外された。以前から気付いていたが、体の異変は次から次へと現れた。
真っすぐ歩けない。よくつまずく。言葉のろれつが回らない。
検査入院の結果、「脊髄小脳変性症」と診断された。小脳、脊髄の神経系が変性し、全身の運動失調を引き起こす、進行性の厚生労働省指定難病だ。
絶望の淵に立たされる。ベッドの上で真っ白な天井をただ見つめる日々が続いた。
退院後は、友人や同僚からの連絡も途絶えがちになる。職場も退職した。徐々に歩行も困難になり、いつしか引きこもるようになった。
ある日、創価学会員の同級生が訪ねてきた。真剣な表情で語る仏法の話。後日、友人と一緒に男子部の会合に参加すると、先輩らしき人が「信心をすれば、君が悔いない一生を歩んでいけることは、絶対に間違いないで!」。その強い確信と真心に動かされ、翌年、入会する。
男子部や「自由グループ」(身体に障がいがある方の集い)のメンバーと出会い、皆それぞれが宿命の壁にぶつかりながらも、試練をはね返している姿に、大きな勇気をもらった。
“自分らしく”――そう心に決め、学会活動に徹し抜いた。
懸命の努力で商業簿記2級に合格。自動車の運転免許も、健常者の3倍の時間がかかったが取得した。全て信心で勝ち越えてきた。
男子部時代は部長として、手だけで運転できるよう改造された車に歩行器を積んでは、メンバーの訪問激励に歩いた。
30超の地域役職
“わが同志こそ、かけがえのない地域の灯台であり、オアシスである”との池田先生の期待を胸に、守屋さんは地域の仕事に積極的に取り組むようになる。
市の身体障害者福祉会会長や人権総合相談員など、これまで30を超える地域役職を歴任。そこで痛感したのは、障がい者福祉の遅れだった。
社会に出れば出るほど、障がい者が生きにくい環境を思い知らされた。自身の経験を通して、行政のさまざまな会合で声を上げ、改善に努める一方で、自身の力の限界を感じることも少なくなかった。
努力家の守屋さんは、福祉経営学を学ぼうと一念発起。54歳から通信教育で大学に学ぶ。加齢による記憶力の衰えだけでなく、不自由な体のため、書くことや読むこと自体に負担を強いられたこともあった。
それでも“今、やらずして、いつやるのか”と歯を食いしばり、仕事の合間や移動時間など、寸暇を惜しんで学び続ける。そして本年3月、4年間で卒業を勝ち取った。
「池田先生のおっしゃる通りでした。まさに“学は光”。たくさんの知見や改善のヒントを得ることができました」
自らの体験の上に、大学で学んだことを生かし、一段と障がい者福祉に取り組む守屋さん。これまで、大阪府の国際交流団などを通し、10カ国を超える海外渡航を経験した。
そうした長年にわたる障がい者福祉向上への貢献をたたえ、昨年、大阪府から表彰が。本年6月には、府の身体障害者福祉協会、今月には四條畷市の社会福祉協議会から感謝状が贈られた。
「障がい者のことを『チャレンジド(Challenged)』っていうんやけど、僕、この言葉が大好きやねん」
チャレンジドとは、障がい者は自由を奪われた存在ではなく、むしろ挑戦するチャンスを与えられた、“選ばれた者”との意が込められている。
一昨年、「障害者の権利に関する条約」が日本でも批准・発効され、大きな追い風に。守屋さんは、障がい者に寄り添い励まし続けながら、日々、勇気と希望を送っている。