P戸松孝夫 2017.6.26
「新・中世王権論」(本郷和人著:初版H29.6.10)を読んでの雑感三題
「元寇の乱」により、国家としての防衛・軍事を司る政治体制を望む意識が、日本の歴史上初めて国民レベルの高さで醸成された、との分析は面白い
大阪が江戸幕府300年の間に栄えたのは、風を動力とした北前船が蝦夷地・東北の大量の物資を日本の中心部に運ぶ関係上、たまたま大阪:難波の地が波静かな日本海航路の終点であったとの記述は興味深い
大阪堂島には、江戸時代に主要な藩の米蔵が立ち並び、世界初の「米の先物取引」が行われていた程の経済最先端の地であったとの事実は、無学な僕には新しい知識である。米中心の経済体制が築かれ「江戸―大阪」がその政権の経済を支える主要な交流ルートとなったとのこと。
関西空港が齎した「第二の北前船効果」については、4/30発の「いい言葉、ためになる言葉」第8項でも詳述されていたが、江戸時代の「第一の北前船効果」が、大阪の自然の立地条件に対して、現代の「関西空港によるインバウンド効果」は人智がつくり出した立地条件に与かり得たとのこと。格安航空にしか乗らない僕は、6/5付弊メールで絶賛したように、毎年数回関空を利用して、大きな経済的恩恵に与かっているが、考えてみると関空の人気が出てきたのは、つい最近のことではなかろうか。成功した結果から見れば「人智がつくり出した立地条件に与かった」との分析は間違いないが、三十数年前関空プロジェクトを立ち上げた頃、関西の財界人は航空業界のLCC革命を予測していたのだろうか。元産経新聞記者が顧みているように ①運輸大臣として本件を認可した故塩爺さんは引退後も関空の興隆を気にしていたとか、②如水会の先輩で関経連会長の川上哲郎氏(住友電工会長)が「欠陥空港」との本音を吐かれていたとか、関空も開港当初の10年は暗黒の時代だったと記憶している。僕の会社の親しい同僚は、住友グループがこの事業から逃げ出さないよう人質として建設工事時期の10年間も現場に張り付けられていたエレジーも聞いている。今の関空の隆盛は30数年前のこういう人たちの智慧の結集の賜物か、来月僕は東京の会合で、この人質氏に会う予定なので、当時の関西財界のお歴々に“見事な先見の明”が本当にあったのか裏話を訊いてみたい。
本文中に「軸の思想」「自律自走」「管米上納」等の漢語が出てくるが、学のない僕はこれらの単語に躓いた。
以上
戸松さん早速の心の籠った返信に感謝…Q坂本幸雄2017.6.27new